ふたたび「見捨てられた土地」へ。
今、西アフリカの小さな国、ギニアビサウでこれを書いています。私がここにいるのは、10年前にフォトグラファーになるきっかけになった村をふたたび訪ねるためです。当時、私は若くまだ未熟でした。そこでの撮影許可を申請すると、喜ぶべきと同時に恐ろしいことでもありましたが、うまく許可が下りたのです。しかも、その年に同じく申請していたナショナル・ジオグラフィックのフォトグラファーたちを押しのけて。私は戸惑いを隠せず、怖くなりました。おそらく、戦争によって引き裂かれたこの国にある小さな村を取材したいという私の企画提案に、審査員が何かを感じ取ってくれたのでしょう。
時は流れ、2011年。ギニアビサウはあまり変わっていませんでした。大統領官邸の優美な外壁には今でも銃弾の痕が残り、内部は過去10年以上にわたる内戦で爆破された状態で真っ暗です。この地域で活動するある救援組織は、首都で約3,000個の対人地雷を掘り出し、地方ではいまだに不発弾を見つけるそうです。政治の腐敗、荒廃した経済、そして不安定な社会情勢が都市の中心部にはびこり続けています。また、崩壊しつつあるインフラや隣国セネガルの分離独立派との小競り合いで、何千人もの住人が国境周辺地域に避難しています。そんな地域での経験があるにもかかわらず、今ふたたびこの土地を訪れることは、10年前と同じように怖いことでした。
ギニアビサウは見捨てられた土地です。到着する航空機は週に何便もなく、救援組織もほとんど存在しません。今アフリカに残された唯一の麻薬国家、ドラッグカルテルによって支配され、腐敗させられた国と言われています。最近の国連のレポートにあるように、ここには犯罪者が必要とするもの全てがあります。資源と戦略的な地域特性、脆弱な統治機能、そして犯罪者になるしか生きる道のない兵隊要員の無尽の供給源が備わっています。この今にも爆発しそうな国がいっそう不安定になるのではないかと多くの人が心配しているのです。
ビザの取得も簡単ではありません。領事館や大使館の電話番号へかけてもつながらず、隣国セネガルへのフライトは国境周辺の紛争で何週間も欠航に。ようやくニューヨークの番号につながったと思えば、対応してくれた女性は国連スタッフで、過去7年にわたり事務所代を支払えない国に代わって自宅を領事館として運営してきたといいます。少し言葉を交わした後で、「あなたのこと知っているわよ!」と彼女は笑いながら言いました。「10年前、ビサウ行きの飛行機で私の隣の席だったわね。私の娘と一緒に写っているあなたの写真を今でも持っています」。私はとても感激して、そのとき強烈な思いに駆られました。どんなに困難な状況にあっても、その場所を特別な場所にしてくれるのはいつも人間で、人とのつながりこそがその困難を乗り越えさせてくれるのだと。
ひとたび降り立つと、不安は消え去りました。私は以前、この土地の言語であるプラール語を学んだことがあります。またうまく使えるように、複雑な挨拶などを思い出すことを旅の準備で最も重視していました。言葉は私を守ってくれます。公共の移動手段を使って村まで行く途中、乗客たちは驚きと喜びを込めて私を見つめました。彼らは一人の外国人女性が自分たちの言語を理解しようとしていることが嬉しかったのでしょう。私は誰からも敵意を感じることはなく、それどころか笑顔で迎え入れられ、荷物を手伝ってもらいました。村の女性達は私を見るや、駆け寄ってきて歓迎してくれました。私が泣けば彼女たちも泣く。ともに笑って夜まで語り合いました。私はそこで12日間を過ごし、話を聞いて、写真を撮りました。
初めての訪問では、ギニア人にとっては毎日が戦いなのだということを学びました。同時に、彼らに多くのことを教えてもらい、生活の中にある本当の美しさや悲しみに気づかせてもらいました。こういった体験を通して思うのは、こんなに距離や生活様式が離れていても、私たち人間はなんて似ているのだろう、ということです。
2001年の最後の夜、満天の星空のもと子供たちと一緒に座って話をしていたときのことです。その中の一人、アリオが無邪気に問いかけてきました。「アメリカにも月があるの?」彼がアメリカという土地は全く別の世界に存在していると感じていたことが、象徴的であり感動的でした。今回の訪問でまたアリオと会うことができました。今や彼は携帯電話を持ち歩き、世界観もしっかり持った青年です。彼に月の会話を憶えているかと質問すると、恥ずかしそうに笑って言いました。「もちろん憶えています。太陽も月もそれぞれにあるけど、今はあなたがここにいるから一緒に見られるんですよね」と。どんなに絶望的で悪化するばかりに見える場所でも、この地球上のほとんどの人々は同じ価値観を共有していると感じます。私は、思いやり、平和への意識、寛容さ、コミュニティーの意味などについて、同じ感覚をもっている多くの人に出会います。そして私たちはみな、蜘蛛の糸のような複雑な編み目でつながっているということを、月を見るたびに思い出すのです。
今回アフリカに持っていった機材
2001年の時は、カメラ、レンズ、それとフイルムが入ったバッグのみでした。しかしテクノロジーが飛躍的に進化し、かつスチルだけでなくビデオも撮影する必要がある昨今、機材の選択には非常に悩まされます。特に今回のような僻地では電気がないため、事はいっそう面倒になります。すべてを一人で持ち運ぶため、軽量化が何よりも大切です。
