黄昏刻(静岡県・黄金崎)
黄土色のささくれだった岩肌が夕日に赤く染まってゆく。
「とうとう来たんだ」
ずっと憧れていた、でも所縁がなさすぎて来てみようとは思わなかった場所に、私はいる。写真を始めた頃、雑誌で見かけた絶壁の岩肌と打ち寄せる波の彼方に浮かぶ富士山の絶景。大いに惹かれたが、あまりの完璧さに尻ごみしてしまい、「私はいいや」と記憶の隅に封印していた。場所取りをはじめ、色々大変そうだと耳にしたのも、遠因かもしれない。撮影ポイントは、キャンプ場の敷地内なので、撮影する場合は時間加算される駐車料金が必要で、さらに日没後、間もなくすると宿泊料金として一気にドーンと3000円が必要になる。車中泊ばかりで宿泊料を払う習慣のない私にとっては抵抗を感じてしまう金額で、つい、敬遠していたが、ここで撮影経験のある友人から、「いつも撮ったらサッと出るから、500円くらいで済むよ」と聞き、そのくらいならと重い腰を上げた。
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ちょっと早い気もするけど河津桜も撮れたらいいなと、2月半ばの伊豆半島に向かった私は、一路、お目当ての展望台を目指した。私にしては珍しく、時間に余裕をもって訪れたが、すでに先客がおられ、その隣に三脚をセッティング。キャンプ場も見当たらず入場料も不要だったが、きっと冬は休業しているのだろうと、それ以上、深追いしなかった。やがて夕照が落ち着くと、今度は空の色が七変化し始めた。なんとも言えない美しさだが、集まっていたカメラマンは一人二人と帰ってゆき、暗くなる頃には一番乗りのおじさんと二人きりになった。
「これからですよね」
どちらからともなく、星の撮影をするつもりを確認し合う。富士山風景を撮っているというおじさんは、伊豆半島きっての桜名所・みなみの河津桜を撮りに行ったことがないらしい。ぜひ、行ってみてください的な絶景話になった時、おじさんが「雲見は行ったことあるかい。あそこも素晴らしい絶景だよ」と教えてくれた。
「雲見?」
その時、私は目前の絶景に佇む富士山が思いがけず小さいのに、やっと気づいた。ここ、私が思っていたのと違う場所だ……。私が行こうとしていたのは「雲見」で、もちろん、友人がアドバイスしてくれたのも「雲見」だった。そして、ここは少し手前に位置する「黄金崎」である。思い込みとは恐ろしいもので、富士山がほとんど見えないことも、キャンプ場がないことも、駐車料金がかからないことも、ぜーんぶ、これは変だと疑いもしなかった。黄昏色に染まる黄金崎の眺望は例えようもなく美しかったが、「憧れていた場所じゃなかった」失望感は半端なく、いっそこれから雲見まで飛んでゆこうかと思ったが、「あそこは管理人のおじさんが帰る5時頃までじゃないと入れない。」と聞き、泣く泣く諦めた。
翌日、今度こそ本当の憧れの地を訪れた。夕照も良い感じだったが、「500円の呪縛」に囚われていた私は、日没後、やきもきしながらちょっとだけ撮影した後、迷うことなく大急ぎで退出する。「ギリギリセーフで間に合った」。散財を免れた私がほくそ笑みながら、近くの日帰り温泉に立ち寄ったその時、見上げた空には満天の星が輝いていた。その瞬間、私は悟った。3000円払ってでもこの星空を撮るべきだった……と。
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一カ月後、またしてもキャンプ場を再訪した私は、「やっぱりもったいないな」と思いながら、宿泊料3000円コースを選択したが、残念なことに夜は曇ってしまい、星の撮影はできなかった。代わりに海に面した宿泊者専用のお風呂に浸かり、知らない人が燃やしていた焚き火を遠目に眺めながら、ゆったりと夜を過ごす。帰宅後、勘違いで訪問した黄金崎と大急ぎで退出した雲見と一泊した雲見の写真を比べてみる。皮肉なことに、黄金崎の黄昏が一番自分好みに仕上がっていた。
おっちょこちょいも、たまには役に立つものだな。でも、寒さに震えつつも窓を開け放ち、夜の海を眺めながら浸かった雲見の湯を思い出すと、不思議に幸せな気分になるのだった。
最近流行のソロキャンプに、ちょっとだけ憧れます。でも、写真に熱中しだした頃、「桜の季節は撮影が忙しすぎて、一生、(普通の)花見はできないな」と思ったのと同じ理由で、一生、のんびりキャンプすることはない気がします。
写真・エッセイ:星野佑佳
風景写真2021年1-2月号