紅葉、どこまでも(宮城県・鳴子峡)
ズラリと並んだ三脚に、立ちすくむ。紅葉の樹海を見下ろす歩道沿いには、もう入り込む隙がないほどたくさんのカメラマンが集まっていた。錦秋の鳴子峡を訪れた数年前。15年以上前に来た時には、観光客は多いものの、皆、さっと見るだけで帰っていくので、こんな激戦は予想できなかった。東北の紅葉名所がこれほどカメラマンばかりで混み合うのは珍しい。いったい何が起こったのかと首を傾げながら、潜り込める隙間を探し歩く。そのうち、皆、並んではいるけど、撮る気配がないのに気がついた。不審に思いながら、話しやすそうな若者に、「すみません。5分で済むから、ちょっとだけ撮らせてもらえませんか?」と頼んでみる。
「いいっすよ」
若者はあっさり三脚をたたみ、スペースを作ってくれた。
「え?」
あまりに屈託なく譲ってくれたので、「撮らないんですか?」と尋ねると、列車を待っているらしい。そういえば、紅葉の絶壁にコンクリートのトンネルがあり、無粋だなぁと思っていたが、列車が走るんだ。
「まだ時間あるから、ゆっくり撮ってもらっていいっすよ」
どこまでも気のいい若者に、どんな車両が来るのか聞いてみると、近くにいた人がA4サイズのプリントを差し込んだファイルを見せてくれた。
「これ、これが来るんですよ。」
何種類かタイプがあるようだが、どれも地味な普通の電車に見える。SLとか黄色や赤色のおもちゃみたいな車両なら撮ってみたい気もするが、紅葉最盛期の今、ここで時間を費やすわけにはいかない。彼らがしばらくは暇だとわかったので、自分の撮りたい紅葉のアングルを見つけては、「5分だけ」と頼んで撮らせてもらい、列車が来るのを待たずに鳴子峡を後にした。いわゆるレイルファンの人々と会ったのは、これが初めてだったが、みんな気持ちよく譲ってくれたのには驚いたし、ありがたかった。
*
さて、昨秋。前夜の予報では曇りの朝、どこに行くか迷うなか、久しぶりに鳴子峡へ向かった。さすがに日の出まもなくの時間だと誰もいない。期待はゼロだったが、天気が早めに回復したのか、着いて間もなく、朝日が差し込み、霧が湧いてきた。眩しさに目を細めながら、慌ててハレ切りをして撮影。鳴子峡の朝がこんなにドラマチックとは知らなかった。
ひと通り撮った後、気をよくした私は、ふと、「電車って何時頃、来るんだろう?」と欲が湧いてきた。今なら一番いい場所を確保できる……。鉄道には全く興味のない私だが、欲深さは人一倍。いや、好奇心には抗えず、一目、電車を見て(撮って)いくことにした。そうこうするうち、ちらほら鉄ちゃんっぽい人たちも集まり始め、1時間ほど待つ間にはずらりと三脚がならび、いよいよ列車が通過。周囲のけたたましいシャッター音に急かされて、私も連写する。
「よし、撮った!」
が、ふと周りを見ると、みんな望遠レンズを付けている。え?私は14ミリの広角レンズ。壮大な紅葉の絶景の中、白い列車が、言われなきゃわからないほど小さく写っていた。あれ?なんか私、やっちゃった?
カメラは高画素機なので、拡大すれば車両の白地に赤や黄色のラインがちゃんとわかるけど、なんか、しくじった感が残る。次はもうちょっと望遠で……と、もう一回チャレンジすることにした。が、望遠レンズで待機しつつも、通過時刻が近づくと、「でもこの無限の紅葉がもったいない」と広角に付け替えてしまう。次こそはもっと望遠でと、結局11時台まで居残り、最後はやっと24ミリに辿り着いたところで自分の限界を痛感したので、次の紅葉風景を目指して鳴子峡を離れた。
好奇心と煩悩は人並み以上だが、やっぱり私は生粋の風景写真オタクだなと再認識した鳴子峡。14ミリレンズで撮った画像に写る豆粒より小さい列車を眺めながら、いつかあれに乗って、車窓から紅葉の絶景を撮ってみたいと思うのだった。
鉄道写真家の助川康史先生曰く、鳴子峡を走るのは、「電車」じゃなく「気動車」らしいのですが、初めて耳にする言葉だったので、「列車」呼称に(私の心の呟きは馴染み深い「電車」呼称にしています)。11時台に24mmで撮影したのは人気車両の「風っこ」だとか。奥深い世界です。
写真・エッセイ:星野佑佳
風景写真2020年9-10月号