人間にとって自然は、謎が深ければ深いだけ壮大に感じられるようです。
また、壮大に感じられる故に自然が人間に牙を剥くような場面に遭遇しても 「きっと、たいしたことはないはずだ」と、自分に都合よく解釈してしまう心理的な特性を持っています。
私は大阪ゼロメートル地帯の周縁に住んでいます。
この地域は、陸と川と海のせめぎ合いで生じた土砂が堆積し、埋め立てられて宅地になったところです。もともと土地が低く軟弱であったうえに、地下水の汲みあげでさらに地盤が沈下し、災害に繰り返し見舞われることになりました。
現在では、高い防潮堤、道路になった河川の護岸、水門でコントロールする運河や水路で囲まれており、水に対する備えは十分であるかのように見えます。
しかし、先の津波では人工物の備えを優に超える自然の猛威を目のあたりしたばかりです。
この機に、改めてゼロメートル地帯を歩くことにしました。
そこには、防護壁に囲まれた空間を、自分の世界、自分ごととして引き受けようとする営みがありました。点在する古い水門や防潮堤の跡、時を経た鳥居や祠が、そこに住む人びとの生活の中で生きています。災害と向き合ってきた記憶が世代を超えて継承され、その喪失と回復から発した想像力が、具体的な形を持って日常の場に活かされています。その風景を「自然との調和」海抜ゼロメートル としてまとめました。
ここでは小学校が地域の災害時避難場所に指定されています。
学校へ向かう道路には、避難場所まで一定間隔で誘導パネルが貼ってあります。この道を登下校する子供たちは、昨今の異常気象を経験しながら、自然への思いを深め、ゼロメートルの記憶を継承する世代に成長するはずです。
(西田恭子)
1942年 岡山県生まれ
2010年 この頃から群写真を始める。
2011年 東日本大震災を経て、「海抜ゼロメートル」をテーマに撮影をはじめる。