東京オリンピックの花形
フォーカシングユニットとNIKKOR-Q Auto 400mm F4.5
1964年の東京オリンピックは、一眼レフが報道カメラの主役に躍り出るきっかけとなった記念すべき大会であった。今回はその立役者である超望遠レンズを紹介しよう。
大下孝一
1950年ごろまで、報道カメラの花形といえば、スピードグラフィック(スピグラ)に代表される大判カメラであった。もはや写真館もデジタルになってしまったため、大判カメラを目にする機会もめっきりなくなってしまったが、大判カメラを少し知っている人なら、「暗幕をかぶってピント合わせをする大型カメラをどうやって報道の現場で使っていたんだろう?」と疑問をもたれるかと思う。しかし、スピグラは、写真館で使われていた大判カメラとはかなり趣向の違ったカメラであった。ワンタッチで折り畳み可能で鞄にしまうことができて、内蔵の距離計やビューファインダーが完備され、暗幕をかぶることなく素早く構図やピント合わせを行ない、手持ちで撮影することもできるカメラであった。新聞にとって写真は、1つの事件に良い写真が1枚あれば十分である。大判カメラであったスピグラは、1カットごとに現像できる即時性があり、ネガの扱いが楽で引伸す必要がなく、大画面を生かしたトリミングも容易であったため、分秒を争う新聞にとっては大変使い勝手のよいカメラだったのである。
1950年代後半になると、ニコンSやライカをはじめとするレンジファインダーカメラが報道の分野で台頭しはじめる。これは、フィルムの高性能化、フィルム現像の自動化など35mm判カメラの周辺環境が整備されたことと、グラフ出版の増加によって写真の需要が一気に高まり、1つの記事を1枚の写真ではなく複数の写真で見せる紙面に変わってきたからである。こうした用途には、交換レンズやフラッシュといった周辺アクセサリーの充実したロールフィルムカメラが適していた。しかし一眼レフカメラは、いまだにサブカメラという位置づけに甘んじていた。
そこに転機が訪れる。それがオリンピックだった。オリンピック競技は、スポーツの祭典であると同時に、カメラマンの腕と、カメラ・レンズの性能を競う祭典でもある。しかし、オリンピックの撮影は制限が厳しく、カメラマンが自由に移動して撮影できるエリアは限られている。そのため、交換レンズとりわけ遠くからアップの撮影できる望遠レンズの需要が高まっていった。そしてついに1964年の東京大会では、各国代表カメラマン以外は、スタンドの指定エリア以外での撮影が出来なくなってしまった。こうなると一眼レフと超望遠レンズの独壇場である。1959年発売以来、徐々に報道分野のシェアーを伸ばしてきたニコンFが報道の第一線に躍り出た瞬間であった。
一眼レフの中で、なぜ報道の現場でニコンFが圧倒的なシェアーをとることができたのだろう?それは高い信頼性と報道カメラマンをバックアップするサービス体制、そして決定的瞬間を逃さないモータードライブが挙げられるが、豊富な交換レンズ、とりわけ超望遠レンズ群の充実が決め手になった。そして、この超望遠レンズの充実に一役買ったのがこのフォーカシングユニットである。1964年日本光学は、東京オリンピックに向けて、300mm F4.5、400mm F4.5、600mm F5.6、800mm F8、1200mm F11と5本もの望遠レンズ、超望遠レンズを発売しているが、一番焦点距離の短い300mm以外は、フォーカシングユニットを共通使用している。
フォーカシングユニットには、互いに関連する3つの大きな目的があった。1つは超望遠レンズの自動絞り化(注1)である。自動絞りのためには、ボディ側の絞り連動レバーの動きをレンズ側の絞りに伝達しなければならないが、焦点距離が長くなるほど絞り位置がカメラボディから離れるため、機構設計が大変難しくなる。この機構を各レンズで共通に使用できれば、設計上非常に有利なのだ。
第2に設計の共通化と効率化である。フォーカシングユニットを使う超望遠レンズは全く可動部分のない固定鏡筒で(注1)、フォーカスや絞りなどの可動機構は全てフォーカシングユニットが担う。そのためレンズユニットはフォーカシングユニットとのジョイント部分の仕様を守ることで、効率的に設計を行うことができる。さらに製造面でも、レンズユニットは光学性能のチューニング、フォーカシングユニットは作動のチューニングに注力できるため有利であったに違いない。
そして第3は、ブロニカレンズとの共通化である。これら超望遠レンズ群は、フォーカシングユニットをブロニカ用に交換することで、レンズ部分は共通に使うことができるのだ。そしてもちろん、レンズユニットの交換だけで焦点距離が変えられ、フォーカシングユニットの交換で中判カメラに対応するという特徴は、ユーザーにとっても大きなメリットだっただろう。
フォーカシングユニットには新旧2タイプがある。旧タイプには特に名称がないが、1975年に発売された新フォーカシングユニットにはAU-1という名称がついている。
これは日本でいう「ニューニッコールレンズ群」(黒鏡筒で、絞りリングとフォーカスリングの間に銀リングをあしらったデザインのレンズ)と同様のデザインテイストにすべく外観を変更したものである。
機能面でも充実しており、旧フォーカシングユニットではユーザーがつけかえねばならなかった距離指標も、AU-1では400mm/800mm、600mm/1200mmの距離指標が刻まれ、リングの回転によって切り替えられるようになっていたり、絞りリングがボディ近くに移動し、他のレンズとの操作感の共通化も図られている。さらにAU-1では後部差し込みのフィルターボックスが設けられ、52mmフィルターが装着可能になっている。ただ機能アップのために、重量がアップしてしまったのは残念なところである。
