万能の標準ズームを求めて
AI AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D IF
今夜はズーム比の高い標準ズームAI AF Zoom-Nikkor 24-120mm F3.5-5.6D IFについてお話しよう。
大下孝一
スチルカメラ用の標準ズームレンズの歴史は、万能ズームレンズを探求する旅になぞらえることができるだろう。ニコンの標準ズームは、第4夜でお話ししたZoom Nikkor Auto 43-86mm F3.5に始まり、35-105mm、35-135mmとズーム比を拡大してゆき、1985年には第47夜で紹介された35-200mm F3.5-4.5が誕生する。カバーする焦点距離のレンジが増えれば撮影領域が広がるため、万能レンズには近づく。しかし当時のズームレンズは、ズーム比拡大の代償として欠点を抱えていた。その一つが最短撮影距離である。例えば35-200mmの最短撮影距離は1.6mであるが、35mmで撮影距離1.6mといえば、縦位置でポートレート全身像がせいぜいで、望遠側はともかく、広角側は寄りたくても寄れない制限の多いレンズだったのだ。しかしズーム比を拡大しようとする設計者の情熱は衰えることはなく、1980年代末にはついに他社から28-200mmというレンズが誕生するのである。
このように1990年代は高倍率ズームの開発が大きなテーマであった。当然ニコンでも35-135mmや35-200mmを超える標準ズームの企画がもちあがっていた。設計の担当を任されたのは、この連載のパートナー佐藤治夫さんである。
佐藤さんと私は同期入社で、若手の頃は毎週のように連れ立って写真撮影に行ったり、中古カメラ屋を徘徊していた。当時は設計の合間に過去のニッコールの性能をシミュレーションで確かめたり、撮影結果と収差を比較したり、2人で議論し合っていたものである。また佐藤さんは、当時在籍していた脇本さんや清水さんなどから設計時の苦労話などを聞き、諸先輩の知識をもっとも吸収した1人でもある。そんな経験がこの連載のベースとなっているのだろう。
当初企画部門からの提案は、より小型で高性能の28-200mmだったそうだ。しかし彼は別のスペックを考えていた。当時NIKKORのラインナップには24-50mmという広角ズームと28-85mmという標準ズームがラインナップされていたが、報道プロからは、「24-50mmでは望遠側が足りないし、28-85mmでは広角側が足りない。24-50mmの50mm側をもっと望遠にできないか?」という要望が寄せられていたのである。佐藤さんも自身の経験から、旅行にもってゆくなら広角はせめて24mmはほしいし、近づけないことあるから望遠も100mmは欲しい。旅行写真を1本で済ませられる万能レンズができないものかと密かにアイディアを温めていたのである。そして課長に直談判に行ったのだ。「24-120mmのスペックでやらせてください!」確かに28-200mmの7.1倍ズームに比べズーム比5倍で見劣りするが、望遠側200mmより広角側24mmにした方がインパクトもあるし、ユーザーからの要望もある。ぜひ24mmスタートのズームをやらせてほしいと。
一般にズームレンズのレンジ拡大は、望遠側より広角側の方がはるかに難しい。24-120mmは28-200mmより難しいスペックだと理解しつつ課長は了解したのである。「わかった、24-120mmで進めてよし。ただし、しばらく検討して目処がつかなければ28-200mmに戻すこと。」
このような経緯で24-120mmの開発はスタートしたのである。
こうして設計された24-120mmのレンズ断面図を 図1に示す。ズームタイプとしては凸-凹-凸-凸の4群ズームである。ズームレンズは、上記のような1群全体が凸レンズの凸先行タイプと、1群が凹レンズを構成する凹先行タイプに大別され、凸先行タイプは高倍率ズームに有利で、凹先行タイプは広角ズームに有利という特徴がある。基本的には47夜で紹介されているAI35-200mmと同じズーム構成だが、広角に不利な凸先行タイプの欠点を克服するためにさまざまな工夫が施されている。
1つは全長の短縮である。これはレンズの小型化という目的の1つでもあるが、24mmという広い画角の光線を像面に導くためには、レンズ全体の長さを短くしないと1群や2群が巨大になりすぎて構成ができなくなってしまう。一方収差補正の観点からは、画角が増加するほど各群のレンズ枚数が増えてしまう。このジレンマを解消したのが2枚の非球面レンズである。第4レンズの非球面は主に広角側の歪曲収差を補正するために用いられ、このおかげで1群、2群のレンズ枚数の増加が抑えられている。そして第13レンズの非球面は4群で発生する球面収差やコマ収差の補正を担っており、35-200mmに比べ4群の構成が5群6枚から3群4枚に削減されている。こうして収差補正をしながら全長の短縮を達成したのだ。
