太平洋戦争の激戦地フィリピン・レイテ島。中でもカンギポット山付近に取り残された2万人の部隊は全滅し、帰還兵はゼロでした。食料・弾薬共に尽き、飢えや病に苦しむ兵への最後の命令は「自活自戦、永久抗戦せよ」。父はここで1歳に満たない私を残して27歳で戦死しました。戦死公報には「カンギポット山付近で戦死、詳細不明」 としか書かれていません。平和に浸りきり戦争の記憶が風化する中で、場所も定かでない異郷の地に眠る父が不憫でなりませんでした。
初めて慰霊の旅で訪れたレイテ島は、悲惨な戦争が嘘のようにのどかな農村風景が広がっていました。
この戦争ではフィリピンも国土を破壊され100万人以上が犠牲になったので、私は現地の人たちの厳しい目を覚悟していました。ところが、どの慰霊地でも村人たちは憎しみを感じさせない優しい笑顔で迎えてくれました。重い気分で参加した私にとって人々の笑顔は救いでしたし、父がこの穏やかな風景の中で優しい人々に囲まれて眠っていることを知り、改めて平和の有難さを痛感しました。
平和は万人の願いであり誰もが戦争を憎みます。しかし現在、力を背景にした大国のエゴで国連は機能不全に陥り、平和を脅かす動きに歯止めがかかりません。
この写真展は、レイテ島の人々の笑顔を通して忘れがちな平和の尊さを再確認し、悲惨な代償の上に築かれた日・比両国の穏やかな関係を未来に向けて守りたいという草の根的な願いです。(三好 栄子)
1944年 大阪府堺市生まれ
奈良読売写真クラブ会員
第54回富士フィルムフォトコンテスト自由写真部門優秀賞
第56回富士フィルムフォトコンテスト自由写真部門銅賞
JPS公募展入選2回
全日本読売写真クラブ展優秀賞1回、入選3回
JPA公募展入選2回