なお、新旧フォーカシングユニットともに、絞りの連動爪がないため、露出計は連動しない。またデジタル一眼レフを含む最近の一眼レフカメラでは、機構上の問題で使用不可となっている。
鏡筒メカ設計上は非常に効率のよいフォーカシングユニット方式だが、光学設計上は大きな制約であった。図1で左から4番目のレンズの右側にあるのが絞りである。
このように、絞りがレンズの像側に配置されている構成をビハインド絞りというが、周辺光量を確保するためには、前玉から絞りまでの距離を極力小さくしなければならない。しかもフォーカシングユニットは400mmから1200mmまで共通だから、絞り位置をレンズによって変えることはできない。設計上相当な制限になったに違いない。
光学設計は、400mm、600mm、800mm、1200mmの4本のレンズ全て清水義之さんが担当されている。おそらく、各レンズの絞り位置を最適の位置に揃えるには、1人で並行して設計を進めた方が効率的だったのだろうが、さぞや目の回るような仕事だったことだろう。設計報告書を見ると当時の苦労が垣間見える。特にこの400mmについては絞り位置を揃えるのが難しかったのだろう。報告書に残っているだけでも5種類のレンズタイプを比較検討し、最終的に図1のタイプが選ばれたのである。
図1のような凸凸凹凸の4枚からなるレンズをエルノスタータイプというが、特徴は球面収差、コマ収差の補正が極めてよいことである。このレンズシリーズでは、800mmや1200mmはレンズ全長を極力短く設計し、400mmはそれに合わせてレンズ全長を長めに設計する必要があったため、トリプレットやテレフォトタイプに比べ、レンズ全長やバックフォーカスのコントロールが容易なエルノスタータイプが有利だったのだろう。レンズデータから性能を再現すると、球面収差、コマ収差がよく補正されており、6x6判の画面対角まで良好な性能である。ただ、像面湾曲が残っており、6x6判の周辺ではピント位置がかなり異なるが、35mm判で使う場合は、画面四隅以外ほとんど目立たず均質な描写が得られる。
このレンズの欠点はやはり軸上色収差だろう。軸上色収差とは、光の波長(=色)によってピント位置が異なる現象で、ある色でぴったりピントを合わせても、別の色はピンボケであるため、解像が甘くなってしまったり、被写体の輪郭に色づきが発生してしまう現象である。このレンズの場合、ピントの合ったところで赤紫色のにじみがみられるが、順光でコントラストの低い被写体ではほとんど目立たないと思われる。しかし、逆光や光源のようなコントラストの高い被写体ではかなり目立つだろう。軸上色収差は、レンズの焦点距離が長くなれば長くなるほど顕著にあらわれる収差で、超望遠レンズで色収差を低減するにはEDレンズの開発を待たねばならなかったのである。
いつものように作例をもとに、このレンズの描写をみてゆこう。
作例1では、セイタカシギという、ピンク色の長い脚が特徴のかわいらしい野鳥を撮ってみた。400mmという焦点距離は“超望遠レンズの標準”と言われており、鳥や動物の写真、スポーツ写真に使い勝手のよい焦点距離だ。
このレンズは球面収差の補正は大変良好なのだが、作例をみると全体にやわらかい描写になっている。シギチドリ類は餌を求めてちょこちょこ動き回るので、わずかな被写体ぶれの可能性もあるが(事実頭部は被写体ブレしている)、軸上色収差の影響もあるのだろう。
作例2は、カモ(アメリカヒドリ)の写真である。芝生で前後のボケ具合を見ると、前景側がやや硬く、背景側が柔らかくボケていることがわかるだろう。これは近距離になるに従って、球面収差が若干マイナスに倒れている効果である。それから、前景側のボケのエッジが赤っぽく、背景側のボケのエッジが緑色に色づいているのがわかるだろうか?これも軸上色収差が原因で、この作例は薄曇りの順光条件なのであまり目立っていないが、逆光や光源が画面内にある時は気になることが多い。軽減のためにはF8からF11まで絞りこむ必要がある。
作例3は、星の写真である。オリオン座の下側を400mmで拡大したもので、中央が有名なオリオン座大星雲(M42、43)だ。都内で撮影したので写りはいまいちだが、対光害フィルターのおかげで大星雲はそこそこ写ってくれた。さすがに6x6判をカバーするだけあって、開放から画面全体にわたり均質な描写である。しかし、軸上色収差のため、明るい星の周囲が赤紫に色づき、星像もふくらんでいる。また作例3で周辺減光が目立つのは、星や星雲を際立たせるために、コントラストを2~3倍高めているせいである。他の作例の通り、周辺光量は豊富で、均質な描写をするレンズといえるだろう。
東京オリンピックの年発売された望遠レンズシリーズは好評のうちに迎えられ、スポーツ写真に広く使われただけでなく、野生動物や野鳥写真といった自然写真の普及と発展に貢献した。その後1975年に、600mmから1200mmの超望遠レンズシリーズは、新フォーカシングユニット発売と同時にED化されたが、この400mmレンズだけは設計変更されることなく継続生産されている。おそらくその頃には後継機種の発売が決まっていたためだろう。
1976年にモントリオールオリンピックのため限定生産され、1977年に一般発売されたAi NIKKOR 400mm F3.5 ED IFである。このレンズは、色収差を低減するEDレンズと、フォーカスの操作性を格段に改善したIF(インターナルフォーカス)機構を搭載し、レンズ全長を10cm以上短縮した画期的なレンズであった。この400mmと600mmを皮切りに、順次超望遠レンズ群は使い勝手の良いIFレンズに生まれ変わってゆく。超望遠新時代の幕開けである。