そしてもう1つはフォーカス機構である。従来のほとんどのズームレンズは1群を繰出すことでフォーカスを行うが、47夜のお話のとおり1群の大きさが極端に大きくなるか、かなり遠い最短撮影距離で妥協せざるを得なくなる。それではいくらズーム比が大きくても「万能レンズ」とはいえないだろう。そこで登場するのが「フォーカスカム」である。この24-120mmでは2群を移動させることでフォーカスを行う。2群フォーカスでは、広角側のフォーカス群の移動量が非常に小さいという利点があり、1群サイズを大きくすることなく最短撮影距離を稼ぐことができる。しかし2群フォーカスでは、同じ撮影距離に対して広角側と望遠側の繰出し量が何倍も違うため、近距離では焦点距離を変えるたびピントがずれてゆく、使いづらいレンズになってしまう。これを解消してくれるのがフォーカスカムで、ズームのカムと連携して近距離のピントずれを補正してくれるのである。非球面レンズとフォーカスカム、この2つの技術が24-120mmという焦点距離のレンジと0.5mという実用的な最短撮影を支えているのである。
こうした当時の最新技術を駆使して24-120mmという万能レンズは完成した。
ではこのレンズの描写をみてゆこう。このレンズの特徴の1つは、像面の平坦性の良さであろう。そのため5倍ズームでありながら、どの焦点距離で撮影しても画面全域にわたり大きな破綻は認められない。像面湾曲と非点収差の補正が写真レンズの基本だという、佐藤さんのレンズに対する思想があらわれている。しかし35mm~70mmでは画面全体の解像感が高い代わりに、コマ収差の残存が認められ、ややコントラストが低い描写となる。それはそれで味わい深い描写で、作画に活かしていただきたいのだが、コントラストの高いシャープな画像を得るには、2絞りほど絞り込むことをおすすめする。
そしてもう一つの特徴は歪曲収差で、24mmでたる型、120mmで糸巻き型歪曲が発生するのは通常のレンズと同じだが、何と28~35mmで歪曲が最小となり、50mmあたりで糸巻き型歪曲が最大となるのである。これはレンズを小型にしたことによる弊害の一つなのだが、実写で気になったシーンはほとんどなかった。
作例1は、広角端で撮影した隅田川である。F8まで絞り込んでいることもあり、画面全体均質で、光源の周りのフレアもほとんど認められない。透明感のある描写である。
作例2は、50mm付近で撮影したプラタナス並木である。最も解像感の高い焦点距離域のためシャープな描写である。ただ、絞り込んではいるが画面隅には残存するコマ収差の影響が若干残っている。この作例は弱い半逆光のシーンで撮影しているが、気になるフレアは発生せず、締りのある画像を撮影することができた。
作例3は、内藤新宿の太宗寺・不動堂。70~85mm付近で撮影している。1絞りしか絞り込んでいないので、背景のビルは深度内に収まらず若干ボケているが、お堂の外観に施された彫刻や木の質感がよく表現されている。
作例4は望遠側の100mm付近で撮影した大山に沈む夕日である。24mmを含む標準ズームでありながら、レンズ交換なしにこのようなアップの映像が撮れるのがこのレンズの持ち味である。佐藤さんの言うとおり、旅行のお供として活躍するスペックである。
そしてもう一つ、このレンズの特徴が最短撮影距離の短さである。焦点距離全域で0.5mまで寄れるため、小物の撮影や花の撮影までこの1本でまかなうことができる。作例5は、50mm付近で撮影した花の写真である。ピントの合った部分の再現は良好だが、背景のボケにコマ収差の影響が見られ、ボケの下側のエッジが強く出ている。ズームレンズのため、全域でボケ味を良好にすることは困難だが、このレンズの場合85~120mmでボケが良好になるよう設計されているので、ボケを活かす撮影は、可能なら望遠側で行いたい。
最後の作例6は120mmでのシクラメンのアップである。ピントの合った部分からのボケのつながりも自然で、逆光の撮影でもフレアの発生もなく、なめらかな階調が再現されている。
こうして開発された24-120mmは期待通り、様々なシーンに対応できるオールラウンダーとして活躍し、ニコンの看板レンズのひとつとなったのである。その後も24-120mmは改良を重ね、2003年にはレンズ内SWMとVRを搭載したAF-S VR Zoom NIKKOR 24-120mm F3.5-5.6Gに生まれ変わり、2010年には全域をF4と明るくしたAF-S NIKKOR 24-120mm F4G ED VRとなり、さらに活躍の場を広げている。それぞれのレンズで設計者は変われど、佐藤さんのこのレンズに込めた想いは、最新のレンズにも受け継がれている。そして万能レンズをつくろうという設計者の情熱は、これからも新しいレンズへと結実してゆくのである。