遠くで金属を削るような音が、右耳の奥でつねに響いている。
突発性難聴を患い、聴神経の一部が壊れて特定の音域が聞き取れなくなったのだが、
脳は聞こえない範囲を無理に聞こうとして信号を発する。
それが、このような耳鳴りとなって表れるのだという。
音は大きくなったり小さくなったりしながら、
私のなかのもやもやとした気持ちを増幅する。
大事な存在のはずなのに大切にしきれない人たちのこと。
その人たちを失う日が必ずやって来て、自分もやがて、
何ものか分からぬままにいなくなってしまうこと。
不安と呼ぶにはあまりに茫洋としたその心持ちは、
ふとした折りに日々の景色と重なり合う。
私は小さなカメラを手に、その様を探す。
そうして、目の前の光景とのあいだに微弱な信号が流れるのを感じるとき、
懐かしさにも似た安堵を覚えるのだった。
たぶん誰もが、はっきりと聞こえてはいなくても、かすかな耳鳴りの
ようなものを伴って生きているのだ。
(新田 草子)
1970年東京都生まれ
2010年より写真を学び始める。
写真表現中村教室にて、中村誠、小宮山桂両氏に師事。
2018年より年次のグループ展に毎年参加。