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撮影者プロフィール
1944年、埼玉県生まれ。1980年代から三軌展、二科展、JPS展等で入賞を重ね、2000年代からは各地の廃校を舞台に作品を発表。近年開催した個展は「廃校の行方」(2013年・新宿ニコンサロン)、個展「廃校のそれから」(飯能市民活動センター・2014年)、「廃校・大滝小最後の一年」(新宿ニコンサロン・2015年)。また、主な写真集に『奥武蔵詩季彩』(2000年・日本写真企画)、『廃校の行方』(2013年・日本写真企画)、『廃校・大滝小最後の一年』(2015年・日本写真企画)などがある。
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約30年前、息子の小学校の授業参観で見た真剣な眼差しの先生に興味を持ち、しばらく「先生」を軸に学校を撮影していました。しかしあるとき、昔は500人ほどの子どもが通っていた埼玉県の小学校が、駅前開発の理由で廃校になってしまいました。首都圏の学校では、徐々に校区の団地から子どもがでて行き親世代しか残らなかったのが原因で廃校になった学校もあります。こうしたことから、「廃校」は田舎のことだと他人事に思っていたのがとても身近な問題に感じられ、テーマに据えるようになりました。
東日本大震災から3年後の福島へ行く機会があり、出会ったボランティアの方から「相馬市に廃校になりそうな学校がある」と聞きました。その年の6月の市議会で決議され、翌年3月には閉校するという玉野小学校。教育委員会や学校に掛け合って許可をもらい、毎月2~4回の取材を重ねました。
校門の側にある放射能測定器の存在です。本来は学校にあるものではありません。子どもたちはほとんど気にしていませんでしたが、地元の方と話すと、やはり地元の四季の楽しみが津波と原発事故で失われたことが辛いと話していました。今は太陽光発電設備のほうが目立ちます。福島の現状は、発電には自然のエネルギーを使うべきだという声なき声なのでは、と考えさせられました。
暗い表情はなるべく撮りたくないと考えていました。子どもたちの将来に対する希望や、子どもたちを見守りたいという思いを込めて撮影しました。
とてもわかりやすくまとめられたフォトストーリーです。原発事故や廃校といった重いテーマでありながら、人の表情はいきいきとしていて、写真から作者の愛情が感じられます。モノクロームのプリントをぜひ会場で見たくなる内容です。