報道写真家御用達、多くの世界記録を目撃したレンズ
Ai Nikkor ED 200mm F2S (IF)
今夜は報道写真家の要望により開発されたAiニッコール ED 200mm F2S (IF)を取り上げます。室内競技を撮影することを目的として開発されたこのレンズには、どんなエピソードがあったのでしょう。はたして、世界で最も明るい200mmの開発とは、どのようなものだったのでしょうか。
今夜はその履歴を一つ一つ紐解いていきましょう。
佐藤治夫
第十一夜でお話した通り、昔から日本光学(現ニコン)は報道写真家の方々と非常に良い関係にあります。報道写真家の皆様のご要望で、数々のニッコールが生まれました。特に望遠・超望遠レンズの中には、歴史的なイベントに合わせて、報道写真家の方々の貴重なご意見を元に、開発されたものも多数あります。たとえば、フォーカシングユニットを用いるニッコール400mm、600mm、800mm、1200mm等は東京オリンピックのために開発されたものですし、第十一夜で取り上げたED 300mm F2.8は、札幌オリンピックのスキー競技を撮影するために開発されたものでした。歴代のニッコールレンズは、数々の世界記録の誕生を記録し続けたのです。
我々はニッコールレンズの目を通して、アスリートたちの栄光を称え、歓喜したのでした。設計開発者は、きっと誇りに思ったことでしょう。まさに歴史に残る映像を記録する、そんな仕事に携わることができたのですから。
今夜取り上げる200mm F2は主に体操競技の撮影のために企画されたものでした。当時の要望は、「手持ち撮影可能で、ちょうど200mmぐらいの焦点距離で、最も明るいレンズがほしい!」というものでした。Aiニッコール ED 200mm F2S (IF)は、その要望に対する日本光学(現ニコン)の回答でした。当時、このレンズは世界中の報道機関で愛用され、数々の作品を生み出したのです。
それでは、Aiニッコール ED 200mm F2S (IF)の開発履歴を紐解いてみましょう。光学設計完了は昭和51年(1976年)。そして、量産図は同年11月に出図されています。完成した量産品は、昭和52年(1977年)4月にAiニッコール ED 200mm F2 (IF)として、報道機関限定で発売を開始されます。その後、限定発売が続き、1982年4月にAiニッコール ED 200mm F2S (IF)レンズとして、一般販売が開始されます。その後、EDガラスを保護する目的で、第1レンズに保護フィルターを追加し、フードを変更し、ゼラチンフォルダーを追加して、Aiニッコール ED 200mm F2S (IF) <New>が1985年12月に発売されます。
光学設計を担当したのは、当時の光学部第一光学課に在籍していた林清志氏です。林氏は何を隠そう、私の師匠(指導員)にあたる方で、日本光学に入社以来、長期にわたりご指導いただきました。その林氏の処女作が、なんとこのAiニッコール 200mm F2 (IF)だったのです。当時は、まだ自動設計を自由に使えない時代で、計算機も今のコンピューターとは較べものにならないような非力なものでした。
当時の光学設計は、まずレンズの骨組であるパワー配置を計算し、ぺッツバール和と主点位置をある程度決めて、大まかな全長、バックフォーカスを決定します。その後、各レンズの枚数や構成を考えます。そして、その各レンズの1枚1枚の微小な曲率半径の変化、レンズ厚の変化、レンズ間隔の変化、ガラスの屈折率の変化、分散値の変化等を一覧表にまとめた数表(変化表)を作成します。そして、コツコツとその表を用いて効率良く収差を軽減する方法を見出すのです。これは、地道で根気の要る作業です。変化表を用い、各面や間隔、レンズの厚み、屈折率、分散を微小に変化させると、どの収差がどれだけ発生するのか分かります。また、この面とあの面の変化を組み合わせると、この収差が減少するぞ!と言うように、収差の軽減方法が見抜けます。目を皿のようにして、変化表を見入り、色鉛筆で書き込みをしていきます。それが、当時のレンズ設計の重要な仕事の一つでした。
