時代が大きく動いた!心躍る新たな写真システム
IX Nikkor 20-60mm F3.5-5.6
第七十五夜は写真システムの徒花、APSカメラ用レンズを取り上げます。APSとは?APSはどのように発展したのでしょうか。APSにはデジタル化の未来を暗示する機能がたくさん隠されていました。今夜はそんなAPSに特化したレンズIX Nikkor 20-60mm F3.5-5.6を取り上げます。
IX Nikkorとはどんな新規性を持って登場したのでしょう。そしてAPSの終焉。今日はIX Nikkorを通じてAPSの歴史を追ってみましょう。
佐藤治夫
APSはイーストマンコダックの声掛けで、イーストマンコダック、富士フイルム、ニコン、キヤノン、ミノルタの5社によって共同で開発された、世界標準規格を目指した新しい写真システムです。1996年4月に専用フィルム等の販売が開始されました。発足時は5社でしたが、後に更に数社が参入して一時期には35mm判に並ぶ勢いを持つまで成長しました。
特徴はフィルムにあります。新規格の専用フィルムは IX240と称されました。この"IX"とは"Information Exchange"の略でした。このフィルムはデジタルカメラのExifヘッダのように、撮影時の設定、日付・時間、プリントサイズ・枚数指定、コメントなどをフィルムにコーティングされた磁気面に記録することが可能で、プリント時に利用できるというのが売りのシステムでした。また、IX240の240はフィルム幅の24mmに由来します。
もう1つの特徴である画面サイズ(露光面積)は16.7×30.2mmで縦横比が従来の各種フィルムと比べて横長(9:16)なのが特徴でした。また、その基本サイズをHサイズ(ハイビジョン サイズ9:16)と言い、まずはこのサイズで露光します。そしてトリミングによって、Cサイズ(クラシックサイズ2:3)という左右をトリミングした従来の35mmフィルムと同じ画面比率のプリントサイズ、さらにPサイズ(パノラマサイズ 1:3)という上下をトリミングしたサイズを選択することができます。それらは磁気記録によって、撮影時に指定するだけで個々のサイズで自動プリントが可能になるシステムでした。
また、フィルムカートリッジにも特徴がありました。35mmフィルムよりも小型であることはすぐに気が付きますが、密閉カートリッジなのでフィルムに触れることなく装填可能で、漏光もないのです。そのため、何度でも撮影途中でフィルム交換ができます 。途中まで撮影したフィルムもフィルムチェンジができるので、未露光部分の撮影を再開できるのです。また、完全に撮影済みのフィルムは装填できないので、二重露光などの失敗もなかったのです。このシステムには小型化の可能性、自動化の可能性、ミニラボとの親和性等々、大きなメリットがありました。各社のカメラは1996年に同時に発売されましたが、最もコンセプト的に的を射ていたのがAPSコンパクトカメラとレンズ付きフィルムでした。そんな中でニコン、キヤノン、ミノルタは一眼レフによるAPSシステムの展開をはじめます。ニコン初のAPS一眼レフカメラがプロネア600iです。交換レンズはF マウントを基にした専用マウント装備の専用レンズ、IX Nikkorでした。そしてパンケーキズームと称されたズームレンズを備えた全く新しいデザインのカメラ、プロネアSが開発されます。しかし、2002年に主要なカメラメーカーが撤退をはじめ、2011年にコダックがフィルムの生産・販売終了を発表し終焉に向います。なぜ終焉を迎えたのか。それはデジタルカメラの進歩が甚だしく、APSはその役目を終えたのです。しかし、そのDNAはデジタルカメラに生きていることを皆さんはご存じのはずです。Exifヘッダの発想もそうですし、センサーサイズの名称の「APS-Cサイズ」と言うのはまさにこのシステムの呼び名です。APSは徒花だと言うかたもいます。しかしデジタル化までの過渡期、大きな役目を立派に果たしたと私は思います。システムは消えて無くなりましたが、その花が大きな実をつけたと私は思っています。
