高性能に生まれ変わった高倍率ズーム
Ai Zoom Nikkor ED 50-300mm F4.5
今夜は、第六十二夜で紹介したZOOM-NIKKOR AUTO 50-300mm F4.5の後継機として登場したAi Zoom Nikkor ED 50-300mm F4.5を紹介しよう。初代高倍率ズームZOOM-NIKKOR AUTO 50-300mm F4.5からどのように進化したのだろうか?
大下孝一
第六十二夜で紹介したように、このスペックの前モデルZOOM-NIKKOR AUTO 50-300mm F4.5は1967年に発売される。そして、1975年には外観とコートを変更したNEW ZOOM-NIKKOR 50-300mm F4.5にモデルチェンジされ、1977年にはこの光学系の最終モデルとなるAi Zoom-Nikkor 50-300mm F4.5が発売されている。この10年間、唯一無二の高倍率ズームとして君臨してきたわけだが、大きく3つの欠点を抱えるレンズだった。1つはサイズの大きさ、2つ目に焦点距離ごとの収差変化の大きさ、そして望遠レンズにつきものの軸上色収差である。そしてこの欠点を克服・改良すべく改良設計の探索が行われたが、残念ながら商品化までには至らなかった。
中でも対応が困難だったのが軸上色収差の補正である。この千夜一夜物語でも何度か紹介しているが、軸上色収差は焦点距離が長くなればなるほど補正が困難で、さらにズームレンズでは、焦点距離を変化させるズーム群があるため、望遠側での軸上色収差の補正は単焦点レンズに比べ一層困難なものである。実際、第六十二夜で紹介したZOOM-NIKKOR AUTO 50-300mm F4.5の望遠端の軸上色収差と、第七十夜で紹介したAi NIKKOR 300mm F4.5 Sを比べると、同じ300mm F4.5というスペックだが、50-300mmの方が40%弱軸上色収差が大きい。この軸上色収差の大きさが望遠端のフレアっぽさを生みだす原因だったのである。
この望遠レンズの軸上色収差解決の切り札となるのが、1970年代に開発されたEDレンズである。このEDレンズの登場によって50-300mm改良の動きが本格化するのである。
このレンズの設計を担当したのは飯塚豊(いいづか ゆたか)さんである。この千夜一夜物語では四十二夜、六十九夜に続く3度目の登場である。ズームレンズの設計を得意とされ、私が入社した頃には別の部署でTVカメラ用のズームレンズの設計などをされていた。
このレンズ設計の着手は明らかになっていないが1973年ごろ、遅くとも1974年はじめだったと想像される。設計をまとめるのに大変苦労をしたレンズだったと多くの人から伺っている。それはそうだ、従来のZOOM-NIKKOR AUTO 50-300mm F4.5という高倍率ズームをより小さく、しかもより高性能にしなければならないのである。ズームレンズは当然ながらズーム比が大きくなればなるほど、ズームで移動するレンズの距離が長くなるため全体として巨大化する。加えてズーム全域で性能を維持することが難しくなる。単純に小型化するには各レンズ群のパワーを強くしなければならないが、それには収差補正上の限界がある。今までの延長ではこの限界を突破できそうにない。そう感じた飯塚さんが試行錯誤の末たどり着いたのが、ズーム時1群が固定の新しいズームタイプだった。この新レンズタイプの試作は1974年10月にスタート。そしてこの試作品の組立・評価が実施され、一部レンズの硝材変更が行われることになり、量産立ち上げを経て、ようやく1977年5月に発売となったのである。
Ai Zoom Nikkor ED 50-300mm F4.5のレンズ断面図を図1に、外観写真を写真2に示す。
このレンズは、全体として凸屈折力をもつ第1群と、全体として凹屈折力の第2群、全体で凸屈折力をもつ第3群と、マスターレンズの第4群で構成される4群ズームレンズで、ズーム中1群と4群は固定で、2群と3群が移動することによって焦点距離を変化させる。そしてこの1群中の第2レンズにEDレンズが搭載され軸上色収差を格段に低減させている。
