報道カメラマン待望の「夢のサンニッパ」
NIKKOR-H 300mm F2.8
第十一夜は、一般のユーザーがふだん目にする機会は少ない、報道用に作られた大口径超望遠レンズ、「NIKKOR-H 300mm F2.8」を取り上げます。
佐藤治夫
日本光学工業~ニコンのカメラやレンズは、昔からアマチュアの方々やプロフェッショナルの方々から貴重なアドヴァイスを頂戴して商品を開発してきました。 なかでも、望遠・超望遠レンズの開発には、スポーツ・報道(プレス)カメラマン(フォトグラファー)の方々のアドヴァイスが重要な役割をもっています。ですから、ニッコールレンズのラインナップの中には歴史的なイヴェントに関係が深いレンズが多数あるのです。たとえば、フォーカシングユニットを用いる「NIKKOR Auto 400mm F4.5」(昭和39(1964)年)、「600mm F5.6」(同年)、「800mm F8」(同年)、「1200mm F11」(同年)等は、東京五輪(昭和39(1964)年)と開発がリンクしていますし、今回取り上げる「300mm F2.8」は、札幌冬季五輪(昭和47(1972)年)にリンクしています。
日本光学工業初の“サンニッパ”は、「札幌冬季五輪の室内競技を、できる限り速いシャッターを切ってシャープな写真を撮りたい」という報道写真界からの要望から生まれたのでした。今でこそ“サンニッパ”といえば、プロ・アマを問わず愛用者の多いポピュラーな超望遠レンズとなりましたが、開発当初は特別な目的のために作られた、まさにプロの道具だったのです。
この日本光学工業初の“サンニッパ”の特徴は、第一に、特殊低分散ガラス(後に、自社製造のガラス材料(硝材)を「ED(Extra-low Dispersion)ガラス」と命名)を使用し、超望遠レンズに発生しやすい色収差を徹底的に取り去っているところでしょう。当時も日本光学工業は数々の新種ガラスを開発し、世に送り出した硝子製造メーカーでもありました。特に異常分散性を持った硝種を必死に開発中だったのです。しかし、残念ながら特殊低分散ガラスの代名詞として世界で通用する「ED」は、いまだ産声を上げていませんでした。
そのため、初期の「NIKKOR-H 300mm F2.8」の製造に、EDガラスの量産は間に合わず、光学系の一部には、硝種開発で先行していたドイツのショット(SCHOTT GLAS)社製の異常分散性をもった硝材を使用していたのです。皮肉なことに、プロたちをあっと言わせた高性能超望遠レンズは、栄光の称号「ED」と金色のラインを持たない、“無冠の王”だったのです。
「NIKKOR-H 300mm F2.8」のもう一つの特徴は、絞りが光学系のほぼ中央にあって、オート絞り(自動絞り)ではない普通絞りであった点です。したがって、このレンズは所謂(いわゆる)「ニッコールオート」ではないのです。これは一見欠点のように思いますが、さにあらず。
当時のプロたちの意見は「室内競技の撮影中は、絞りは開放近傍しか使わない。絞り込みが必要なときは、じっくり撮影に取り組むときなので、必ずしも絞りがオートでなくても良い。その分、高性能化を!」というものだったそうです。普通絞りは、カメラボディとの機械的な連動部分が不要なので、絞りの配置が自由になります。したがって、光学設計的に最良の位置に絞りを置く事が出来ます。これによって、絞り込みの効果も最良のものとなります。また、絞り形状も自由に選択できます。プロの方々からのアドヴァイスを反映して、このレンズは、非常に多い枚数(18枚)の絞り羽根による円形絞りを実現しているのです。
それでは、ニッコールの「300mm F2.8」の変遷を追ってみましょう。
まず、「NIKKOR-H 300mm F2.8」。このレンズは、昭和47(1972)年1月に報道向けに発売しました。このときは「ED」の名称はありません。その後、多層膜コーティングを施して改良し、更に、自社製のEDガラスを用いたものに変更していきます。最後まで一般向けには販売しなかったこのレンズは、カタログにも掲載していませんでした。生産総数も合わせても百数十本程度だったようです。その後、ニコン独自のIF(Internal Focusing)方式を開発し、自動絞り、AI(開放F値自動補正)方式を採用し、“サンニッパ”の名声を確固たる物にした「AI ED Nikkor 300mm F2.8 (IF)」を、昭和53(1978)年に発売します。
そして、EDガラスを保護する目的で、前玉の前面に保護ガラスフィルタを追加し、また、AI-S化した「AI ED Nikkor 300mm F2.8S (IF)」を発売します。更に時は流れ、時代はオートフォーカス一眼レフ時代に移行して、AF 化した「AI AF ED Nikkor 300mm F2.8S (IF)」を、昭和61(1986)年10月に発売します。そして、平成4(1992)年9月には、光学系を根本的に新設計し、モーターを内蔵した「AI AF-I ED Nikkor 300mm F2.8D (IF)」が登場します。また、平成8(1996)年11月には、光学系を更に改良設計し、ニコン独自のSWM(Silent Wave Motor:超音波モーター)を組み込んだ「AI AF-S ED Nikkor 300mm F2.8D (IF)」を発売しました。
更に21世紀の最初の年、平成13(2001)年に、さらに大幅な軽量化をなした「AI AF-S ED Nikkor 300mm F2.8D II (IF)」を発売しました。今でこそ日本のアマチュアの方々にも“サンニッパ”の愛称で親しまれているこの大口径超望遠レンズの源流は、プロたちの厳しい目と情熱、開発者のチャレンジ精神と努力によって生み出されたものだったのです。