IX NikkorはF マウントのニッコールとどこが違うのでしょうか。まずは外観。大きく異なるところはマウント周りです。基本的に絞り制御をカメラ側で行うシステムを採用したため、通称AF-Gレンズと同様で絞りリングがありません。フランジバックはF マウントと同じですが、根本的に異なるのが専用レンズであるIX Nikkorのバックフォーカスです。APSの画面は16.7×30.2mm(Hサイズ)。イメージサークルの対角線は約34.5mm。35mm判の約43.3mmよりも8.7mm以上も短いのです。したがって、カメラのクイックリターンミラーを小さくできて、その分レンズのバックフォーカスも短くできたのです。IX Nikkorは小型化のために、マウントよりボディー側の鏡筒部分にレンズや基盤を詰め込んでいます。そのためマウントより後部は大きく出っ張っています。したがって、プロネアにF マウント用ニッコールは使用可能ですが、IX NikkorをF、Dシリーズのカメラに取り付けることは機械的に困難です。不運にもF マウントの寸法を持ちながらF マウントではないIX Nikkorは、今までプロネアシリーズ以外のカメラボディーで使うことができません。フィルムも製造されなくなって、今となってはカメラもレンズも死に体でした。しかし一筋の光。そうです、ミラーレス Z システムの登場です。今回はとあるマウントアダプターを少し改造して使うことができました。もちろん自己責任です。今回はメーカー非認証の使用方法ですが、これで「死に体」であったIX Nikkorに再度命を吹き込むことができました。
IX Nikkorのラインナップはどうなっていたのでしょうか。プロネアには通常のF マウント であるAF-Gレンズが使えることはご存じのとおりです。フォーマットサイズが小さくなるのでDX同様、望遠側はストレスなく使用できます。しかし広角側は不足します。特にAPSはコンパクト化を狙ったシステムです。広角レンズはより小型なものが必要になります。したがって、DX開発時と同様に広角側に軸足を置いたラインナップの開発を行いました。まずはキットズームの24-70mmF3.5-5.6、そして広角ズームレンズ20-60mmF3.5-5.6、望遠ズームレンズ60-180mmF4-5.6の3本が1996年プロネア600iに合わせて発売されます。そして第二弾として1998年にプロネアSに合わせてパンケーキズーム30-60mmF4-5.6、20-60mmF3.5-5.6new、60-180mmF4.5-5.6を発売します。IX Nikkorのラインナップはこれで全部です。しかし、この6本の中で60-180mm以外の標準・広角域の4本のズームレンズの光学設計は、すべて私1人で設計したものです。人件費を抑え開発コストを抑えることも重要なテーマだったのです。
それでは開発履歴を見ていきましょう。光学設計開始および完了時期は1995年4月でした。設計期間は数日間という突貫工事だったと記憶しています。光学設計は私が行いました。設計完了後ただちに試作開始。1995年9月に試作完了。1995年9月にただちに量産試作に移行。1996年に量産開始し、1996年9月に発売されました。また、のちに光学設計は同一でコーティングをニコン・インテグレイティッドコートに改良し、鏡筒デザインを変更して1998年にIX Nikkor 20-60mmF3.5-5.6newを発売します。今回はnewタイプを取り上げました。
それではIX Nikkor 20-60mm F3.5-5.6の断面図(図1)をご覧ください。少々難しいお話をしますがご容赦ください。
このレンズの基本的なレンズタイプは、小型で安価で作りやすい広角ズームレンズタイプの定番、凹凸(負正)2群ズームレンズタイプです。図のG1が前群(凹群)、G2が後群(凸群)で、前群後群の間の空気間隔を変化させてズーミング(変倍)します。ズーミングの軌跡は矢印で示してあります。
