手ブレをなくせ!レンズの中に防振機構を備えたレンズ
Ai AF VR Zoom-NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6D ED
今夜はニコンで初めて手ブレ防止(Vibration Reduction=VR)機構を搭載した交換レンズ、Ai AF VR Zoom-NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6D EDを取り上げます。このレンズは三脚を使用しなくても、手軽に夜景やスポーツ写真、風景写真を撮影したいという、ユーザーの夢を実現させてくれました。VR機構とは何なのでしょうか。また、どんな人が開発したのでしょうか。はたして、ニコンの交換レンズで初めてVR機構を搭載したレンズには、どんな匠の技がひそんでいたのでしょうか。
今夜はその秘密を一つ一つ紐解いていきましょう。
佐藤治夫
なにをかくそう、世界で初めて、レンズの一部を動かして防振する防振レンズを搭載したカメラは、ニコンのカメラでした。
そのカメラは知る人ぞ知る、ニコンズーム700VR QDです。このカメラが産声を上げたのは平成6年(1994年)4月のことでした。このカメラは、少し大柄で、コンパクトカメラとしては高価だったので、大ヒット商品にはなりませんでしたが、非常に良く写るカメラでした。しかし、当時、このカメラは、コンパクトカメラで最大の敵である、ピンボケと手ブレを見事に解決してくれた唯一のカメラだったのです。当時のニコンでは、VR機構はコンパクトカメラにこそ適した機能だと考えていたようです。確かに一眼レフを使わない一般の人たちこそ、理屈抜きで失敗無く良く写る、安価でコンパクトなカメラが必要だったのです。その点でもニコンズーム700VR QDのコンセプトは、的を射たものだったのです。しかし、時代が少し早すぎました。その証拠に、今日ではコンパクトデジタルカメラと言えば、手ブレ防止機能付が当たり前のようになっています。開発者の考えは正しかったのです。やっと時代が追いついてきたのです。
詳しい説明は、ニコンのカタログや巷にあふれる解説本にまかせることにします。ここでは簡単に原理の説明をすることにしましょう。
まず、手ブレとはなにか、と言うことから考えてみましょう。シャッターを押す瞬間にカメラを一緒に下向き方向に押し下げてしまうことによって、被写体が主に上下に動いて(正確には3次元的なあらゆる方向の動きが考えられる)写りこんでしまう現象が手ブレです。これは遅いシャッタースピードの時に起こりやすい現象です。防振レンズは、内蔵した複数の角速度センサーによって手ブレを検知して、手ブレの動きを打ち消す方向にレンズの一部を動かして、像の移動をキャンセルさせるのです。
したがって、問題になるのは、手ブレの正確な方位と量を検知し、シフトするレンズに精度良く伝達する事。そして、そのシフトするレンズの性能劣化をいかにおさえるか、と言う事です。光学系の一部を光軸に対して上下に移動(シフト)させるわけですから、シフトさせたときには、レンズの偏芯による収差が発生します。それを如何に抑えるか、どれだけ収差を発生させないようなレンズ構成、レンズタイプを開発できるか、がポイントになります。まさに、そこが光学設計者の腕にかかっているのです。
それでは、Ai AF VR ズームニッコールED 80-400mm F4.5-5.6Dの開発履歴を紐解いてみましょう。光学設計完了は平成9年(1997年)。そして、その翌年の2月に試作図面が出図されています。その後、試作、検証実験、実写テストを重ね、平成12年(2000年)11月に発売されました。光学設計を担当したのは、当時、第一光学部第一光学グループに在籍していた青木正幸氏です。彼は私と同年代で、よき友であり、よき同僚でもありました。また、彼は平成13年(2001年)に行われた、光学設計研究グループの学会発表会で、このレンズの発表を行っています。このレンズが学会発表に値する発明であったことの証です。さぞかし設計者は誇らしかったことでしょう。
普段の青木氏はいい加減なことや不合理なことが嫌いな、まじめで実直な方でした。光学設計に対する姿勢もそのままで、彼の実直な性格がレンズ性能に反映されています。誠に残念なことに、彼は若くして亡くなってしまいました。あまりに突然な他界への旅立ちに、職場全員が悲しみに涙したことを、昨日の事のように思い出します。彼の残した功績は大きく、今もニッコールと共に生き続けています。きっと、今もニコンのことを天国で見守ってくれているに違いありません。
まずは断面図をご覧ください。このズームレンズは凸群先行の6つのレンズ群によって構成された6群ズームレンズです。合焦は1群で行います。匠の技は、2群(左から2番目凹群)を像面に対して固定群で構成したところにあります。
