賞味期限(山口県長門市)
早く漁火、出てくれないかなあ。
やきもきする私を尻目に、赤く染まった空はどんどん鈍色にあせていく。
もしかして、今夜は漁船が出ないのかな? 不安がよぎり始めた頃、ポツリポツリと海の彼方が光りだした。あー、もうちょっと早く明かりをつけてくれたらいいのに……。
漁師側からしたら、まだ明るい時間にライトをつけるなんて無駄使いをするはずないのだけど、あと10分、いや5分だけでも早かったらと心の中でぼやいていたら、あれよあれよと空が二度焼けしてきた。
やったぁー! 空を映す海面も色づき、漁火の滲む様子が美しい。
今頃、近くにある棚田と夕日で人気の撮影名所でも、沢山のカメラマンが大喜びしながら撮影ポイントの争奪戦をしているんだろうな。ほぼ独り占めの絶景を目の前に、私はにんまりとほくそ笑んだ。
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この場所で初めて撮影したのは、14年ほど前になるだろうか。前述の棚田の夕景を撮りに来たついでに立ち寄った。
ちょうどテレビ番組で、入り口にある大きな鳥居に設置された「日本一、入れるのが難しい賽銭箱」に、お賽銭が入ると願いが叶うと紹介された直後だったようで、普段は交通量の少なそうな細い山道が大渋滞し、境内も参拝者で賑わっていたが、夕方になるとカメラマンが一人二人いる位の静けさを取り戻した。
境内に入り、眼下を俯瞰すると、真っ赤な千本鳥居がずらりと海に向かって並んでいる。日中は青い海とのコントラストが鮮やかだったし、夕陽が沈むと海に漁火が浮かぶ。見たことのない幻想的な光景に感動して、夢中で真夜中まで撮り続けた。
だけど夜はせっかくの鳥居が暗すぎて写りづらかったので、朝の薄明を待って撮り直そうと試みたが、漁火は未明が近づく前から一つ二つと消えてゆき、朝、空が白む頃には一隻も残っていなかった。
とはいえ、作品が撮れた手応えは感じたので、それを心置きなく使えるよう、神社の宮司さんに挨拶をしていこうと思いつく。朝日を撮り、その後も周辺をウロウロしながら宮司さんが来られるのを待っていると、道を挟んだ空地に、いつのまにか軽トラが停まっているのに気づいた。
間もなく社務所の小さな建物から祝詞らしき声が聞こえ始める。
「えっ? あの軽トラに宮司さんが??」
真偽をどうしても確かめたくなり、社務所前で待機するが、祝詞は待っていると長い。やがて声が聞こえなくなったものの、宮司さんは現れない。もしや、別の出口があって、もう帰ってしまわれたのでは?
軽トラはまだ停まっているけど、あれが宮司さんの車とは限らない。悶々と待ち続け、やっと会えた宮司さんに名刺を渡して意向を説明すると、そういう申し出は珍しかったのかもしれない。宮司さんは少しびっくりした様子で、でも「許可します」という心強い言葉を残し、軽トラで走り去った。
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さて、せっかくお許しをもらったのに、帰宅後、私の心にむくむくと悪い虫が蠢き出した。「ここの夜景、まだ全国的には穴場みたいだし、もう一度撮りにくるまで内緒にしとこうか……」。
生粋の秘密主義の私は、せっかく撮影し、せっかく使用許可までもらった写真を、こっそり隠しておくことにした。
それから何度かここへ来ては撮影し、今度こそは発表するぞと思いつつ、また気が変わり……を繰り返したが、いくら私が隠しても、神社はいつの間にか大人気の名所となり、同時にどんどん進化していった。道中には立派な案内標識ができ、空地はゲート付きの立派な有料駐車場に変身し、神社名もちょっとだけ変わった。
そして、夜に撮影する人も増えすぎたのだろう。久々に訪れると、残念なことに夜間境内立ち入り禁止になっていた。仕方なく車道から撮影する。横からだと千本鳥居のインパクトは弱まるが、夕焼けと漁火はこちらの方が見応えあるかもしれない。
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それはそうと、以前、夜の境内から撮って、大事に大事にしまっておいた傑作の行く末は、一体どうなるのだろう。もったいないからあとでゆっくり食べようと残しておいた大好物のお菓子が、いつのまにか賞味期限切れになってしまったような、やるせなさが心に沁みる。
写真もお菓子も、そこそこ早めに賞味した方が美味しいという、当たり前の真実に今更ながら気づかされる私だった。
中国地方には美肌系の名湯が多く、温泉マニア心がくすぐられる。数人しか入れない小さな浴槽の温泉もあれば、立派な大ホテルもあるが、母と宿泊した、元乃隅神社からも近い油谷湾温泉のとろとろした茶褐色の温泉と居心地よい部屋は最高の思い出だ。
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写真・エッセイ:星野佑佳
風景写真2023年7-8月号