世界初凹凸2群ズームレンズの誕生秘話
Auto NIKKOR WIDE-ZOOM 3.5~8.5cm F2.8-4
第五十六夜はなんと、発売寸前で取り止めになった幻のワイドズーム3.5~8.5cm(35~85mm)F2.8-4を取り上げます。この試作で終わった画期的なズームレンズには一夜では語りつくせぬ秘話、逸話があります。今夜はAuto NIKKOR WIDE-ZOOM 3.5~8.5cm F2.8-4の秘密を解き明かしましょう。
佐藤治夫
ズームレンズの歴史は古く1930年代に盛んに研究されました。元々ズームレンズの発想は結像系からではなく、望遠鏡やコンバーターレンズからスタートしています。したがって、初期のズームレンズは望遠タイプが発想の基本になっていました。その中で注目すべきは1932年に発表された「The Bell&Howell Cookの“Varo”」です。凹凸凹(負正負)の3群構成で、すべての群を移動するズーム方式が発明されています。このレンズはズームレンズの広角化の可能性を示した最も早い時期の発明でした。ズームレンズの発展は主にシネレンズ、後にTVレンズによって成熟して行きます。1940年代になると、ズームレンズの広角化には、レトロフォーカスレンズの様な凹(負)先行型が適していると誰もが理解していました。しかし、動画の世界で発展したズームレンズは、35mm判の様な大きなフォーマットの静止画の世界ではまだ実用に耐えませんでした。日本光学工業(現ニコン)においても早い時期からズームレンズの研究がされていましたが、その研究の成果が実るのは1950年代になってからです。巷では1960年に35mm判スティルカメラ用ワイドズームが登場します。その名は皆さんもご存じの「フォクトレンダーのズーマー36~82mm F2.8」です。凹凸凹凸凸(負正負正正)の5群構成のズームレンズで、凸の2群と凸の4群がリンクして移動して変倍をする構造になっていました。鳴り物入りで登場したワイドズームレンズですが、奇を衒った感の否めない性能で、やはり35mm判のワイドズームの実用化は難しいのか、と皆に思わせる結果となりました。
しかし、ほぼ同時期に日本光学工業(現ニコン)では、樋口氏らによるズームレンズの研究が進み、ついに画期的なワイドズームレンズが発明されたのです。おそらく設計のスタートは1960年(昭和35年)以前であったと思われます。フォクトレンダーを設計参考にしたのではなく、明らかにオリジナルの設計だったことが後記する履歴からわかります。そのズームレンズこそが、今では世界中の光学メーカーが標準ズームレンズとして使用している「凹凸(負正)2群ズームレンズ」の元祖なのです。なにがそんなに画期的かと申しますと、ズームレンズは理論的に変倍群(バリエータ)と補償群(コンペゼータ)の2つの群が最低必要になります。
それに加えてマスターレンズ(結像群)と合焦群を追加するのが常でした。しかし、樋口氏の凄いところは補償群に合焦の機能を持たせ、結像群そのものを移動させ変倍するアイデアを思いついたことです。要するにズームレンズを必要最低限の構成で実現したことなのです。元々一眼レフ用ワイドレンズにはレトロフォーカスタイプ(凹凸・負正の構成)が適していることは分かっていました。したがって、ワイドズームレンズが凹凸(負正)の構成になることは理にかなっているのです。ここからは私の想像ですが、このレンズのマスターレンズ(凸(正)のパワーを持つ後群)がゾナーそのものである点、凹(負)のパワーを持つ前群が、ほぼ凹レンズのみで構成されている事から考察するに、樋口氏は標準レンズにワイドコンバーターを装着し、その間隔を変化させ変倍することを思いついたのではないかと思います。
この樋口氏の発明は1961年(昭和36年)の年頭に特許出願され、1965年(昭和40年)に特許として権利化されました。また、外国出願も行われ1964年に権利化されています。正真正銘、樋口氏のズームレンズが世界的な発明と認められた瞬間でした。まさに、世界中のレンズ設計者をあっと言わせた発明だったのです。この発明により世界中の光学メーカーで凹凸(負正)2群ズームレンズの開発がスタートします。とある設計者に「この樋口氏のワイドズームに追いつくのに十年の時を要した」と言わせました。それほど画期的で偉大な発明だったのです。それが証拠に、現在に至っても世界中の標準ズームレンズ、広角ズームレンズはこの樋口氏の2群ズームレンズの発展型と見ることができるからです。さらに、私が驚いたことは2群のマスターレンズがゾナータイプであった点です。今日の設計でも2群ズームレンズのマスターレンズは、ゾナータイプ、エルノスタータイプがベストな選択で、理にかなっています。まるで将来の進む方向を見据えていたようでした。樋口氏はごく初期の段階から凹凸(負正)2群ズームレンズを完璧に理解されていたのです。