特徴的なことは開口絞り(Fnoを決定する絞り)が後群G2の外側、直前にあることです。この構成は収差補正が若干難しくなりますが、偏芯敏感度の高い後群を絞りによって分断することがないので、製造親和性が良く量産性能が安定します。また、最も像側にはフレアーストッパーFSを装備し、ズーミングの際に独立に動き、特に中間焦点距離領域から望遠側で発生する上方コマ収差によるコマフレアーを有効に取り除く効果があります。前群の第1レンズは複合型の非球面レンズです。このレンズは深い凹面に厚肉差の大きい非球面樹脂層を成形するために、製法はもとより専用の樹脂開発まで行い完成させました。またこのレンズの肝になるところは、各群の強い屈折力配置です。前群後群共に今までの常識的な屈折力より強い屈折力で使用しています。そのため第1レンズの強い負の屈折力と非球面形状が設計的な特徴になります。また、後群は、まず凸レンズ2枚と接合レンズの前方の凸レンズで球面収差、コマ収差を十分補正します。そして接合レンズ2枚の凹面を向い合せにすることによって、いわばトリプレットの中央の凹レンズ効果を持たせました。あたかもトリプレットの凹レンズが2枚に分割した形になっている為、公差に強くかつ像面湾曲および非点収差をさらに良好に補正することができたのです。このレンズは1995年に日本特許を出願しています。
これらの工夫が実を結び、超広角領域を含み、当時世の中になかった「2群ズームで3倍の変倍比」を持った小型で安価なズームレンズが開発できました。後に2群ズームで28-100mm(3.57倍)を製品化することになりますが、当時は「2群ズームは変倍比2倍が精々、2.8倍が限界、3倍を超えるのは非常識」と言われていました。「設計はできても性能をあきらめるか、製造親和性をあきらめて作れない解を設計するかだ。」そんな常識と逆風の中、2ω=82°の25mm相当の超広角領域から75mm相当の中望遠までカバーする小型で構成枚数の少ない、製造親和性の高い標準ズームIX20-60mmF3.5-5.6が完成したのです。
それでは設計データを参照しながら、収差等の特徴から描写特性を推測してみましょう。まず広角端から見ていきましょう。
広角端で最も特徴的なところは、画面周辺まで非点収差が少なく像面湾曲が平坦である点です。像面湾曲は若干マイナス(アンダー)に保たせています。また画面の中心から端に至るまで、下方コマ収差は少なく、上方コマ収差が端で若干オーバーに残存しています。いわゆる外コマ傾向を持っています。このコマ収差、非点収差、像面湾曲の傾向は、基本的にすべての焦点距離域で同様の収差補正傾向にあることを目指しました。このレンズも良好な平坦性、点像再現性、画面均一性の実現を設計思想にしています。色収差は軸上軸外とも良好に破綻無く補正しています。歪曲はマイナスの樽型で、最大-4%程度(APS-Cサイズ)発生します。球面収差も微小なふくらみを持ったアンダーコレクションです。しかしその膨らみは、F3.5の瞳では問題ない収差量です。
次に中間焦点距離35mm近傍を見ていきましょう。前記した設計思想は維持しているもの、若干像面湾曲が増加します。特にM像面は、開口絞りが2群の凹レンズ群から大きく離れている弊害で、最周辺でプラス方向に変位します。いわゆる膨らみが増して、像高の高いところでプラスに曲がる現象です。球面収差も膨らみが増したフルコレクションになりますが、F4.5と暗くなるため問題はありません。コマ収差は良好で下方コマ収差は少なく、上方コマ収差が端で若干オーバーに残存している傾向は変わりません。歪曲は-0.2%とほぼないに等しい量になります。
最後に望遠端です。望遠端では画面7割周辺まで非点収差が少なく像面湾曲も若干マイナス(アンダー)に位置し良好な補正になっています。この傾向は中間焦点距離の像面湾曲補正傾向にも類似しています。球面収差はフルコレクションで発生量はF5.6の暗さを考えれば十分少ない量です。コマ収差は望遠端で内コマ傾向が変化します。下方コマ収差は若干アンダーになって、上方コマ収差が非常に少なくなります。サジタルコマ収差は他の焦点域ではほぼ見られませんでしたが、ここへきて若干目立ってきます。歪曲は+0.4%程度。ほぼ無視できる量ですが、正の歪曲(糸巻)に変化します。色収差は軸上色収差のみ若干不足の傾向に変位します。合焦点では問題にならないでしょうが、ボケに色にじみが出る可能性があります。
