フォトグラファーとして50年、心は少年のまま
私の名前はジム・ブランデンバーグ。アメリカのネイチャー・フォトグラファーです。キャリアの大部分をナショナル・ジオグラフィック誌のフォトグラファーとして、また映像作家としてテレビの仕事をしてきました。今日は、ニコンD800を試すため、フランスの西海岸に来ています。この素晴らしいカメラを最初に使う一人に選ばれ、光栄に思います。
子供のころの私は、恥ずかしがり屋で口数が少ないタイプだったので、早くから「視覚的な言葉」を発達させていました。カメラはこれにはなかなか役立つ道具でした。ふらっと出かけては動物を撮って、戻って家族に見せるのです。 最近ヨーロッパで私の過去の作品を一同に集めた写真展が始まりました。私は50年も写真を撮っているのですが、この写真展には私の最初の一枚も展示されています。15歳のときの写真です。こう言うと、今は65歳になりましたが、50年もあまり長く感じられませんね。
50年を振り返ってみて、写真が仕事だとは思えないことがあります。写真は今なお趣味のようで、とても楽しいのです。自分のために撮っているのです。誰かに依頼された仕事としてだけではなく、自分自身の楽しみのために。まさに写真を撮り始めたころのように、です。まだあと数年はやれるというのに、最近、過去を振り返ってみることがあります。私のキャリアはとても恵まれていました。信じられないくらいに幸運でした。世界中で行きたい場所には全て行きましたし、やりたかったのにできなかったことはもうありません。ですから、単に編集者やアートギャラリーのためだけではなく自分のために撮る、なんていう大切なことをするのに適した時期なのです。
孤独との闘い
一部の人は、クリエイティブな分野でやる気を持続させ、前向きにあり続けることがどんなに大変か、なかなか理解してくれません。フォトグラファーは、常に旅をしてエキゾチックな場所へ行くなど、楽しく刺激的な体験ばかりしているように表向きは見えるでしょう。しかし実際にはたやすく燃え尽きてしまうので、高い意欲を持ち続けられるように留意して、創造性を失わないようにしなければなりません。こうしたことは多くの人には理解されません。時々私の家族や友達でさえ、私は常に休暇を楽しんでいるのだと思うようですが、実際には過酷で寂しくもあるのです。私は大抵、一人で仕事をしますし、キャリアの大部分は一人で活動してきました。それが有利なときもあります。一人なら柔軟に動けるので、事態に即して素早く動くことができる一方、夜中の12時まで昼寝をしたっていいのです。でもときには、誰かと話したい気持ちになります。この仕事には、こうした両極端の厳しさがつきまといます。
ネイチャー写真を極めるための情熱
私のやる気の一番の源泉は、自然そのものです。自然に囲まれているのが何より好きですし、カメラは次々と興味深い場所へと導いてくれます。カメラがなかったら、私は自然界をこんなにも深く追い求めることはなかったでしょう。もう一つは、ストーリーテリングへの情熱です。情報を伝え、この世で見たものを教えるのが好きなのです。私はどうやらカメラで物語を伝えていくために生まれてきたのです。
もちろん、環境保護のメッセージを伝えるのも、私にとって大切です。私が生まれ育った自然の地形、つまりグレート・プレーンズ※の野生の草原を守るため、アメリカで長年活動してきました。実際、自然保護の意識を芽生えさせるために、骨を折ってきました。私の写真でほんの少しでも世界を変えられれば、私の写真家人生のハイライトになるに違いありません。特に力を入れてきたのはオオカミの保護活動です。動物の歴史の中で、オオカミほど誤解され、悪者にされてきた動物は他にいません。私の写真が数点でも、こうした驚くべき素晴らしい生き物に対する保護意識の芽生えに繋がったことを、誇らしく思っています。
※北米大陸の中西部、ロッキー山脈の東側とプレーリーの間に南北に広がる台地状の大平原。
写真に不可欠な要素とは
