迷える季節(長野県・聖高原)
「久しぶりだね、星野さん。元気にしてますか。」
冬の初め、信州のN村さんに電話してみた。夕食直後の時間帯だったが、N村さんの声は思いがけず眠たげだ。しまった。毎朝、撮影に出るN村さん、もう寝ていたのかも。慌てた私は「また冬に伺いたいので、よろしくお願いします」と、簡単な挨拶だけで切り上げた。
信州在住のプロカメラマンN村さんはとても気さくな方で、気軽に笑顔で情報を発信してくれるので、つい頼りにしてしまう。24時間、陽気で元気で今にも歌い出しそうなイメージのN村さんだったが、さすがに寝るときはトーンダウンするんだなと、意外な一面を垣間見た気がした。
さて、いよいよ冬本番。悩める季節がやってきた。ここ数年、信州でダイヤモンドダストを狙っては撃沈し、流氷を期待して渡道しては待ちぼうけを喰らい、なんとか冬の絶景をものにしたいと、毎日毎晩、何種類もの天気予報やライブカメラを見比べては悩む日々が続いている。京都の自宅にいても現地の真っ暗なライブカメラに目を凝らし、これから信州までひとっ走りするかと迷ううちに、もう間に合わない時刻になり、それでも自分の判断が正しかったか確かめたくて、朝一番にライブカメラの映像をチェックしたりと、体力気力の無駄使いも甚だしい。現地にいる時も落ち着かない。町から目的地の山を見上げて、雲がかかっているとか、星が輝いているとかで、ある程度の霧氷予測がつくのだが、方向音痴の私は、見当違いの山を見上げて一喜一憂していたりする。究極は霧氷がつきそうな 山で車中泊をして、早朝、霧氷していなければ別の場所に移動するという、ものすごく効率は悪いが確実な手段に頼るが、とにかく霧氷がつかなければ、すべて無駄な努力に終わってしまう。
この朝もいつもの山で寝ていて、夜中の霧氷チェックが見込みなしだったので、急遽、N村さんと合流して聖高原にやってきた。景観にロッジが佇む聖高原は、実はあまり好みではなかったので渋々だったが、「他で霧氷していなくても、ここは霧氷している」というN村さんの予測通り、聖高原は純白の霧氷に包まれていた。風の強い朝で、ビュンっと突風が吹くたびに雪粒がパッと飛び散るのがとても美しい。あっちを向いて撮っていると、こっちの雪が舞い飛ぶ気配がして慌てたりと、心地よい忙しさに顔は緩みっぱなしだ。
なんとか霧氷に出会うことができ、一旦京都に帰宅した私は、数日後の霧氷日和に、どんなだったかが気になって、N村さんに電話してみた。5分ほどのとりとめのない会話の後、聴きたかった質問をぶつける。
「今朝の聖高原はいかがでしたか?」
すると、N村さんから「聖高原なんて、行ってないよ」と、まさかの回答。
「え? 今日も行くっておっしゃってましたよね?」
食い下がる私に、N村さんが衝撃の一言を放った。
「誰か他の人と間違えてるんじゃない?」
私は慌てて、携帯の画面を見た。アドレス帳の表示は「N村・写真」。写真関係のN村さんで間違いない。が、次の瞬間、私は「あっ」と叫んだ。電話帳を展開すると、「N村・写真」の下に「N村・信州」の名前がある。私が信州のN村さんだと信じて電話していた相手は、ずっとご無沙汰している別のN村さんだった。道理で会話が噛み合わないわけだ。
「すみません、すみません。N村さん、お久しぶりです」。一体、いつ頃から、何度くらい、かけ間違えていたんだろう。リダイヤルでかけているから、もしかしたら、この冬ずっと、別のN村さんにかけていたのかもしれない。
平謝りした後、信州のN村さんに電話をかけ直す。
「今朝はねえ、もんの凄く綺麗に霧氷してたよ!」
電話の向こうから、いつもどおりの元気で明るいN村さんの声が響いてきた。
先日のリモート会議で、パソコン内蔵カメラに映し出された自分の顔に衝撃を受ける。たぶん実物以上に望ましくない感じである。これはまずいと、化粧アプリを導入。これで怖いものなしになりました(笑)
写真・エッセイ:星野佑佳
風景写真2020年11-12月号