順風満帆のように思えた凹凸(負正)2群ズームレンズでしたが、量産寸前で発売中止になります。当時のカタログにも写真が載り「近日発売」の文字が書かれていました。突然の中止。このレンズに何が起こったのでしょう。当時の鏡筒設計者から聞いた話では、大きく分けて2つの理由がありました。1つはカム構造が未熟でスムーズなズーミングが出来なかったこと。いわゆるズーミングのムラと姿勢によって落下するといった現象があったと聞いています。またもう1つの原因は大きさ。ワイド、標準系レンズにしては大きいとのことでした。今回、1台だけ残っている試作品を試作課の宇田川名人にお願いして、当時の図面を基に完璧なオーバーホールと再調整をして頂きました。確かに今日の設計と照らし合わせては、鏡筒構造に不具合が見つかります。しかし致命傷には思えませんでした。また、大きさ、重さの点でも今となっては許容できるレベルでした。フィルターサイズが86mmφと大きいのも欠点と思われたのでしょうが、今となっては驚くほどではありません。要するに時代が早すぎたのです。F2.8のズームレンズを1950年代に発明したのです。それだけでも神業としか言いようがありません。
樋口氏は発売中止が相当ショックだったのか、この大発明である凹凸(負正)2群ズームタイプを実質的に断念して、一時的に開発を止めてしまいます。その代わりに、樋口氏はほぼ並行して検討していた凸先行型3群ズームレンズの開発を進めます。凸凹凸(正負正)の3群を有するこのズームタイプも素晴らしい発明で、1961年(昭和36年)の夏に特許出願し、1965年(昭和40年)に権利化されています。何を隠そう、このレンズこそが後に製品化されロングセラーとなるNIKKOR ZOOM 43~86mm F3.5なのです。
しかし、返す返すも残念なことは凹凸(負正)2群ズームの開発・発展にブレーキがかかったことです。そのまま邁進していれば、もっと早い時期に素晴らしいズームレンズがたくさん生み出されたに違いないのです。歴史と言うものは皮肉なものです。日本光学工業(現ニコン)が次に凹先行型ズームレンズを発表するのは1975年のZoom NIKKOR 28-45mm F4.5を待たなければなりません。約15年間の沈黙でした。
それでは、開発履歴を紐解きましょう。
Auto NIKKOR WIDE-ZOOM 3.5~8.5cm F2.8-4を設計したのは樋口隆氏です。私は残念ながら樋口氏にお会いしたことはございませんが、電話で数回お話しさせて頂いたことがあります。氏は光学設計を長年従事した後に相模原製作所長を務められました。43-86ズームの事を色々な意味で良いレンズである旨をお伝えしたところ、電話口でとても喜ばれていたことを懐かしく思い出します。
Auto NIKKOR WIDE-ZOOM 3.5~8.5cm F2.8-4は残念なことに光学設計報告書が提出されておりませんでした。したがって正確な設計時期は不明ですが、特許出願、試作履歴、量産履歴で時を追うことが出来ます。先に書きましたが特許出願が1961年(昭和36年)。量産試作の開始が1960年4月であることから類推すると、設計開始は1960年(昭和35年)以前、1959年辺りではなかったかと思われます。あのズーマーの発売前ですから、完全なオリジナルであったと言えます。試作品は撮影等の評価がされて12月には評価報告書が発行されます。そして、当時の記録に「量産化に移行」の文字。量産化は一度決まっていたのです。しかし、誠に残念ながら量産中止、発売中止の決断がされてしまいました。
まずは断面図をご覧ください。まさに典型的な凹凸(負正)2群ズームレンズの構成です。群構成は左から凹(負)の前群、凸(正)の後群と続いています。1群の第1レンズ成分は色収差補正、歪曲収差補正のために凸レンズとの接合になっていますが基本的には凹レンズです。
このレンズ群の特徴は3つの凹レンズ成分で構成されていることです。この構成が惜しいのです。最も像側に正レンズ成分が1つあっただけで飛躍的に収差補正が向上したはずなのです。それに比べ、後群は非の打ちどころがありません。ゾナータイプを基本に前側に2枚の凸レンズを配置し、明るい光学系を実現しています。また、最も像側に凸レンズを配置することも王道で、コマ収差の補正が有利になります。合焦は負の前群を繰り出すことによって行います。近距離収差変動を抑える点でも前群の像側に正レンズ成分を追加したかったところです。最短撮影距離は1mと、少し長めだったことも近距離収差変動の影響であったと思われます。
それではシミュレーション結果から収差特性とMTF、スポットダイヤグラムの考察をしてみましょう。