2台のNikon D7000に、レンズはAF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR II、そして最近気に入っているアオリ撮影が行えるPC-E NIKKOR 24mm f/3.5D EDの3本。そして、三脚、スピードライト2台、バッテリー&チャージャー、プリアンプとマイク、サンディスクのメモリーカード数枚、 ラストライトのレフ板、10インチのノートブックパソコン、ファイル保存用の1TBハードドライブ2台を用意して、全てをひとつのバックパックに詰め込みました。電源にはGoalzero Sherpa 120のソーラーパネルを使っていますが、これは魔法のように素晴らしいツールです。
私のゴールは、意義のあるストーリーを伝えること
75に及ぶ国々を訪れた私を、人は旅人と呼ぶかもしれません。しかし、私の仕事は旅することでも、そこで美しい写真を撮ることでもありません。私の仕事は、人々に密着し、彼らの生活や私たちが住んでいる世界のことをよく聞いて、よく観察することです。そうすることで、意義のあるストーリーを伝えることができ、より多くの人々に事実を知ってもらい、結果として物事がより良い方向に進むための力になれればと思うのです。これまで数多くの社会不安や貧困、そして壊れされていく生活を見てきましたが、より重要なことは、その中で、人間の精神に宿る美しさや耐えしのぐ力を発見したことです。世の中には、まだ語られたことがない大切なストーリーが沢山あります。それを伝えることが私の使命です。
カシミール、そして留まることの大切さ
私はインドに住んでいた6年間のうち、4年余りをカシミール地方で過ごしました。初めて訪れたときに、その場所は私の心を捉え、それから毎年そこで撮影ができるようになんとか仕事を作っていきました。いくつかの補助金も受けました。その経験が、私の人生の、そして世界に対する考え方の重要な一部となったのです。私は、あらゆる文化や紛争の中にある複雑さを理解するには、その場所に長い期間留まることが唯一の方法だと信じています。主要なメディアの問題点は、たった一日の取材で済ませてしまう、その姿勢にあります。ジャーナリストたちは、そこに存在する多様な見方を十分に理解するまで滞在することは決してありません。パラシュートで降りてきて、すぐさま帰るようなやり方は私には考えられない…。そんなことをすれば、複雑ないきさつやその背後にある歴史を見過し、ステレオタイプを含んだ派手なトピックとして伝えられてしまいます。
カシミールは信じられないほど美しい。私はこのような洗練された文化がどのようにして紛争へと巻き込まれていったのかを知りたくなりました。この土地がもつ伝統や自然の美、人々、そして文化。そのどれもこれもが悲嘆にくれるような事態になってしまいました。単に奇麗な写真は重みに欠けるかもしれません。しかし、私がフォーカスしたかったのは、戦争の思いもよらない側面と、それに巻き込まれてしまった人々です。私たちが人間性というものに触れなければ、解決はありえません。戦争に直面したとき、私たちは自分自身を見つめざるを得ず、どこへ行こうが人間は少しも違わないのだということに気づくのです。
私は精神面の負担がとても大きい仕事をしています。数々の悲しみを目撃してきたにもかかわらず、正直なところ、そうした体験ができたことに感謝しています。自分自身が成長して思いやりのある人間になれる気がするからです。希望がないことに対して絶望的にならずに、以前よりもはっきりと状況を見極めて、前向きに何かを変えていくための現実的なアイディアを持てるようになりました。変えるための道は何かしらは必ずあります。それを自分から始めるというのも悪くないのではと考えています。
自立することの重要性
私の仕事で最も大変なこと、それは常に寂しさと向き合わなければならないことです。これまでの数年間は特に忙しく、年間で家にいたのはわずかに2~3週間。世界中を旅することはとても魅惑的に聞こえるかもしれませんが、実際は、強い精神力や自立心が求められる仕事です。今までの経験を振り返ると、私はどうやっていろんな障壁を乗り越えてきたのだろう、と思うこともしばしばです。皮肉なことに、私は世界で一番良い仕事をしている、と感じています。一人で旅をすることが、考えられないような素晴らしい人々に会えるチャンスを与えてくれます。チームで行動している限り、彼らに出会うことはないでしょう。実際に彼らが私の人生を変え、私にあらゆる可能性を示してくれました。だからこの仕事を続けられるのです。一人でがんばることには素敵な側面もあります。
シャッターをきるとき、きらないとき