林氏も日々黙々と変化表を観察し、苦労の末、今まで誰も成し得なかったスペックのレンズを完成させたのです。また、この一作目の仕事の成功が、林氏の仕事の方向性を決めたと言っても良いでしょう。その後、林氏は数々のIF(インナーフォーカス)式超望遠レンズの開発を手がけていきます。そして、後年その功績が認められ、林氏の師でもある中村氏と嵐田氏と共に、皇族、政府官僚の方々が見守るなか、平成6年に発明協会会長賞を受理します。林氏らの発明は、社内・社外を問わず、世界中のIF(インナーフォーカス)式超望遠レンズの源流となったのです。
まずは断面図をご覧ください。前の2枚はEDガラスです。そして、その2枚のEDガラスを含む前群の3枚が、望遠レンズとしての最も重要な前群を構成しています。設計的には、この3枚で、十分に色収差と球面収差、下方コマ収差の補正を行なう必要があります。次に3枚のレンズで構成された凹群の合焦群が続きます。この凹群でテレ比をかけると同時に、合焦機能を持たせることが、林氏の発明の重要な部分です。この凹のパワーを強めれば強めるほど、前群の残存収差が拡大され、また近距離収差変動も増加します。
200mmという焦点距離の短さもあり、林氏は大きなテレ比をかけない道を選びました。その選択が、このレンズを成功に導いた秘策だったのです。また、特徴的な構成は、最後の凸群にあります。この群の最後の凹レンズは、ペッツバール和を小さくするために働いているのです。この1枚の凹レンズの追加は、200mmの画角をカバーするゆえの知恵だったのです。
それでは、遠景実写結果と作例、設計値の両方から描写を考察してみましょう。絞り開放では、適度なシャープ感と、深度の浅さからくるやわらかな描写を兼ね備えています。ピントの合ったところは、解像力が高く、適度なコントラストがあります。設計値では、シビアな目で見れば、中心から周辺に向かうにつれて、像面湾曲とコマ収差の影響で若干周辺像が甘くなる傾向があります。しかし、実写ではまったく気になりませんでした。
作例写真は両方とも絞り開放で撮影しています。作例1は至近近傍で撮影し、作例2は比較的中距離で撮影しています。作例1は、髪の毛やまつげに、作例2は洋服の毛羽立ちに注目していただければ、このレンズのシャープ感は、お分かりいただけるでしょう。開放からシャープなレンズですが、F2.8~F4でさらにシャープネスは向上します。F5.6~11ではまたさらにシャープネスが向上し、ほぼ均一な画質となります。また、F16~22では、徐々に回折の影響で画質が低下していきます。
普段の林さんは温和でやさしく、気さくな方です。若いころはレンジファインダーカメラを愛用し、カメラ、レンズの愛好家でもありました。林さんのいくつかある趣味の中で、最も際立っているのが、音楽に対する情熱でしょう。林さんはコーカサス3国(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン)という、一般人にはなじみの薄い地域のクラシック音楽(近代・現代音楽)を研究しています。音楽鑑賞などとはほど遠い、まさに研究と言うべきレベルの高さです。また、音楽のみならず、それぞれの国の情勢や歴史的背景についてもとても詳しく、その知識は驚くばかりです。
また、林さんは食通でもあり、特にメンチカツにはかなりのこだわりを持っています。私の若いころのお話です。林さんはいつも、「私は、メンチカツには、ちょっとうるさいですよ!」と言っていました。しかし、そう言う割には、どこの店のメンチカツでも、結局おいしそうに、みんな食べてしまうのです。ある時、私は林さんに言いました。「それじゃぁ、単に大好きなだけなんじゃないですかぁ?」。林さんは苦笑いをして、「ばれましたか」と一言。職場一同大笑いをしました。昔から林さんは、とてもユニークな一面も持った方だったのです。