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第十二夜 NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5

一眼レフカメラを汎用カメラとして認知させるきっかけともなった広角レンズ
NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5

180mm(第十夜)、300mm(第十一夜)と望遠系レンズが続いたので、今回は広角レンズの「NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5」のお話をしよう。
「ニコンF」発売の翌年、昭和35(1960)年3月に発売になったこのレンズは、現代の感覚でいえば“開放F値が暗めで平凡なスペックの広角レンズ”に過ぎないが、当時としてはハイスペックな高性能レンズであった。いやそればかりではない。一眼レフレックスカメラがいわば汎用カメラとして認知されるきっかけともなった重要なレンズなのである。

大下孝一

1、小さな巨人

図1.NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5断面図

「ニコンF」発売と前後して、各社から一眼レフカメラが数多く発売されたが、すぐさま一眼レフは汎用カメラとして認知されたわけではない。当時の汎用カメラといえば、やはりライカやニコンS系カメラに代表されるレンズ交換可能なレンジファインダーカメラであって、「一眼レフカメラは、レンジファインダーでは撮影が困難な望遠撮影や近接撮影用のカメラ」という認識があった。

それも無理はない。当時の一眼レフ用の広角レンズは種類も少なく、スペックや描写性能面で未だ満足のできるものではなかったからである。ご存知のように一眼レフカメラには、カメラの内部にレフレックスミラーを組み込んだミラーボックスを有しており、このレフレックスミラーとその動きと干渉しないために長いバックフォーカスを持った撮影レンズが必要とされる。当時はまだ、性能を良好に保ちつつ、焦点距離よりもはるかに長いバックフォーカスを持つレンズタイプはまだ確立されておらず、広角レンズの開発には今までにない全く新しいレンズタイプを必要としていた。一方、レンジファインダーカメラの方は、バックフォーカスの制約がないため、既に広角レンズ用としてさまざまなレンズが開発されており、一眼レフに比べて圧倒的な優位性を持っていたのである。

このような情勢の中、昭和34(1959)年に誕生した「Nikon F」は、あらゆる撮影状況に対応しうる万能カメラとして、レンジファインダーを超えるカメラとして企画されたものである。したがって、「Nikon F」が万能カメラたるためには、高性能な広角レンズの開発が急務であった。

「Nikon Sシリーズ用として定評のある「W-Nikkor 2.8cm F3.5」の性能を上回る28mmレンズを開発せよ!」。この命を受け、開発を担当されたのは、これまでにもこの「ニッコール千夜一夜物語」に何度か登場している脇本善司氏であった。当時、一眼レフ用の逆望遠レンズ型(=通常のレンズの前に大径の凹レンズを置く非対称な構成)の広角レンズは、フランス・アンジェニュー(Angenieux)社の「レトロフォーカス(Retrofocus:商品名)35mm」の発売を契機として各社が開発に鎬(しのぎ)を削る最中であった。しかし、この「レトロフォーカス」を含めて、それまで知られていた逆望遠型のレンズ構成のままでは、28mmに広角化したときに満足のいく光学性能にはなりそうになかった。そこで脇本氏は、試行錯誤の末、逆望遠型で新しいレンズタイプを見出した。これが「NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5」(<図1.>)である。 このレンズの構成は<図1.>のように、

とで構成した逆望遠レンズタイプ(現在ではア社の商品名から転じて“レトロフォーカスタイプ”と通称・総称されることが多い)である。 脇本氏による新しいレンズ構成の特徴は、後群の構成を、それまでの逆望遠レンズで採用されていた“凸凸凹凸”のレンズ構成から、“凸凹凸凸”の構成に変更したところにある。それまでのレトロフォーカスタイプでは、前群は、ディストーション(歪曲収差)を補正するための凸レンズと、バックフォーカスを長くするための凹レンズで構成しているが、オリジナルの後群の“凸凸凹凸”の構成では、この前群で発生するコマ収差をうまく打ち消すことが出来ず、絞り開放ではフレアが多く不十分な性能のものが多かった。