こう書くと、第四十二夜などで紹介したアフォーカルズームと同じじゃないかと感じられるかもしれないが、実は全く違うズーム構成となっているのだ。その1つがマスターレンズの4群が全体として弱い凹レンズとなっており、1~3群が全体として常に凸のパワーをもっているのである。そして、広角から望遠へズームする時、2群は常に像面側に移動し、3群は常に物体側に移動する。2群の凹レンズ群は像面側に動くことによって焦点距離を拡大する効果があり、同時に3群の凸レンズが物体側に移動することも焦点距離の拡大に寄与している。つまり、2群と3群のどちらの移動も焦点距離の変化に寄与しているのである。一方アフォーカルズームは、2群の像側への移動が焦点距離変化の大部分を担い、3群の移動は焦点距離の変化にほとんど寄与しない。この2群も3群も焦点距離変化を担う構成にすることで、少ない移動量で6倍のズーム比をもつレンズが設計できたのである。加えて4群のマスターレンズが凹のパワーをもつため、全長の短縮に寄与している。
しかしこのズームタイプのアイディアだけで、簡単に50-300mmのスペックが達成できたわけではない。このレンズは基本的には、2群が変倍群、3群が便宜上2群の焦点位置変動を補償するための補償群なのだが、このようにズーム方程式を立てて解いてゆくと、焦点距離200mmを超えたあたりでズーム軌道が描けなくなってしまうのだ。これをどう解決するか、飯塚さんは、2群と3群の役割を変えるアイディアに思い至った。先ほど述べたように、2群も3群も移動の方向は常に焦点距離を拡大させる方向である。ならば、3群を変倍群、2群を補償群と考えてズーム方程式を解いてもよいはずだ。そう考えズーム軌道を描かせてみると、同じように中間の焦点距離で軌道がなくなるが、逆に中間の焦点距離から300mmまでズーム軌道が描けることがわかったのである。そして、この2つのズーム軌道を調べ、カムがなめらかにつながるレンズの軌道を見出したのである。簡単に説明すると、このレンズは、50mmから中間焦点距離までのズームレンズと、全く同じレンズ配置で中間焦点距離から300mmまでのズームレンズをつなぎあわせたズームレンズなのである。このようなズーム軌道の変更をニコン社内では「乗り換え」というが、このレンズはこのズーム軌道の乗り換えを巧みに行ったズームレンズの好例といえるだろう。
そしてもう1つ、このレンズの隠れた秘密を紹介しよう。それは第4群先頭に配置された凹レンズである。この凹レンズを通過した光が常にアフォーカルになるように設計されているのだ。この意図はズーム軌道計算に都合がよかったなど色々考えられるが、個人的には凹レンズで一旦アフォーカルにすることによって、その像側の4群マスターレンズの構成に、4群アフォーカルズームで定番のレンズタイプを流用するためではないかと想像している。四十二夜で紹介したニコンレンズシリーズE 75-150mm F3.5のレンズ断面図と比較すると、4群の構成が似ていることがおわかりいただけるかと思う。
それではいつものように実写でレンズの描写をみてゆこう。八十八夜、九十夜とDXレンズが続いたが、今回は久しぶりにフルサイズミラーレスカメラZ6にFTZを装着して撮影を行った。Aiタイプのマニュアルフォーカスレンズは、FTZに装着時は実絞り測光での撮影となる。ただし電気接点を持たないマニュアルフォーカスレンズは、ボディー側にレンズ情報が伝達されないので、ボディー側で焦点距離や開放F値の情報を登録する必要がある。これを登録することで、撮影した画像のExif情報に焦点距離情報が記録され、ボディー内手振れ補正が正しく作動するようになる。ただし絞り環を操作してもボディーに伝達されないため、絞りのExif情報が変わらない点は注意が必要である。