そして、貪欲なまでも高性能を目指した開発の歴史は、約30年を迎えようとしています。現在のAF-S望遠・超望遠レンズ群は、テレコンバーター装着時ですら、従来品を上回る収差補正状態を保つように設計・製造しています。レンズ単体では過剰品質かと思われるほどの色収差の除去(“超色消し”)をおこなっているのも、テレコンバーターを常用するスポーツ・報道のプロの方々と行動を共にして出した結論なのです。飽くことのなき開発は、これからも更に長い歴史を作っていくことでしょう。
「NIKKOR-H 300mm F2.8」の光学設計は、第五夜でご紹介した、清水義之 氏によるものです。あまり知られていない事ですが、驚くことにこのレンズは、6×6判をゆうにカヴァーする包括画角(イメージサークル)を持っていました。当初は、「ゼンザブロニカ」用「ニッコール」としても流用可能なように設計がなされていたのです。
まずはじめに、「NIKKOR-H 300mm F2.8」の断面図<図1.>をご覧ください。
「どこかで見たことのあるレンズタイプだ!」とお感じになられた方はかなり鋭いです。実は、第十夜で登場した「ED 180mm F2.8」と類似しているのです。この光学系は、典型的なテレフォトタイプのレンズ構成をしています。
まず前側から3枚のレンズは、アポクロマートの対物レンズとして働き、主に色収差、球面収差、下方コマ収差の補正を良好におこなっています。斜線部分のレンズが、特殊低分散ガラス(後に、日本光学製のEDガラス)で出来ています。また、後方の貼り合せレンズを含む3枚のレンズは、合成で凹レンズのパワーを持っており、像面湾曲、上方コマ収差等の補正を良好におこなっています。収差構造的な特徴は、とにかく色収差の補正が良好な事と、球面収差がすなおで、若干アンダーコレクション気味になっている事、非点収差が少なく、像面湾曲もマイナス傾向にあることです。これらの特徴はみな、高解像で色の分離が良く、良好なグラデーションと良好な後ボケを期待させるものです。
「NIKKOR-H 300mm F2.8」は、どんな描写をするのでしょう?評価については個人的な主観によるものです。参考意見としてご覧ください。
開放近傍(f2.8~f/3.5)は、収差値から想像がついたとおり、画面のセンターから周辺までシャープでかつ色の分離が良く階調豊かな描写をします。作例写真1.と2.は、比較的中庸な撮影距離で、開放~f3.5で撮影しています。逆光ぎみの被写体を選んだことによって、シャープネスはもとより、ボケ味とシャドーの再現性、階調を確認することができると思います。このレンズの、シャープな中にも柔らかさを秘めている描写は、実に人物写真、肖像写真に向いています。シャドー部の再現性、クリアな発色は、特殊低分散ガラスを用いたことが大きく貢献していることを実感させます。ボケ味も綺麗です。作例では後方に、わざと反射物を写し込みましたが、二線ボケは発生していません。包括角は6×6判をカヴァーするほどですから、まったく光量不足は感じませんでした。
f/4~5.6まで絞りこむと、シャープネスは更に増しますが、もともと開放時からシャープネスが高いので「非常に向上する」といった顕著な差は出ないといって良いでしょう。しかし、ビグネッティング(口径食)がなくなるため、ボケが画面周辺まで丸形に保たれます。したがって周辺部のボケ味は向上します。
f/8~11では、シャープネスに大きな変化はないと感じます。むしろ「絞り込みは、被写界深度のコントロールのために」と考えた方が良いと思います。
f/16~32では、回折の影響が徐々に現れるため、通常の撮影ではここまで絞りこむ必要性を感じません。
本来、この「NIKKOR-H 300mm F2.8」レンズは、開放F値F2.8を必要とするときに使用すべきレンズだと思います。私はこれらの作例写真の製作にあたって、主にF2.8~5.6近傍で撮影を繰り返しました。驚いたことに、このレンズの普通絞りは、被写界深度、ボケ味の確認が(カメラボディのプレビューボタンの操作よりも)容易で、実に使いやすかったのです。一般論から、「欠点なのだろう」と先入観があった普通絞りですが、「実は現場の声から採用になったのだ」と言うことが、使ってみてよく理解できました。商品開発の難しさを今更ながら実感しました。
今回は、レンズ設計者のお話ではありません。永年そのレンズ設計者たちのよきアシスタントとして仕事をなさった方のお話です。
波多野玲子さんは、当時のレンズ設計部門で、まさしく良妻のような賢母のような存在でした。若かりし頃は、脇本善司氏の傍らで、そろばんや対数表で光線追跡の計算をし、その後は、日本光学工業~ニコンのレンズ設計部門の事務・予算管理関連業務、図面・報告書等の作成の指導的な役割を担っておられました。課長職を勤め上げられた最初の女性社員とも聞いております。
私たち光学設計者といえば、一風変わった者揃いで、机の上は書類の山で、提出物も滞りがちときています。困ったときには皆が皆(部長でさえ)、波多野課長にすがったものでした。実は、今こうして私たちが古いレンズを取り上げて、報告書を紐解き、データを再生できるのは、すべて波多野課長の功績あってこそなのです。波多野課長は、肌理(きめ)細かやかな気配りとやさしさで光学設計部門の歴史を正確に伝承してくださいました。これらの貴重な資料があってこそ、私たちは日本光学工業~ニコンの光学設計の歴史を正確に振り返る事が出来るのです。
優秀な商品の開発は、何も設計者だけの手柄ではありません。ニコンには、波多野さんや試作の宇田川さんのように、縁の下の力持ちが沢山いるのです。また、ユーザーの方々の貴重な体験談やアドヴァイスにも最高の賛辞を送らなければなりません。それらの力すべての結集によって、数々の銘レンズが誕生したのです。