「禊ぎ柿」(長野県長野市)
オレンジ色に熟した柿の実に、降り積もる白雪。珍しい絵柄ではないけれど、色鮮やかな残り柿と雪のタイミングが合う初冬限定だから、うかうかしていると撮り逃がしてしまう。毎年この時期は、まだ地元の京都で残り紅葉を撮っていたり、北から南まで2カ月越えの紅葉撮影を終えた直後で疲労・放心していたりで、私にとっては久しぶりに出合えた光景だった。
潮目が合えば難易度は低いのか、昨冬は雪と残り柿の撮影に恵まれたが、最初に見つけたこの柿が一番印象に残っている。これまで「柿」は私にとって「煩悩」の象徴みたいなイメージがあり、わざわざ探すほどの被写体ではなかったが、その柿が真っ白な雪に覆われていくのを見ていると、自分の心まで浄化されていくような癒しを感じる。紅葉や桜は雪で見えなくなるまで覆われたりするが、丸くてつるんとした柿の実はかなりの降雪でも隠しきれず、雪が止むとあっという間にその姿を露わにするのもまた、煩悩と相通じるようでおもしろい。
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煩悩、などとけなしてしまったが、柿は私の大好物である。ただし、柿は柿でも初秋にスーパーで出回る種なし柿限定で、これが出てくると、「そろそろ秋の撮影に遠征しなくちゃ」と思うし、これがスーパーから姿を消すまで食べていると、北日本の紅葉撮影に間に合わなくなってしまう。今のうちしか食べられないと思うせいか、秋旅の準備をする間に、日々、消費量は増え続け、多い時には一日大玉5個以上を食べることもあり、最後は泣く泣く種なし柿数個をカバンに忍ばせ北へ向けて出発し、旅先で皮ごと食べる。そしてひと月ほど遠征し帰京した後、祈るような気持ちでスーパーに行ってみるが、案の定「種なし柿」は終わっており、もっと高価な富有柿などが並んでいるのを見て、「やっぱりな」と肩を落とすのだ。種なし柿の種類は「平核無」というらしく、その正体は渋柿で、焼酎などにつけて「渋み」をとるらしい。そんなこと知らなかった昔、事件は起こった。
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もう20年ほど前になるだろうか。通りすがりの道端にたわわに実を付けた柿を見つけた。しばし撮影した後、道路に柿の実が落ちているのに気付く。オレンジ色に熟れていて、美味しそうだ。私も朝の撮影後でお腹が空いているし、柿は大好物。このままだと車に轢かれるだけだし、場所的にもその柿の木が誰かの所有物でもなさそうだったし、まだ大らかな時代だったこともあり、私はそれを拾い上げて、ウエットティッシュで拭いてから、かぶりついた。
「?????」
いったい何が起こったんだろう? 渋い……という味覚を、私は経験したことがなかったし、予想もしていなかったから、5秒ほどフリーズしてから、それが今、口に入れたものからだと気づき、慌てて吐き出した。口の中はしばらく痺れたままで、渋柿の威力を思い知る。しわくちゃで細長い形の干し柿の元が渋柿とは知っていたけど、こんなに美味しそうに見える丸い柿も渋柿なんだ。煩悩に負けた自分に天罰が下った気分である。それ以来、残り柿を見るたび、「あれはカラスや猿も食べない渋柿だ」と警鐘がなるようになったし、苦労してまで残り柿を撮りたいとも思わなくなった。
「柿とキノコはお店で買うものだ。」
秋、山で撮影していると、キノコを収穫している人から「美味しいですよ。ちょっと分けてあげましょうか?」と言われることがあるが、丁重に辞退する。キノコにあたったことはないが、君子危うきに近寄らずだ。私がキノコにも写欲を感じないのは、もしかしたら、「自分で採(撮)って食べるな危険」の生存本能なのかもしれない。
柿の名産地・九度山方面で撮影の帰路、いろんな種類の柿をいっぱい買いました。高価な柿、貴重な柿など5種類ほど、合計25個を食べてみましたが、自宅近くのスーパーの種なし柿が一番美味という結論に到達。旅先の柿は、拾わず、買わず、撮るのみです。
写真・エッセイ:星野佑佳
風景写真2022年1-2月号