今までこのZ6ボディーとの組み合わせで撮影したレンズは、いずれも単焦点レンズだったため、レンズ情報の登録は一度だけ行えばよかったが、今回はズームレンズなので、50mm、60mm、70mm、85mm、105㎜、135mm、200mm、300mmと焦点距離指標分のレンズ情報を予め登録しておいて、焦点距離変更の都度切り替えて使用した。面倒な作業だったが、手持ち撮影でボディー内手振れ補正が効く恩恵は大きかった。
第六十二夜で紹介したZOOM-NIKKOR AUTO 50-300mm F4.5と比較すると、質量で100g軽く、広角側の全長で45mm、望遠側では78mmも短い。2kgを超えるレンズで100gの軽量化は大したことがないように見えるかもしれないが、NIKKOR-AUTOが個人的に手持ち撮影をする気にならなかったのに対して、今回のAi Zoom Nikkor ED 50-300mm F4.5は手持ち撮影が可能で、以下の作例でも何枚かは三脚を使わず手持ちで撮影している。この違いは全長が短く、ズーム時に重心変動が少ないため、常に安定してホールドできるからである。ズーム時全長が変わらない意義を実感することができた。なお以下の作例はいつもの通り、RAWで撮影し、倍率色補正やビネッティング補正をOFFで現像している。(自動ゆがみ補正は、レンズの識別ができないためマニュアルフォーカスのAiレンズでは補正はかからない。)
作例1は、広角端50mm絞り開放で撮影した池の水鏡である。絞り開放ながら、画面中央の主要部分は極めてシャープで色収差も感じられない。一方画面のごく周辺では像の流れと解像感の低下が認められるが、フレアが少なく高いコントラストを維持している。この像の流れを目立たなくするにはF8からF11まで絞り込む必要がある。また開放では周辺光量の不足が感じられるが、この作例では効果的に作用していると感じる。
ちなみに、このような作例では目立たないが広角端では-5%の樽型歪曲収差があり、被写体によっては目立つことがあるかもしれない。
作例2は、焦点距離70㎜、絞りF8で撮影した梅の花である。深度をかせぐためF8に絞り込んでいることもあり、画面全域でシャープな画像となっている。なお歪曲収差は70mm前後でほぼゼロとなりほとんど目立たない。
作例3は、焦点距離85mm、絞りF8で撮影したカンヒザクラの写真である。ピントの合っている桜の花びらや幹の描写はシャープで、軸上色収差も画面周辺の倍率色収差も認められない。またボケた背景の描写もやわらかで、好ましいボケ味と感じる。
作例4は、焦点距離105mm、絞りF5.6で撮影したシダレザクラの写真である。花の形やサイズから、エドヒガン系統のシダレザクラだろう。画面中央は大変シャープだが、画面周辺の桜の花びらなどに注目すると、少しフレアがかっていることがわかるだろうか?これはコマ収差により発生するフレアである。このレンズでは、広角端、望遠端でほぼ完璧にコマ収差が補正されている一方、中間焦点距離でわずかにコマ収差が残存しており、100~135mmでもっともコマ収差が大きくなる。その影響があらわれているものだろう。一方背景のボケは素直で桜の花を引き立てている。
作例5は、焦点距離135mm、絞り開放で撮影した富士山の写真である。遠景にはかげろうの影響がみられるが、画面中央部はシャープで、画面周辺にゆくにしたがって、被写体の輪郭にわずかなフレアをまとっていることがわかるだろう。絞り開放で撮影しているため、前景の梅の花はボケている。画面中央部の前ボケは比較的すなおだが、周辺部のボケはラグビーボール状に変形し、またボケの片側のエッジの強度が強いため、やや同心に流れたように見える。これは画面周辺部のコマ収差の影響によるもので、焦点距離100~135mm前後で使う時にあらわれる特徴である。またこの作例では目立っていないが、焦点距離135~300mm域では糸巻き型歪曲が目立つことがある。
作例6は、焦点距離200mm、絞り開放で撮影したウラシマソウの写真である。花から伸びる長いヒゲ状の付属体を、浦島太郎が釣り竿を垂れているさまに見立てて名づけられたそうだ。背景のボケもすなおで、狙い通り春の陽光を再現してくれている。