さすがに世界初の凹凸(負正)2群ズームレンズです。樋口氏が収差補正に苦労した痕跡が随所に見られます。
それでは広角端35mmを見てみましょう。
まず目に入るのは大きな歪曲収差です。約-7%出ています。当時としてもかなり思い切った値です。また、非点収差も比較的大きく、内方コマ収差も発生しています。
良い点はF2.8としては良好な球面収差と、良く補正された倍率色収差、色コマ収差です。球面収差は後群のゾナーの構成、倍率色収差、色コマ収差は前群の接合レンズの補正が効果的に働いていると思われます。さすがにパイオニアである樋口氏の設計でも収差補正の不完全さは否めません。MTFの評価においてもレンズの中心は比較的良好な値を示していますが、画角が増すと共に10本/mm、30本/mm共に急落します。実写ではフレアーの発生、解像感の喪失として表れると思われます。
次に、スポットダイヤグラムで点光源の結像状態を観察しましょう。
中心部は点像のまとまりも良くフレアーも少なく良好です。しかし、周辺に行くに従い芯はあるものの、サジタル方向、内方向にフレアーが出ます。かなりソフトな描写になると思われます。しかし後記しますが、これらの現象はF8程度まで絞ることで実用範囲になります。
それでは中間焦点距離の50mmを見ていきましょう。
歪曲収差は約-2%台に収まり良好です。コマ収差も改善します。また、倍率色収差、色コマ収差は広角側同様、非常に良好で好ましい補正です。しかしながら、球面収差が少しアンダーに発生します。また、非点収差も残存しています。補正不足(アンダー)の球面収差は後ボケの改善効果があり好ましいですが、非点収差の発生はあまり好ましくありません。
MTFの評価はどうでしょう。中心は比較的良好です。また、10本/mmは中間域まで良好ですが周辺で低下します。30本/mmは中間域から低い値です。
この結果から、中心から中間域まではある程度コントラストも解像感もあるが、周辺はフレアーが発生し解像感も低下すると考えられます。
次に、スポットダイヤグラムで点光源の結像状態を観察しましょう。
点像の纏まりは比較的よく、周辺まで円形に近いことに好感が持てます。中間域までコントラストも高く、実用に耐えるかもしれません。やはり広角端同様、F8~11程度まで絞るとかなり良好な像になることが予想できます。
それでは望遠端焦点距離の85mmを見ていきましょう。
歪曲収差は約-1%台に収まり更に良好になります。球面収差も良く補正されています。倍率色収差、色コマ収差は、広角側の完璧な補正と比較して若干増加します。また依然として非点収差が大きい状態が続きます。コマ収差は外コマ傾向に転じます。
MTFの評価はどうでしょう。中心は比較的良好です。また、10本/mmは中間域までは比較的良好ですが、中間部分から周辺にかけて徐々に低下します。30本/mmは中間域から低い値です。この結果から、中心から中間域まではある程度コントラストも解像感もあるが周辺はフレアーも発生し、解像感が低下すると考えられます。
次に、スポットダイヤグラムで点光源の結像状態を観察しましょう。
中心部は点像の纏まりは比較的良いが、中間部分から周辺にかけて、典型的な外コマフレアーが発生し、結像点の外方に扇状の大きなフレアーが取り巻きます。この現象を上手に使えばポートレート撮影等には良い効果が出るかもしれません。また、広角端同様、F11(表示F8)程度まで絞るとかなり良好な像になることが予想できます。
総して考察すると、絞り開放では確かに未完成な感は否めません。しかし、倍率色収差などをきちんと補正していることから、絞って性能が向上するレンズになっています。実用絞りで使用に耐える商品の開発と言う意味では、決してこのレンズは失敗作ではなかったと思います。
次に実写結果を見ていきましょう。各絞り別に箇条書きに致します。
F2.8開放
中心は割合に解像感はあるが、少し像高が増すにつれて、シャープネスが低下していく。フレアーの発生ではなく、解像感の喪失と言う感じ。最周辺では画質劣化が否めない。しかし、色にじみがほとんど無いところは印象が良い。発色はすっきりしている。また、周辺光量不足を感じる。
F4~5.6
F4~5.6に絞り込むことによって中心部分から中間部分にかけてはシャープネスが向上。周辺部分も画質向上はするが解像感の喪失は否めない。周辺光量は著しく改善する。
F8~11
周辺の解像感がぐっと向上。ごく最周辺を除いて実用的な画質になる。常用するならこの絞り値が望ましいと思われる。
F16~22
最周辺の解像感がより向上するが、回折の影響が若干現れ中心付近は解像感を若干損ねる。
F3.5近傍(開放・表示F2.8)
中心から中間部分までは割合に解像感はあるが、像高が増すにつれてシャープネスが低下。最周辺はかなり解像感を損なう。しかし、広角端よりは良好。また、色にじみが少なく、発色はすっきりしている。周辺光量の低下は認められない。
