初めてのデジタル一眼専用レンズ
AF-S DX Zoom-Nikkor 12-24mm f/4G IF-ED
今夜はデジタル一眼レフカメラ黎明期のお話をしよう。初めてのデジタル一眼レフカメラ専用レンズAF-S DX Zoom-Nikkor 12-24mm f/4G IF-EDである。2003年D2Hと同時期に発売されたこのレンズはどのような経緯で誕生したのだろうか。
大下孝一
一般に市販された最初のデジタル一眼レフカメラは、1990年代に登場したコダックDSCシリーズだろう。このカメラは、ニコンのボディーにコダックが独自に大型センサーや回路基板を組み込み製品化したもので、大変高価だったことや、デジタル画像を扱う環境が十分整っていないこともあって、発売当初は限定的な用途に使われる特殊なカメラであった。
デジタルカメラが普及の兆しをみせるのは、MacやWindowsの普及とデジタル製版技術によって、デジタル画像を取り扱う環境の整いはじめた1990年代後半のことである。ニコンも1995年に富士写真フィルムと共同開発で、F4をベースにしたデジタル一眼レフカメラE2/E2sを発売する。このカメラはコダックのDCSシリーズと異なり、小型の2/3型130万画素センサーにF用ニッコールのイメージを縮小投影することで、35mmフィルムで使った場合と同じ画角の画像が得られるという斬新なカメラであった。標準モデルのE2でも110万円という高価なカメラだったにも関わらず、新聞社など報道関係を中心に使われていた。
ところがこのE2は、35mm判と同等の画角で使えるのがウリであったが欠点もあった。それは縮小光学系による光線のケラレである。E2の絞り仕様の項目には6.7-38とある。これはどういうことかというと、縮小光学系側で光線が制限されるため、f/1.4などの明るいレンズを取り付けてもその明るさを活かすことができず、実質的にf/6.7に絞り込まれた状態でしか使えないということである。これではレンズの特徴を生かすことが難しい。さらに、レンズと縮小光学系のマッチングによっては周辺光線が完全にケラレることがあり、全てのニッコールレンズが使えるわけではなかったのである。
そして1990年代半ばには、デジタルカメラに別の潮流があらわれてきた。それはカシオQV-10に代表されるコンパクトデジタルカメラである。背面モニターを備え、その場で画像が確認でき、当時普及しつつあったパソコンに取り込むことができ、操作も比較的簡単で、価格も10万円程度と、個人でもなんとか買うことができる価格であったため、じわじわと普及の兆しをみせていたのである。
そんな中、ニコンでは1996年6月にひとつの開発プロジェクト活動をスタートさせる。本格的デジタルカメラを開発するというプロジェクトチームで、富野直樹さんをリーダーとして社内から14名のメンバーが集められ、私もメンバーの一員として参加した。富野さんは、将来的にデジタルカメラがフィルムカメラに比肩する大きな市場になるだろうと予感し、プロジェクト設立をトップに申請していたのである。プロジェクトは、電気/メカ/画像/光学などの混成チームで、大井101号館3Fの北袖と中袖の間にあった居室では、立場の異なるメンバーが意見を戦わせながら、理想のデジタルカメラのアウトラインを組み立てていった。光学設計しか知らなかった私にとって、このチームでの仕事は刺激的な毎日で、光学以外の知見を広げるよい機会となった。
このような経緯で誕生したプロジェクトチームなので、あくまでも開発の主眼は高画質のコンパクトデジタルカメラの開発であったが、並行してデジタル一眼レフカメラの検討を進めていた。リーダーの富野さんはもちろんメンバーも、本格的なデジタル一眼レフカメラ、しかもプロやハイアマチュアが個人で購入できる価格のデジタル一眼レフカメラをつくって映像の世界を変革したいと熱望していたのである。検討が進んだころ、富野さんはトップに進言する。トッププロジェクトは、第一弾は高画質のコンパクトデジタルカメラ、第二弾として本格的デジタル一眼レフカメラを開発する二段ロケットの体制で行かせてください、と。こうしてデジタル一眼レフカメラの検討は継続され、プロジェクトの第一弾であるCOOLPIX 900発売の1年後、1999年にデジタル一眼レフカメラD1が誕生するのである。