表現豊かな写真に必要な要素は3つです。まずは意味。ただ美しい風景ではなく、歴史的に意味があるとか生物学的に面白いなど、何らかの背景が必要です。次に光。私も道具は大好きですが、道具は道具でしかないのですから最重要ではありません。道具よりも、十分な良い光の方がはるかに重要で、3つ目の要素である思いや情熱などと同じぐらい大切なのです。しかし思いや情熱は、実は一番重要かもしれません。
準備の重要性
英語には「serendipity(セレンディピティ)」という素晴らしい単語があります。幸福な偶然、もしくは予期せぬ幸運な瞬間、といった意味です。そういった偶然は写真には不可欠ですが、準備なしにその瞬間を捉えることはできません。準備には、念には念を入れて突き詰める、という日本的な慣習が必要です。その心構えを何年も常に持ち続けていれば、特別な瞬間が来たとき直感が働いて、写真に収めることができます。カメラや他の装置も同じです。魔法の瞬間がきたら、すぐさま捉える準備はできています。何年もかけて追究した、視覚的な言葉が備わっているはずです。慣れ親しんだ機械はまるで手指の一部のようになじみ、カメラとの一体感が感じられるでしょう。こうしたことは不可欠です。バイオリンの練習と同じなのです。多くの人が写真は簡単で、カメラを手に取りさえすれば写真は撮れるものだと思っています。でもバイオリンのように、30年もしくはそれ以上練習を積み重ねて、ようやくうまく撮れるようになるのです。
高画質カメラとネイチャー写真家
私が16歳ぐらいのころ、写真で食べていける腕のいいフォトグラファーは、非常に少数でした。およそ50年後の今、そういった写真家は極めて多く、数え切れないほどです。作品を売ろうとするネイチャー・フォトグラファーも何千人もいて、これは良いことだと個人的には思っています。常識を覆しキャリアを一転させるような質の高い写真は、ほぼ毎年生み出されています。かつて私がコダックのフィルムで撮っていたころと比べると、信じられないほど恵まれていて、まるで別世界です。D800を持って過去にさかのぼり、暗すぎて撮れなかった夜の森のフクロウなど、いくつもの素晴らしい瞬間を撮影できたらいいのに、と思います。こうして以前は不可能だったことを数千のフォトグラファーができるようになった一方、写真で身を立てていくことは結果的に、以前よりも難しくなってしまいました。しかし良い面もあります。この世界は今だかつてないほどまんべんなく、そして、驚くべき形で写真に記録されているのですから。
D800はこの動きに貢献するでしょう。写真の常識を覆すだけでなく、その性能は多くのフォトグラファーのキャリアを一転させることができます。このカメラが作り出す36.3メガピクセルの写真は、中判フィルムの画質にほぼ匹敵します。私がアート写真や限定販売写真をプリントするときに極めて有利です。このカメラで撮った写真なら、さらに拡大することができますから。中判カメラは大好きですが、大きくてかさばります。しかしD800が発売されたことによって、中判の高品質な写真をより小さなカメラで撮れるようになり、望遠を含めた様々なレンズも用いることができるようになりました。プリントが上がるのが待ち遠しいです。
D800に対する世間の反応には面白いものがあると思いますよ。私の最初の驚きは36.3メガピクセルでした。なんて高精細なのか、と。次はムービーの性能です。中判クオリティの静止画と極めて高品質の動画が両方撮れる一体型なのですから。アート写真も、望遠レンズを用いたネイチャー写真も、動画も、1台でまかなえるようになりました。これは驚くべき柔軟性です。
プロフィール
生まれ育った米国ミネソタ州を中心に活動するネイチャーフォトグラファー、映像作家、そして環境保護運動家。ナショナル・ジオグラフィック誌の契約フォトグラファーとして30年以上にわたって活躍したほか、映像作家として様々な国のテレビ局と手を組んできた。『Chased by the Light』『White Wolf』など、ベストセラーになった写真集も多数。National Press Photographer's Association(全米報道写真家協会)のMagazine Photographer of the Yearに2度選ばれるなど、米国内外で様々な賞を受賞している。