また全ての焦点域で共通ですが、近距離物体に対する合焦は前群G1を物体方向に移動させて行います。この時、各焦点距離において共通した収差の変化を伴います。近距離変動は球面収差も像面湾曲もプラスに変化するのです。歪曲のみがマイナスに変化します。
それではMTF性能を確認してみましょう。写真の拡大率を考慮して15,40本/mmのコントラスト再現性を見ていきましょう。まず広角端20mmの開放F値、無限遠時のMTF(15,40本/mm)を観察します。センターベストで合焦した場合、センター近傍は78%を超える高いコントラスト再現性を維持しています。しかし、中間部は40本/mmのコントラストは若干低下し40~60%程度で安定して周辺部まで維持します。15本/mmでは60~70%と高い値を維持していますのでコントラスト再現性の点では問題ないと思われます。ごく最周辺に至っても急落することなくコントラストが維持されています。この特性はセンターから最周辺まで凸凹のない均一な画質、均一なコントラスト再現性を目指した結果と言えます。特に広角レンズにおいて最も必要な光学性能は、良好な像面平坦性、点像再現性、画面均一性であると考えた結果でした。
次に中間焦点距離35mm時の同条件における15,40本/mmのコントラスト再現性を見ていきましょう。40本/mmのコントラストは、センターが若干下がって63%を超えた程度になります。15本/mmは十分高く82%を超えていますので、フレアー等の問題は少ないと思います。中間から周辺に至っては、若干像面湾曲、外コマ傾向の影響でコントラストが低下しますが、40本/mm時は30~50%のコントラスト再現性を維持します。15本/mmは最周辺、コーナーまでも70%高い値を維持しています。中間焦点距離域の特徴は、強烈に高いコントラスト再現ではなく、良像レベルのコントラストが急落せずイメージサークルの端まで続くことです。良い意味で、画面平坦性が高いレンズと言えるでしょう。
それでは望遠端60mm時、同条件の15,40本/mmのコントラスト再現性を見ていきましょう。センターベストで合焦した場合、センター近傍は74%を超える高いコントラスト再現性を維持しています。その後、内コマ傾向の特徴が表れ、徐々にコントラスト低下が起こります。中間域では40本/mm時で40~60%、周辺では30~50%程度に減少します。しかし最周辺、コーナーでも、40本/mmで20~40%のコントラストを維持して急落がありません。また15本/mmのコントラストは、中間部から最周辺に至って80%から50%程度まで緩やかに低下します。したがって、望遠端は少しフレアーが取り巻いてソフトで線の細い描写をする傾向があります。これはポートレートや物撮りにむしろ良いかもしれません。基本的に広角標準ズームは、広角側は風景写真を、望遠側はポートレートを意識して設計しています。その点ではこのレンズも狙い通りの収差バランスで製造されていると思います。
次に遠景実写結果を見ていきましょう。ボディーはミラーレスカメラ Z 7に若干改造したマウントアダプターを使用してレンズを装着しています。今回は実験しながら確認したうえで特別に使用しています。もちろん自己責任で非認証の使用方法です。推奨はいたしませんのでご注意ください。
また、IX Nikkorは16.7×30.2mmの画面をカバーしています。今回は撮影都合で、DXモードで撮影しました。若干画角が狭くなりますがご了承願います。
各絞り別に箇条書きにいたします。評価については個人的な主観によるものです。参考意見としてご覧ください。
F3.5(開放)
大まかにはセンターから周辺まで十分な解像力と適量のコントラストを有し、シャープネスも良好。詳細に見ると周辺向って徐々に、わずかなフレアーが発生しているのが観察できる。また、逆光部分にはシアン系の色フレアーが若干発生している。しかしながらごく周辺部においても十分な解像力は維持している。
F4~5.6
