フォトジャーナリストとしての在り方
フォトジャーナリストは、危険でストレスの多い職業ですが、同時に素晴らしい生き方でもあります。現場で起きているリアリティから目を背けることは許されず、どんなに経験を積んでも、その状況とそれを取り巻く人間の感情を受け入れることは簡単ではありません。フォトジャーナリストには、伝統的なジャーナリズム精神を貫く人、プロとしての規律を重んじる人、または人道主義的な課題に取り組む人などがいて、それぞれが様々な見地で活動しています。そこでひとつだけ共通しているのは、カメラという道具を使ってメッセージを伝えるという行為です。フォトジャーナリストたちは、遠く離れた地域で個人プロジェクトに従事していようと、最先端のホットスポットで仲間達と働いていようと、その道具で捉えた映像によって、私たちに「人間とは何か」を考えさせてくれるのです。
フリーで活動するフォトジャーナリストは孤独なものです。しかし、同じ取材を行う他のメディア関係者たちと時間を共にするにつれて、次第に仲間意識が芽生えてきます。その仲間は生涯を通じての友となり、世界にフォトジャーナリストのコミュニティが形成されるのです。滞在先ではお酒を飲みながら取材に関しての情報を交換したり、冗談を言い合ったり、本音で討論したり、地元のビールについてうんちくを語ったり…。一旦現場にでれば、お互いに協力し合います。そんな人間関係を通して敬意が育まれ、結果として仕事へのインスピレーションが湧いてくるのです。フォトジャーナリストに求められるのは、エイズや紛争などの世間の注目を集めるテーマであれ、日常のドキュメンタリーであれ、真実を公平でありのままに、かつ有益なかたちで読み手に伝えることです。フォトジャーナリズムは、人々の苦悩や希望、願いや教えなどを世の中に伝えてくれるのです。
ジャーナリスト達の写真の考え方はさまざまです。例えば、目の前の現実をアートとして捉え、凝った構図でビジュアルへの高いこだわりを示そうとする。それはまるで、取材対象と同じくらい写真家である自分自身の作風を読者に伝えたいかのように。逆に、いわゆる「優れた写真作品」をつくるよりも、そこで起きている「真実の記録」を重視する人もいます。世論に影響を与え、ひいては社会的・歴史的な意義をもつことができる写真を目指そうという人達もいるのです。
生き残るためには、進化を続けなければならない
私は25才までプロのギタリストでした。ドキュメンタリー写真、とりわけフォトジャーナリズムへの興味を抱き始めたのはちょうどその頃です。音楽への情熱が失せ始め、写真家へとキャリアを転向したのです。
まだ若い頃の話です。私は病院の待合室でライフ誌をパラパラと眺めていました。すると突然、ベトナムのソンミ村虐殺事件の衝撃的な写真が目に飛び込んできました。そのときの心の揺さぶりは今でも鮮明に覚えています。当時、これからどういう写真を追い求めていくか、を考えていた時で、その体験から大きな影響を受けたことは言うまでもありません。
それ以後は、幸運にも恵まれて幅広い国や地域で取材を続けることができています。中東、ヨーロッパ、オーストラリア、アジア、特に東ティモールの独立紛争と、インドネシアの民主主義への第一歩について取材できたことは貴重な経験となりました。しかしながら現実は厳しいもので、フォトジャーナリストという職業だけで生計を立てるのは楽ではありません。仕事が少ないときは、少しでも稼ぐために、また個人プロジェクトを実現させるために、オーストラリアの映画業界でスチール撮影の仕事もこなしています。
今、旧来型メディアが大きな変貌のときを迎えています。新聞、出版業界からの仕事の依頼やギャラも減少しているという現実はありますが、私はこの状況を楽観的にみています。新しいメディアが生まれるということは、新しいチャンスが生まれるということ。つまり、仕事の進め方や映像の見せ方も変わっていきます。フォトジャーナリストは、これまでとは違う「伝え方」を模索しなければなりませんし、取材対象の方々への責任を果たさなければなりません。さらに、生計を立てる必要もあるのです。SNSもコミュニケーションの方法を大きく変えたメディアのひとつでしょう。大多数の人が、タイム誌やニューズウィーク誌の見開き10ページ分に相当するよりダイナミックなデジタルメディアに、当たり前のようにお金を払って、オンライン上で記事を読むときがすぐそこまで来ています。
デジタル化によってより良い写真の表現やコミュニケーションの方法が生まれました。生き残るためには、私たちもそれに合わせて進化しなければなりません。変化を見極め、その変化から得られるメリットを最大限に活用する必要があります。フォトジャーナリズムは、キャリアであると同時に生き方そのものです。歴史的な出来事を生の現場で見て、それを正確に記録して世の中に伝える。それは、フォトジャーナリストに与えられた特権だと言えます。
名誉であり、チャンスであり、何よりも喜びである。
私がニコン・アンバサダー(大使)に任命されたことは、とても名誉なことです。さまざまなチャンスにも恵まれていて、何よりもこの上ない喜びです。他のアンバサダーの方々は、私が活動していく上での励みであり、貴重なニコンの同志として、この地位を共に楽しんでいます。ニコンとの付き合いは長く、この仕事を始めたその日から、ニコンの機材には絶対的な信頼をおいています。NPSに至っては、他の会社には真似のできない最高のサービスを提供してくれます。
カメラバッグの中身
私のナンバーワンカメラはニコンのフラッグシップD3Sです。常用レンズはAF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED。加えて、明るい単焦点のAF-S NIKKOR 35mm f/1.4G とAF-S NIKKOR 85mm f/1.4Gの2本も必ず持ち歩いています。この組み合わせさえあれば、昼夜を問わず撮りたいものがほぼカバーできます。以下、私の所有機材です。
カメラ:D3S、D700、D300S、D7000、加えて今や製造中止となっているフィルムカメラF2AS、FM2、またF100は数台ほど所有しています。
NIKKORレンズ:AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED、AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR II、AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR、AF Nikkor 20mm f/2.8D、AF-S NIKKOR 24mm f/1.4G ED、AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G、AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G、AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G
ニコンスピードライト:SB-900×1台、SB-800×2台
プロフィール
ウォークリー・アワード賞受賞。アジア、中東、ヨーロッパ、オーストラリアの国内・国際誌に多数の写真を掲載するフォトジャーナリスト。掲載雑誌はル・モンド紙、スターン誌、エクスプレス誌、フォーカス誌、オーストラリアン・ジオグラフィック誌、ブリテン誌、ニューヨークタイムズ紙、フォーチュン誌、タイムオーストラリア誌。Australian War Memorial book ContactにPhotographs and the modern experience of warを掲載、War:にA Degree South Collectionを掲載。オーストラリアの映画業界でスチルフォトグラファーとしても活躍。最近の参加作品は、"Cloudstreet"、"Underbelly Razor"。
2002年1月、国際ジャーナリスト連盟から協力を求められ、パキスタンのペシャワールで行われたアフガニスタン・ジャーナリストの安全喚起活動に参加。2003年4月と5月、朝鮮戦争以来初のオーストラリア戦争記念館のオフィシャル戦場フォトグラファーとして中東でのファルコナー作戦を取材。Reportageの創設者の一人であり、FotoFreo Photographic Festivalのディレクターを務める傍ら、ウォークリーの顧問役員でもある。オーストラリアではSOUTH、アジアにおいてはOnAsia Imagesの代表を務める傍ら、オーストラリアのニコン・アンバサダーとしても活躍中。