作例7は、焦点距離200mm、絞りF5.6で撮影したウメの花である。F5.6に絞ったことで、作例6より背景ボケの変形も減り、全画面で一層均質なボケとなっている。色収差も目立たずシャープな描写である。
作例8は、焦点距離300mm、絞り開放で撮影したカタクリの花である。今までの解説からわかるとおり、高倍率ズームでありながら性能は良好で欠点の少ないレンズであるが、唯一の弱点といえるのが2.5mという最短撮影距離である。望遠端300mmでは撮影倍率が0.14倍とそこそこ寄れるが、135mmでは1/15倍、広角端では1/40倍までしか寄ることができないため、花のアップの写真ではどうしても200~300mmを多用することになってしまうのである。このカタクリも、もっと寄って撮影することができたのだが、最短撮影距離にレンズをセットしてピントの合う位置まで後退して撮影している。大きなボケで印象的な写真になったが、もっと寄って広角側で撮影したかったというのが正直なところだ。ただ、撮影結果自体は満足すべきもので、ピントの合っている部分のシャープさや背景のボケの素直さは申し分ない。
ちなみにこのレンズは、50mm~105mmでは至近距離が遠いこともあり、距離による性能変化はあまりないが、200mm~300mmでは、近距離にゆくに従い、球面収差がマイナスに、周辺の像面がプラスに変動する。そのため背景のボケがなめらかになっているのだろう。この球面収差の影響で、左のカタクリの花びら(ややピント面に対して後ろにある)のエッジにフレアが出ていることがわかる。
作例9は、望遠端300mm、絞り開放で撮影したミツガシワの花である。ご覧の通り湿地に咲く花のため、300mmで離れた場所から撮影できるこのレンズの特長が生かせる被写体だろう。色収差が目立ちやすい白い花だが、花のエッジに色収差は感じられない。なおこの作例ではフラットな背景のため、周辺光量の低下が少し目立っている。このレンズは開放でも周辺光量が豊富な部類だが、50mm広角端と300mm望遠端は周辺光量低下がやや大きいため、気になる場合はF8まで絞り込むことをお勧めする。
作例10も、望遠端300mm、絞り開放で撮影したカンヒザクラにとまるメジロの写真である。メジロのやわらかな羽毛の解像が好ましい。またピントのあった花もシャープに描写されている。メジロは蜜を吸うために桜の枝から枝へせわしなく動き回るので、とても三脚にすえて狙う余裕はなく、手持ちでの撮影となった。上向きで撮影になるため、カメラとレンズの重量が直接撮影者にかかるが、ピント合わせなどの操作は支障なく行える。こんな時、アイレベルより高さのある長めの一脚があると、手でレンズを支える必要がなくなるため、一層軽快に撮影することができるだろう。
以上の作例を撮影中、目立ったゴーストが発生したことはあまりなかったが、唯一半逆光時200~300mmで画面隅に白いゴーストが発生することがある。太陽などの光源からかなり離れた位置で発生するので、フード装着やハレ切りなどで対処してほしい。
このレンズは、1977年5月に発売されると、単焦点に匹敵する高性能レンズとして人気を博した。高倍率ズームレンズのイメージを一新したレンズだったといえるだろう。そして1982年3月にはAi Zoom Nikkor ED 50-300mm F4.5Sに生まれ変わり、質量1950gと250gの軽量化と鏡筒のスリム化を実現し、一層使いやすいレンズとしてユーザーに愛された。
この時期、四十六夜で紹介したAi Zoom Nikkor 25-50mm F4(1979年発売)やAi Zoom Nikkor 35-70mm F3.5(1977年発売)のような単焦点に比肩する高性能ズームレンズが相次いで誕生している。そして1982年12月、満を持して高性能望遠ズームAi Zoom Nikkor 80-200mm F2.8S EDが誕生するのである。そうした歴史の流れをみる時、このレンズは、高性能望遠ズームレンズの源流といえるのではないだろうか?