2018年3月 7日(水) 〜 2018年3月20日(火) 日曜休館
2018年4月 5日(木) 〜 2018年4月18日(水) 日曜休館
私たちは、ヒトが自然の一部であることを忘れて久しい。
そのことを思い知らされたのは、2011年の東日本大震災である。
人類は、自然と共生することで繁栄を築いてきたのである。自然に学ぶことで宗教、科学を生み、その営みがさらに自然との親密な共生関係を深めてきた。特に科学的分析の思考は、深く自然の中に立ち入って、我々に大きな恩恵をもたらしてきたし、更なる生産性の要請に科学は幾何学級数的進化、拡大し、ついに物質の原子核の操作にまで立ち至った。核分裂は莫大なエネルギーの供給をもたらすが、神への冒涜とも言える原子爆弾によるカタストロフィ(ヒロシマ、ナガサキ)は、人類が自らを地球上から壊滅させる手段を持ってしまったという証を明らかにした。人に恩恵をもたらしてきた科学技術が人を超えて、人に反逆する事態に立ち至ったのが現在の大状況ともいえる。
福島の原子力発電事故—放射能物質の広範囲への拡散による被曝もまた同様に人類の存在そのものを揺るがす惨事と考えなければならない。
福島では未だに5万人にも及ぶ人々が強制的、自主的避難を余儀なくされ続けており、完全な帰還の目途が立っていない状況が継続されている。一方2017年、政府は帰宅困難区の一部を残して、多くの避難地区を解除した。この政治決定は、これまでの避難民の差別化や孤立化を強制し、フクシマの状況に大きな変局点をもたらすことが予測される。この機に、これまで私が時系列的に記録したフクシマ(2011〜2017年)を展示し、福島第一原発の放射性物質の広域拡散事故がもたらしてきているカタストロフィの現実を顕在化して、提示させていただきたく考えている。モチィーフは、福島における自然と人間の共生の崩壊の風景だが、この現実は、何処にあろうとも現在を生きる全ての我々が直面している黙示的風景でもある。(土田ヒロミ)
(2013年、フクシマに関して同主旨の展示をニコンサロンにて開催いたしました。今回は、それ以降の新たな段階に入って複雑に変容してゆくフクシマの現実をレポートする展示です)
<撮影のデータ>
撮影期間:2011年6月〜2017年9月
撮影区域:旧避難解除準備区域および帰還困難区域と指定された区域。川俣、飯館、南相馬、浪江、富岡、広野、葛尾、川内、田村、双葉
1939年 福井県に生まれる
◆主な作品
「俗神」(1976)「ヒロシマ」(1985)「砂を数える」(1990)
◆受賞
「伊奈信男賞」(1974)「日本写真家協会賞」(1984)「土門拳賞」(2008)
◆作品コレクション先
東京都写真美術館、ニューヨーク近代美術館、ポンピドーセンター、サンフランシスコ現代美術館、テート美術館など