花、美しく(群馬県・妙義山)
ぽたぽたと降り続く雪は、桜に舞い降りては消えてゆくのに、背景の山肌はあっという間に白くまろみを帯びてゆく。天気予報って当たるんだな。雪と桜の競演が撮れるかもと、スタッドレスタイヤを履いたままにしておいて良かった。
3月下旬、正体不明の新型コロナウイルスへの恐怖におののきながら、仕事でどうしても東京へ行かねばならず、公共交通機関に乗るのもためらわれたので、500キロの道のりを自分の車で走ることにした。上京ついでに今年こそは……。例年、ぐずぐずと桜旅の準備をしている間に、関東の早咲きの桜を撮り逃すので、あわよくばと仕事が済むなり群馬を目指す。妙義山に抱かれて花が咲いているだけでも十分なのに、雪とのコラボは想像以上に美しく、この年初の桜撮影は華々しく開幕した。
雪と桜で勢いづいた私は、それからしばらく関東周辺をうろついた。花粉症のおかげで、当時品薄だったマスクもふんだんに持っていたし、もともと、東京へ行くなら、潜伏期間の10日間ほどは、高齢の家族が住む我が家には帰らず、車中泊で桜を撮りながらゆっくり帰るつもりだった。馴染みのないエリアの桜は新鮮で、あっという間に毎日が過ぎていく。もちろん、慎重派の私はコンビニで買った食品も外装を消毒してから車内で食べ、入浴はぐっと我慢して入らず。人とも会わず会話もせず、うがい手洗いマスクに手袋と、完璧な感染対策をしていたが、一週間ほどたったある日、喉が痛くなり、37・3度の微熱が出てしまう。
これは……。
最悪の事態が頭をよぎる。唯一思い当たるのは、窓を開けて駐車していた時、隣の車の窓も開いていたくらい。「あの程度でうつるのか?」。症状が酷くなる前にと帰路を急ぎ、こうなったからには独力で闘病せねばと、家に戻らず、額装写真を保管している部屋に籠ることにした。1~2週間、一人っきりで寝込んでも大丈夫なように、経口補水液やおかゆ、うどん、レトルト食品、缶詰などを大量に買い込んだ後、パソコンだけ取りに自宅へ立ち寄る。ここで家族と接触しては元も子もないので、母には家の外に出てもらい、閉めたままの車の窓ガラス越しに、携帯電話で会話した。母の表情は「何を大袈裟な」とみじんの危機感もなかったが、「あんなに注意していてもダメだったんだから、そのうちみんな罹ってしまう。もう会えないかもしれない。」と涙を滲ませながら別れを告げた。
*
さて、決死の覚悟で籠城を始めた翌日、あっけなく平熱に戻り、数日後にはのどの痛みもなくなった。それどころか、自力で治さねばと漲らせた戦意のせいか、無性に「ぶ厚いお肉」が食べたくなり、スーパーで物色。それから毎日のように、「今のうちに、今のうちしか」とステーキを食べ続け、特上寿司を食べ続け、眠りたいだけ眠り続け、ビタミン、サプリメント、漢方薬、ハーブティ、ストレッチと、知りうる限りの健康法を駆使し、なんだか普段よりずっと元気な気さえしていた。「新型コロナを克服した」と一瞬、息巻いたが、咳も出なかったし、倦怠感すらなかったので、たぶん単なる疲れだったのだろう。お籠り部屋には、テレビもネット環境もなかったが、あちらこちらで桜が例年以上に美しく咲いている噂は耳にした。けれど、自粛ムードの圧力に加えて、あの「うつっちゃったかも」という恐怖感を思い出したら、桜を撮りにいく気にはなれなかったなぁ。今思えば、ほとんどの日本国民が、花見よりスーパーやホームセンターに通っていたので、撮影より買い物の方がよっぽど危なかったのだが。
あれから一年。いまだにコロナ禍が続いているとは想像できなかったが、今年の春はどうなっているのだろう。世界中の人間が右往左往する中で、桜は相変わらず美しく咲き、儚く散ってゆく。今、桜を撮る撮らないの選択に正解はないのだろうが、いつか葛藤なく撮影に専念できる日常が戻るのを願うばかりである。
いよいよ始まる「絶景恋愛プラス」(今、勝手に命名)。当初、これまでの写真展の作品だけを予定していたのですが、延期された7カ月間に撮り足した「夜絶景」の作品を自分でプリントしてみたら、いい感じに仕上がったので、急遽、追加することに。約100点の絶景ワールド、ご覧いただけると幸いです。
写真・エッセイ:星野佑佳
風景写真2021年3-4月号