脇本氏は、この後群の構成を<図1.>のような“凸凹凸凸”とすることによって、レトロフォーカスタイプの弱点であった画面周辺部のコマ収差を劇的に補正・改善し、オルソメタータイプ(対称型構成のひとつ)のS用「W-Nikkor 2.8cm F3.5」を上回る高性能な28mmレンズを完成したのである。一見ささいなことに見える後群の変更ではあるが、このレンズタイプ発見の功績はそれだけにとどまらない。この後群の“凸凹凸凸”構成の発見によって、いままで非常に困難とされていた一眼レフ用の焦点距離24mm以下の広角レンズや、大口径広角レンズの設計の道筋に光明が見えてきたからである。

事実、この28mmレンズの開発以降、「NIKKOR-O Auto 35mm F2」(昭和40(1965)年)、「NIKKOR-N Auto 24mm F2.8」(昭和42(1967)年)、「NIKKOR-UD Auto 20mm F3.5」(昭和43(1968)年)と革新的な広角レンズを次々開発し、一眼レフの撮影領域を広げてゆくことになる。試みにニッコールレンズのカタログ最新版などに掲載されている広角レンズの断面図をご覧いただきたい。「AI AF Nikkor ED 14mm F2.8D」(平成12(2000)年)や「AI AF Nikkor 28mm F1.4D」(平成2(1994)年)をはじめとするAFニッコールの広角レンズ全てに、この“凸凹凸凸”のレンズ後群の構成が含まれているのがおわかりいただけるだろう。

また、「AI AF 28mm F2.8D」(平成2(1994)年)のように、「NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5」と同じレンズ構成(6群6枚)のものもある。これらはニコンのレンズに限ったことではない。現在発売されている多くのレトロフォーカスタイプ広角レンズは、この「NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5」レンズをお手本にしているといってよい。アンジェニュー社から誕生したレトロフォーカスタイプは、いわばこの「NIKKOR-H Auto 2.8cm F3.5」レンズによって本当に完成したと言えるのではないだろうか?外見は小さなレンズであるが、その開発の意義は非常に大きかったのである。

2、レンズの描写

では、作例をもとに、このレンズの描写を見ていこう。

このレンズの描写については定評があり、現在のレンズと比較しても何らひけをとらないものである。被写体の細部を克明に描ききる描写には、開放からナイフのような鋭さと力強さがある。「シャープでかりっとしたコントラスト」というニッコールレンズのイメージは、あるいはこのレンズによってつくられたものなのかもしれない。その秘密は、コマフレアの少なさにある。コマフレアの目立ちやすい夜景や星の写真を、絞り開放で撮影しても顕著なコマフレアは認められない。天体写真ファンの間でこのレンズが愛用され続けてきた理由は、ここにあるのだ。

F3.5開放では画面中心から周辺部まで均質でシャープな描写であり、絞り込むことによってさらに均質性とシャープさを増していく。しかし、開放から十分なコントラストがあるため、絞りによる描写の変化はほとんどないといってよいだろう。非常に使いやすいレンズである。

<作例1.>は、f/8まで絞って撮影しているが、非常にシャープで、レトロフォーカスタイプの広角レンズにはつきものとされるディストーション(歪曲収差)も非常に小さいことがおわかりいただけるだろう。

<作例2.>は、絞り開放での撮影である。開放F値3.5と暗めの広角レンズであるので、開放絞りでも大きなボケは期待できないが、素直なボケ味で筆者個人はとても気に入っている。

周辺光量の低下は、絞り開放ではわずかにあるが、作例のようなシーンではほとんど目立たないレベルである。このように非常に卆(そつ)のない描写をする広角レンズであるが、唯一の欠点といえば、被写体にフィルム面から60cmまでしか寄れない最短撮影距離であろうか?このスペックには、このレンズが非常に高い性能をもち、ディストーション(歪曲収差)の補正が完璧になされていたがゆえにレトロフォーカスタイプにつきものの近距離の性能劣化がより目立ってしまって、やむなく至近距離を60cmに止(とど)めた......といういきさつがあるらしい。「至近距離60cm」というと、レンジファインダー用の広角レンズと比較するならば同等以上の性能ではある。しかし、この仕様では“パララックス(視差)がなく近接撮影に強い”という一眼レフのメリットは残念ながらあまり生かすことはできない。「広角レンズで被写体にもっと寄って撮影したい!」というユーザーの要望も次第に大きなものになっていった。これが近距離補正機構を搭載した「NIKKOR Auto 24mm F2.8」の開発につながってゆくわけであるが、このことはまた第十四夜でお話したいと思う。

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