一絞り絞っただけでググッと周辺部のフレアーが消失しコントラストが向上。センターはもとより、周辺部分における画質、特にコントラスト、解像力が向上。逆光時の色フレアーも目立たなくなる。
F8~11
更に一段画質が向上する感じ。この絞り値がこのレンズの広角端の最高画質となる。
F16~22
回折の影響で明らかに画質が低下。
F4.4(開放)
ワイド端の性能の中心部分の良いところをトリミングして拡大したような画質。特徴的なのはセンターから周辺に至るまで微量なフレアーが均一に取り巻いていること。むしろ風景等では硬調な画像にならず好ましいコントラスト量。解像力はセンターから周辺まで良好で均一に近い。
F5.6~8
全体的にあった微量のフレアーが消え去り、画面全体がすっきりした印象。しかし、コントラストが強すぎることはない。シャープ感が増した印象。
F11~16
均一で良好。しかしF16では若干画質が低下傾向にある。
F22~32
回折の影響で明らかに画質が低下。
F5.6(開放)
センターは解像力もコントラストも良好。周辺に向うにつれて徐々にフレアーが発生。コントラスト、解像力共に低下気味になる。しかし色フレアーが出ていないこと、画質が急落しないことは好感が持てる。
F8~11
一絞り絞っただけでググッと周辺部のフレアーが消失しコントラストが向上。センターから周辺までフレアーが消えて均一なコントラストになった印象。望遠端ではF11が最も高画質であろう。
F16~22
回折の影響が大きく性能が劣化。おすすめできない。
それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。
今回の作例もレンズの素性を判断していただくためにあえて特別な補正、シャープネス・輪郭強調の設定はしておりません。撮影条件は一般ユーザーの撮影を想定したポートレート、風景スナップに致しました。今回も三次元描写特性が判断できるように、背景映り込み、距離を微妙に変化させて撮影しました。
作例1は広角端の20mmで絞りはF3.5開放で撮影しています。今回は解像感が分かりやすいような洋服、背景を選びました。緑や木々の様子、顔や髪の毛、上着の模様などを見ると、十分なシャープネスは持っていることが分かります。像高の中間部分、周辺も破綻はない様子が読み取れます。全体としてはピント面の色滲みが少なく好感が持てます。
作例2は中間焦点距離35mm開放F4.4で撮影した作例です。ワイド同様、解像感も適度なコントラストも感じ取れる好ましい画質です。シャープではあるものの固くなりすぎず扱いやすいレンズであることが分かります。シャープネスは満足いくのですが、少々背景画うるさくなってきました。ボケ味が少し硬いです。
作例3は望遠端60mm開放F5.6で撮影した作例です。シャープネスはまったく不満を感じません。上着の柄を見ても色にじみも感じません。髪の毛の解像感から高解像力を有していることが読み取れます。欠点はボケ味の固さです。周辺部まで均一にいわゆる今はやりのバブルボケの傾向が表れています。少しシャープな方向に軸足を向けすぎたかもしれません。いまさらながら反省します。
作例4は20mm広角端、開放絞りF3.5で撮影した写真です。ピント面はライトにあります。等倍拡大すると非常にシャープに結像していることが分かります。その反面、手前の建物や標識は若干ピンボケとなっています。色滲みも目立たず抜けも良いので、十分使用に耐えることがわかります。
作例5も20mm広角端、開放絞りF3.5で撮影した写真です。ピント面は壁にあります。若干前ピンになってしまいました。周辺光量不足もなく、色滲みも目立ちません。コントラストも良く抜けも良く十分使用に耐えることがわかります。
作例6は中間焦点距離28mm近傍、開放絞りF4相当で撮影した写真です。ピントは樹木とベンチの間のあたりにあると思います。木漏れ日にフレアーが写っていますが、コントラストも良く抜けも良く十分使用に耐えることがわかります。