F4.5~5.6
特にF5.6まで絞り込むと中心部分から周辺にかけてシャープネスが向上。ごく周辺部分を除き満足いく実用的なシャープネスに到達する。
F8~11
周辺の解像感がぐっと向上。ごく最周辺のみ若干低下するものの、ほぼ全域で満足できるシャープネスになる。常用するならこの絞り値が望ましいと思われる。
F16~22
ごく周辺の解像感は向上。画面全体が均一な描写になるが回折の影響が若干現れ解像感を若干損ねる。
F4(開放・表示F2.8)
画面中心から淡いフレアーと若干青い色にじみが発生している。中心から中間部までは割合に解像感はあるが、像高が増すにつれて徐々にシャープネスが低下していく。若干周辺光量不足も確認できる。しかし、ソフトフォーカス調のこの描写は使い様だと思われる。ポートレートでは活用できるかもしれない。
F5.6~8
絞り込むことによって、淡いフレアーが軽減し、中心部分から中間部にかけてシャープネスが向上。ごく周辺部分を除き実用的な画質になる。この絞りでポートレートを撮ると意外と良い効果が得られるかもしれない。
F11~16
解像感がさらに向上。ほぼ全域で実用に耐えるシャープネスになる。常用するならこの絞り値が望ましいと思われる。
F22~32
画面全体が均一な描写になるが、回折の影響が若干現れ解像感を若干損ねる。
各焦点位置において実用的に満足できる画質を望むのであれば、F8~11程度の絞りで使用すると良好な結果を得られるでしょう。また、周辺を若干やわらかい描写で使いたければF4~5.6を試されると良いと思います。特に望遠端ではポートレートで良い結果が得られます。
それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。
作例1、2は広角端35mm絞りF11で撮影した作例です。2枚とも逆光で撮っていますので、若干コントラストが低下しています。しかし、ごく最周辺では画像の乱れはありますが、ゴーストも少なく必要十分な画質であることが分かります。作例3は50mm絞りF8撮影した作例です。後ボケは当時のレンズとしては良好なレベルです。ピントの合っているところのシャープネスは良好で、全ズーム域の中で一番良いと思われます。
作例4は望遠端85mm絞りF8(11)で撮影した例です。顔周辺を見るとわかりますが、周辺画質は少しソフトです。しかしポートレート撮影では許容できるかもしれません。作例5は望遠端85mmで絞り開放に近いF5.6(8)で撮影した例です。ボケ味を強調する構図にしました。後ボケに若干二線ボケ傾向がありますが、当時のレンズのボケ味としては平均的レベルです。被写体の顔が画面の中心部分にあります。顔、髪の毛の再現性を見ると、中心部分がシャープであることが理解できます。
作例6と7は屋内で、かつ近距離で撮影した例です。作例5は広角端35mm絞りF5.6、半逆光で撮っています。中心近傍はまずまずですが、周辺は像が甘くなっています。また、大きな樽型歪曲が確認できます。しかし、これはこれで、なかなか味わいがある画質ではないでしょうか。レンズは使い様だと感じる1枚です。作例6は50mm絞りF4と、比較的開放に近い絞りによる撮影です。実用的に十分な画質であることが分かります。
今回の撮影を通して感じたことは「使い勝手もレンズの重さ大きさも不都合を感じず、画質も決してシャープとは言えないが実用範囲である」と言う事です。1950年代のズームレンズと考えれば、むしろ良い方だと言えるのではないでしょうか?返す返すも発売されなかったことを悔しく思います。皆さんはどうお感じになりますか。
ニコンミュージアムってなに?どこにあるの?と思われる読者の皆様、是非Web等でお調べ頂いて大勢の皆さんでお越しください。2015年10月17日にニコン本社受付の階(東京品川駅近くの品川インターシティーC棟2階)に華々しくオープンいたします。社内外のコアなメンバーを中心に、弊社の100周年事業の一環で企画されたものです。何を隠そう、私も創設当初から微力ながら職場を越境してお手伝いをさせていただいておりました。社内外から歴史的に価値のあるアイテム、資料、記録を収集集計し保管する。
そんな地道な作業と、ミュージアム構想と計画案の作成。わくわくするような仕事でした。ミュージアムの目玉は、歴史展示はもとより、ニコンのコア技術、未来のニコンの姿、子供たちと共に遊びながら光学の学習ができるサイエンス・ラボ、それに忘れてはならないものが、幻の試作品展示です。今回第五十六夜で解説したAuto NIKKOR WIDE-ZOOM 3.5~8.5cm F2.8-4も有名な写真家阿部秀之氏の作品と共に展示されます。是非お越しください。お待ちいたしております。