ある場所から次の場所へと世界中を旅し、きれいな風景や魅力的な人々の写真を撮るためにシャッターをきる。それはどれだけ大変なことでしょうか?私の経験から言えることは、本気で取り組もうと思えば、とてもきつい仕事だということです。それで生活していくとなればなおさらです。正直、シャッターをきるのは仕事全体のほんの一部でしかありません。約10パーセントくらいでしょうか。その他はかなりのハードワーク。準備やリサーチ、編集、交渉、そしてストーリーの語り口を見つけること、などなど。誰も行けないような所へ行くことが大切です。そのためには、誰よりもその場所や被写体について詳しくなる必要があります。もし、この仕事に憧れている方がいらっしゃれば私からのアドバイがあります。例えば、身近なところにあるストーリーを探してみてはどうでしょうか?ひょっとすると、それはあなたの裏庭で見つかるかもしれません。そしてそれを深く掘り下げて自分のものにしてください。わざわざ遠い外国に行かなくても良いのです。大切なのは自分独自の視点で、他の誰よりもうまくそのストーリーを語ることです。これを続けていけば、自らのキャリアが自然に形成されていくことでしょう。
自然環境保護団体のこと
最近取り組んでいる自然環境保護団体(Nature Conservancy:ネイチャー・コンサーバンシー)の仕事で、ミクロネシアやマーシャル諸島の熱帯気候から、西オーストラリアの荒れた地形まで、11にもおよぶ多様な景観を巡るという、めったにできない経験をしました。中国やコスタリカ、ボリビア、メキシコ、アラスカなども訪れました。長い年月、世界の紛争地帯を取材し、人間という生き物が無情に押しつぶされるさまを目撃してきた私にとって、この仕事はまさにプレゼント。私に希望をもたらし、世界の見方を変えさせてくれた出来事となりました。
このプロジェクトには世界的に有名なデザイナー、例えばYves Behar、Stephen Burks、Hella Jongerius、Maya Lin、Isaac Mizrahiなどが参加しました。これらのアーティストたちは再生可能な資源をそれぞれの地域から採取し、作品として仕上げ、地域の住民が限られた再生不可能な資源に頼ることなく生活できるようにサポートするのです。多くの場合、地球環境を守ろうとしている人々のグループには、その地域の住民が参加していないことが多いため、この企画はとても素晴らしいコンセプトだと思っています。このような環境が脅かされる地域に住む人々は、私たちによって機会が与えられれば、自らの運命を決めることができる、ということを理解する必要があります。
メディア環境の変化とビデオへの挑戦
メディア環境が変化し、ビデオはいまや大きな役割を担っています。カメラを使ってHDビデオを撮影できるスチルデジタルカメラが登場し、ストーリーの語り手である私たちの能力をいっそう高めてくれます。ビデオは私のキャリアにおいて、これからも間違いなく大きな役割を果たすことでしょう。実は、私がビデオの世界に飛び込むことができたのはニコンのお陰といっても過言ではありません。数年前に依頼された撮影で、ビデオ制作の経験が十分にあるかと聞かれたとき「もちろんです!」と答えてしまいました。わずかな経験はあったものの、実際にはかなりの勉強が必要なレベルで…。撮影までにはまだ時間があると思っていましたが、強行スケジュールのおかげで、結局は撮影地に向かう28時間の移動中に、急いでマニュアルを読みました。私は生涯最大のミスを犯してしまったかもしれない、と恐れながら現地に到着したのでした。これが、私がインドへのオマージュとして制作した映像作品です。
この決断がなければ、私はこれほど早い段階でビデオに挑戦していなかったでしょう。メディアが競い合いながら新しい方向性を探る中で、私は今まで以上に忙しい日々を送っています。これからも、多彩なメディや制作物に向けた、意義のあるストーリーを新しい方法で伝えていきたいと考えています。
昨年、私は映像の勉強のため学校に戻り、初めてとなるドキュメンタリー映像を制作しました。それはフィルムフェスティバルに投稿されます。新規のクライアントのために様々なショート・フィルムも制作しました。今はフォトグラファーやジャーナリストになることが非常に刺激的な時代です。このビデオという新しい技術もまた、私たちにより多くのチャンスをもたらしてくれます。古いビジネスモデルは危機に瀕していますが、未来は希望に満ちています。テクノロジーが仕事の仕方に変化を与える中で、私たちも自分自身の働き方を再定義するときがきています。
プロフィール
エイミー・バイターリは、フォトジャーナリストとしてあらゆる国や地域を訪問。彼女の作品は世界中の美術館やギャラリーで見ることができ、またナショナル・ジオグラフィック、アドベンチャー、ジオ、ニューズウィーク、タイム、スミソニアンなど多くの雑誌にも掲載されている。また、さまざまな作品を通じて、World Press Photos(世界報道写真財団)、Lowell Thomas Award for Travel Journalism、Lucie Award, Daniel Pearl Award for Outstanding Reporting、Magazine Photographer of the Yearなど、数多くの権威ある組織から賞や表彰を受けている。
現在はモンタナを拠点に、ナショナル・ジオグラフィックの契約フォトグラファーとして活躍中。アメリカ、ヨーロッパ、アジアと地域を問わず、頻繁にワークショップを行っている。また、バングラデシュにおける移民のドキュメンタリーフィルムを制作。自らの作品の背景にある物語を伝えるために、本の制作にも力を注いでいる。