こうして誕生したD1は、F5と併用して違和感のない操作性と堅牢性をもち、しかもデジタル一眼レフカメラとしては破格の価格であったため報道を中心に爆発的にヒットし、デジタル一眼レフカメラに大きな潮流をつくりだした。しかしD1は、撮像センサーのサイズが35mm判に比べ小さいため、レンズの画角が狭まるという問題があった。上のD1の写真で装着されているレンズは、同時期に発売されたAI AF-S Zoom NIKKOR ED 17-35mm f/2.8D (IF) だが、D1に取り付けた場合このレンズの画角は25.5-55mm相当となり、標準ズーム相当の画角しかなかったのである。このように画角が狭まることは、望遠撮影に有利であったり、イメージサークルの中心部しか使わないので高画質が担保されたりなどメリットはあったが、広角域のレンズが不足することは否めなかった。そんなわけで、D1の発売のころから富野さんとは、D1がヒットしたら専用のデジタルニッコールレンズをつくりたいよねと話をしていたのである。
この夢がようやく始動するのは、D1の後継機であるD1XとD1Hの発売を控えた2001年春のことである。D1は順調に販売数を伸ばし、後継機を発売することで、市場での地位をさらに確かなものにしようという時期であった。そのころD1Xのさらに次のモデルであるD2Hの計画も進んでおり、このD2Hに合わせて専用レンズを発売しようという計画であった。コンセプトは、35mm判兼用では実現できない超広角と小型軽量、そしてデジタル対応の優れた光学性能である。設計を任されたのは、佐藤治夫さんである。
ところが、当時佐藤さんは別の標準ズームの開発を抱えており、とてもこのレンズの製品立ち上げまでできる状態ではなかった。そこで、設計までを佐藤さんが行い、出図から製品立ち上げを別設計者が引き継いで行うという方法で開発を進めることになった。デジタル専用の最初のレンズであるから、設計の目標を決めるところからはじめ、手探りの中での設計だったと思われるが、驚くほど短期間で設計完了したという。並行して複数の設計をしていた忙しい時期だったからこそ、いろいろなアイディアが生まれ、短い時間で設計を完成させる力となったのだろう。
図1にこのレンズの構成を掲げる。1群が4枚、2群が7枚構成の2群ズーム形式で、広角系のレンズに適した凹先行型ズームタイプである。このほかに適した形式としては凹凸凹凸の4群ズーム形式があり、当然4群ズームの方が性能を向上させる自由度が大きいわけだが、ズーム比が2倍と小さいことと、f/4と明るさを無理していないことから2群ズームで十分という判断になったのだろう。
そしてこのレンズの特徴は各群のレンズ構成である。まず1群には、第1レンズに直径50mmを超える両面非球面レンズがあり、1枚の凸レンズを隔てて両凹の非球面レンズを配置している。単に歪曲を補正するためだけなら1面の非球面で事足りるのだが、それだけではサジタルコマフレアは補正できず、残存する周辺の像面湾曲によってかえって悪化してしまうこともある。そこでこのレンズでは、2枚の非球面によって歪曲、像面湾曲、コマ収差を適切にコントロールすることで、たる型歪曲を良好に補正しながら、像面の平坦性や、サジタルコマフレアの低減を両立させているのである。凹先行タイプのズーム1群に2枚の非球面レンズを使うこの設計手法は、後のさまざまな広角ズームの設計に応用されている。
また第2の特徴は2群のレンズ構成である。まずみなさんには過去のニッコール千夜一夜物語をひもといてほしい。例えば六十三夜や四十六夜に2群ズーム形式を採用したニッコールレンズが採りあげられているが、2群の構成をこのレンズと比較してみてほしいのだ。六十三夜で佐藤さんが指摘している通り、2群ズームの2群の構成は概ね凸凸凹凸のエルノスター構成が基本となっているはずである。しかし図1を眺めてもそんな構成は浮かび上がってこない。凹レンズがないのである。この秘密は、凹レンズを2枚に分割して前後の凸レンズに貼りあわせてしまったからである。エルノスタータイプは収差補正の自由度が高い反面、レンズ間隔や中心厚、偏心に対する敏感度が高いという難点があった。これを解消するため、凸レンズと凹レンズによる強い収れんや発散のないこのタイプを選択したのである。そして最終レンズを非球面レンズとすることで、良好な球面収差とコマ収差を達成している。