作例7は中間焦点距離35mm近傍、開放絞り4.4相当で撮影した写真です。ピントはベンチのあたりにあると思います。ここでも良く観察すると、木漏れ日にフレアーが写っています。しかし色にじみもなく、コントラストも良く抜けも良く十分使用に耐えることがわかります。
作例8は60mm望遠端、開放絞りF5.6で撮影した写真です。ピントは樹のあたりにあると思います。ここでも良く観察すると、非常にシャープなことが分かります。犬の散歩をしている方の表情が読み取れます。コントラストも良く抜けも良い上に解像力も十分あることがわかります。
作例9は望遠端60mm開放絞り時における近距離の作例です。手軽にマイクロ撮影が楽しめるのもこのレンズの利点の1つです。最至近(R=0.35m)で撮影しました。写真の通り至近性能も十分満足できるものでした。ボケ味も良いです。
あるとき秘密裏に、APSシステムの発案者であるコダック社から参加の打診がありました。その後社内では喧々諤々議論が巻き起こります。その結果、富野直樹氏をリーダーとしてAPSシステムを開発し、軌道に乗せるためのチームが発足しました。この部隊は通常の開発計画に有るアイテムを日程通り開発するという従来の開発チームではありません。言わばAPSシステム成功のために発足した少数精鋭の開発者集団でした。私はそのメンバーの一員となりIX Nikkor標準・ワイドズームを一手に設計する命を受けたのです。何枚もの守秘契約書にサインし、APSの詳細を学び、レンズの設計基準を決めました。この時、この役目に推挙してくれたのが、当時私の上司だった青野康廣氏でした。青野さんは私が日本光学に入社して初めて光学の教えを乞うた指導員でした。私はこのご縁で、青野さんが定年退職されるまで可愛がっていただきました。青野さんは光学設計部門の課長、カメラ設計部門の部長を経て栃木ニコンの取締役になりました。更に栃木ニコンから本社に復職後、社内だけでなく、業界、学会で顕著な実績を残されたということで、ニコンフェローに任ぜられました。実は青野さんは光学設計畑一筋のひとではありませんでした。当初は研究所に籍を置かれていました。しかし第七十一夜でふれたように、光学部発足時に新設した光学部開発課に異動します。光学関連に幅広い見識を持った方で光学設計、光学理論はもとより、社内で最も広く使われた独自の光学設計ソフトウェアを開発されました。また、私が入社したころは放送局と共同でハイビジョン用光学系(HDTVレンズ)を設計開発されていました。私はその仕事を引き継いだのです。今から25年以上も前のお話です。当時何でも気兼ねなく話せた青野さんに、今考えれば申し訳ないような生意気なことも、歯に衣を着せず言わせていただいたと思います。青野さんも私のことを、おそらく半分あきらめて、温かく見守っていてくれたのだと思います。今日はそんな恩師の一人、青野康廣さんのエピソードを披露します。
人伝えに聞いたお話しです。青野さんは正しいと思ったことを強い意志で押し通していく力を持っていました。ある時、重役にプロジェクトの発足と事業提案をしたときの話だそうです。いくら青野さんが説得しても、その重役は首を縦に振らなかったそうです。しかし、青野さんは食い下がって一歩も引かなかった。とうとう重役が怒り出して、「私の言うことが聞けないのですか。それならもう勝手にしなさい。」と言われたそうです。そこで青野さんは「ありがとうございます。それではそのようにさせていただきます」と言って帰ってきたのだと。普通そこまで言われれば、申し訳ありませんでしたと言って、あきらめて引き下がるのではないでしょうか。会社員としての保身を考えたら、重役を怒らせる時点でアウトかも知れません。しかし、青野さんは自分が正しいという信念を持っていました。そして決して迎合しなかった。素晴らしいエピソードですね。私はかくありたいと思います。青野さんは定年退職と同時にきっぱりと仕事を辞めて、今も元気で精力的に写真を撮られて作品作りをされています。仕事でレンズにかかわっていた時はあまり写真を撮らない方だったのですが、定年後火がついたように曝写の日々。写真の腕前もプロ級でびっくりいたしました。今後も益々写真文化育成にご尽力いただければと思います。