特に2群を固定にすることは、設計的に自由度を制限することになります。しかし、その代わりに、VRに最適な構成や機構を生み出しています。このレンズのVR群は2群の一部のレンズのみで構成されています。そして、このレンズが角速度センサーの位置検出に合わせて上下にシフトして防振します。
VR群は基本的に主光線が光軸近傍を通過する部分を用いる方法が、VR起動時非点収差や偏芯コマ収差の発生が少なくなるのです。その点、このレンズは広角側でも望遠側でも適した構成になっています。したがって、このレンズはVR起動時の性能劣化が極めて少なく、安定した光学性能を実現しているのです。また、1群に2枚、3群に1枚、合計3枚のEDガラスを使っています。1群のEDガラスは広角側では倍率色収差の補正に効果を発揮し、望遠側では軸上色収差の補正に絶大な効果をもたらします。また、3群のEDガラスは主に広角側の軸上色収差の補正に効果を発揮しています。
それでは、遠景実写結果と作例、設計値の両方から描写を考察してみましょう。まずは設計値から考察します。まず、広角側は軸上色収差、倍率色収差ともに少なく良好で、非点収差、像面湾曲も少なく良好です。あえて欠点をあげれば、色コマ収差が若干ありますが、少し絞り込むことで改善されます。また、たる型の歪曲がありますが、このクラスのズームレンズとしては標準的な値です。次に望遠側ですが、まず目をひくのが軸上の色収差が少ないことです。また、広角側同様、非点収差、像面湾曲も少なく良好です。あえて欠点をあげれば、コマ収差が若干残っている点と、糸巻き型の歪曲があることでしょう。しかしながら、これも広角側同様、このクラスのズームレンズとしては標準的な値といえるでしょう。
それでは遠景実写結果と作例を考察します。まず、広角側ですが、開放では十分なシャープネスがあるが、ごく周辺で若干像のコントラストが低下します。F5.6~F8に絞るとさらにコントラスト、解像力とも向上し、最良の画質になります。F11~16に絞ると全画面均一になりコントラストの良い画質となりますが、F16辺りから回折の影響で徐々にシャープネスが低下していきます。F22~32ではさらにその影響が顕著になります。一方、望遠側では、開放から色収差の良好な補正の効果が現れて、このクラスのズームレンズとしては、解像力、コントラストともに良好で、色づきも少ない良好な画像が得られます。F8~11に絞ると特にコントラストが向上し、最良の画質になります。F16~32に絞ると全画面均一になりますが、回折の影響で徐々にシャープネスが低下していきます。
作例1は比較的広角よりの中間焦点距離・絞り開放近傍で撮影したものです。人物の描写、ボールの立体感を見れば、十分なシャープネスを持っていることが分かります。作例2は望遠側・絞り開放で撮影したものです。人物の描写、洋服の文字を見れば、十分なシャープネスを持っていることが理解できます。また、このクラスのズームレンズとしてはボケ味も比較的良好なことが分かります。
作例3はシャッターチャンスを意識した写真です。レンズ内防振機構の最大の強みは、ファインダー内で防振効果が確認できるため、構図やピントが決めやすいことです。これは非常に重要な機能です。特にスポーツ写真を写す場合、被写体ブレを考慮し、早いシャッターを切ります。したがって、もともと手振れは発生しづらいのです。それよりも、動き回る被写体を正確に追いかけ、きちんとした構図とピント合わせを実現させるには、ファインダーをのぞいている状態で、被写体が止まっていることが必要になるのです。その点、レンズ内防振は大きな役割を果たしてくれます。プロのみならず、運動会やサッカーの試合などでもその効果は私たちの大きな味方になってくれます。作例1~3はあえて動きがある被写体を選びましたが、特に作例3はまさに構図とシャッターチャンスを意識した作例です。これらの作例でおわかりのように、レンズの中に防振機構を持ったレンズはとても重宝するのです。
普段の青木さんは、まじめを絵に描いたような人でした。また、まがったことの嫌いな正義感の強い人でした。私は彼とプライベートでも親しくさせてもらいましたが、時々彼の多趣味なところに驚かされたものです。彼の趣味の中でも音楽鑑賞には、彼独特のこだわりを持っていました。なんと、聴く音楽は昭和のアイドルからクラシック音楽までと幅広く、「あの青木さんが、アイドルのコンサートにいった?おっかけをやっているのかなぁ?」と皆を驚かせたこともありました。普段見る青木さんの性格とのギャップが皆を驚かせたのです。また、手品も得意で会社の社員旅行では、見事な手品を披露してくれたものです。青木さんは短い人生を閉じられましたが、きっと精一杯人生を生き抜いたと思います。これからも青木さんは彼の功績とともに、我々の中に生き続けることでしょう。