それではいつものように実写でレンズの描写をみてゆこう。今回は小型の2400万画素機D3300に装着し、旅行や散歩に連れ出してみた。このレンズ開発当時には、想像だにできなかった画素数だが、将来の画素数アップを見越した設計がされているため、期待通りの写真を撮ることができた。ただD3300のような小型カメラではややヘッドへヴィーになるので、ボディーはD500やD7500の方が装着時のサイズや重量バランスがよいと思う。
作例1は、広角側12mmの開放で撮影した夏の天の川の写真である。画面下と右上に薄雲があり、あまり星の写りがよくない点はご容赦いただきたい。個人的に感じるこのレンズ最大のチャームポイントは、ズーム全域にわたる周辺光量の豊富さである。一般にレンズは広角になればなるほど周辺光量が減少するものだが、このレンズではズーム全域にわたって豊富な周辺光量があり、開放から光量不足が目立つことはまずないだろう。この作例では、左下の山の描写をみてもわかるとおり、星や天の川を強調するため、きついコントラスト強調をかけているが、それでも周辺の光量低下が目立っていないことがおわかりいただけるだろう。そしてもう一つのポイントがサジタルコマフレアの少なさである。サジタルコマフレアは画角が大きいほど目立つ収差だが、ほとんど目立っていない。子細に見ると周辺で星像が歪んでいるが、超広角レンズの開放としては整った星像といえるだろう。
作例2は、曼殊沙華の群落を広角端で写したものである。パンフォーカスにするため、f/11に絞り込んでいるが、それでも手前や遠景が少しボケてしまった。超広角ズームとしては歪曲収差も良好に補正されている。ただ、広角端の近距離では、画面隅のたる型ゆがみが目立つ場合があるかもしれない。その時はカメラやCapture NX-Dのゆがみ補正機能をお使いいただきたい。
作例3は、神津島の夕焼けである。これも広角側12mmの開放で撮影した。左上には三日月過ぎの月が小さく写っている。旅先でこんな雄大な風景を目にすると、超広角ズームを持ってきてよかったと実感する。35mm判換算で18mm相当のレンズは、水平画角が約90度なので感覚的に撮影範囲が把握しやすいのである。
作例4は、広角から少しズームアップした14mmで撮影した、神津島南部にある千両池という入江である。f/8に絞り込んだことで画面周辺まで均質な描写となっている。
作例5は、神津島南西部にある岬の写真である。ズーム中間の焦点距離17mmで撮影した。超広角の12mmだけでなく、24mmまでズームできることは旅先で非常に便利である。このレンズに50mmなどの明るい単焦点があれば、多くの撮影シーンに対応できるのではないだろうか。
作例6は、望遠側24mmで撮影した曼殊沙華の群落である。パンフォーカスにしたかったためf/11まで絞り込んでいる。広角側で写した作例2と比べると、同じようなシーンの撮影でも違った雰囲気の写真になることがわかるだろう。
作例7は、中間焦点距離15mm開放で撮影した公園のアガパンサスである。背景のボケをみると全面に均質なリングボケが出ており、木の枝や幹などが2線ボケになっている。このボケ味がこのレンズの短所といえるだろう。ただ、均質にリングボケが出ているのは、ビネッティングが少なく周辺光量が豊富である証だといえるだろう。
作例8は、望遠側24mmでのボケ味の作例である。このレンズは、中間焦点距離でもっとも2線ボケが目立ち、12mmや24mmでは2線ボケ傾向は緩和されるようだ。この作例では1絞り絞ることで、リング状部分のボケをカットすることで、2線ボケを目立たなくしている。ボケを活かした撮影では、このように少し絞り込んで撮影することをお勧めしたい。ただでさえ小さい広角レンズのボケを活かすのに、絞ってボケを小さくするのは抵抗があるが、リングの部分は光が集光しているということなので、1絞り絞ってもボケの量はさほど小さくはならないはずである。
2003年に、D2Hと同時期に発売されたこのレンズは、広角撮影を待望していたD1、D100、D2ユーザーに好評をもって受け入れられ、現在も販売を続けるロングセラーとなっている。それは、最初のデジタル一眼レフカメラ専用レンズとして、高い志をもって設計されていたからかもしれない。例えばこのレンズのイメージサークルは、現在のDXレンズより一回り大きくとられ設計されている。それは開発当時、デジタル一眼レフカメラの画面サイズが大きくなる可能性があったためだが、こうした高い目標が、超広角ではずば抜けた豊富な周辺光量やヌケのよさを生み出し、他のレンズでは出せないこのレンズの味になっているのではないだろうか?