写真展内容
『楽土紀伊半島』を一部とし、『大阪』を二部、そして三部は、『日本海』を撮ると決めていた。8×10の大型カメラ、モノクロームの表現方法を選択した理由は、三脚を据えて、カメラを真ん中に被写体と相対する。どうしても見たい撮りたい対象を選び、持続的に成立させたい関係を求めるためだ。
日本地図をひっくり返して大陸側から見ると、日本海は大きな湖のようだ。日本列島は大陸や朝鮮半島とつながっているように見える。日本海沿岸は、かつて大陸からの文化が入ってくる表玄関だった。
「魂になってもなお生涯の地に留まる」
旅の中で見知る、ここを故郷とする人々と風土の記憶、日本文化の源の神話と伝説の地―日本海沿岸は、少子高齢化と過疎化が厳しい形で進んでいる現実がある。でも萩市のしだれ桜の下で菜園を楽しむ90才、佐渡の海の見える棚田の畝の草を刈る85才、吹雪の利尻島でひっそりと暮らす高齢の夫婦たち。それぞれの土地で根を張り悠々閑々と生きている。その姿は堂々としている。少年少女、子供たちはいつの時代もそうであるようにそこにいる、と感じられる嬉しい出会いがあった。(百々俊二)
モノクロ 55点。
作者のプロフィール
百々 俊二(ドド シュンジ)
1947年大阪府生まれ。
九州産業大学芸術学部写真学科卒業。98年ビジュアルアーツ専門学校・大阪 学校長就任。15年入江泰吉記念奈良市写真美術館館長就任。
主な写真展に、78年「大阪・天王寺」(銀座・大阪ニコンサロン)、85年「新世界むかしも今も」(銀座・大阪ニコンサロン)、92年「衆生遊楽バンコク」(銀座・大阪ニコンサロン)、95-96年「楽土紀伊半島」(新宿・大阪・札幌コニカプラザ)、99年「千年楽土」(銀座・大阪ニコンサロン)、2000年「千年楽土紀伊半島」(奈良市写真美術館)、01年「.com NY」(新宿ニコンサロン)、03年「沙羅双樹」ビジュアルアーツギャラリー、06年「花母」(Gallery OUT of PLACE)、07年「花母」「ベジタブル・キッチン」(Gallery Bauhaus/東京)、07年「Ha-Ha」(FOCALE galerie /スイス)、10年「大阪」(銀座・大阪ニコンサロン、Gallery OUT of PLACE、ZEN FOTO GALLERY)、16年「それぞれの時『大阪』~森山大道・入江泰吉・百々俊二~」(入江泰吉記念奈良市写真美術館)がある。
受賞歴に、96年日本写真協会年度賞、99年第24回伊奈信男賞、07年日本写真芸術学会芸術賞、11年第23回写真の会賞、第27回東川賞
主な著書に、71-77年『地平』1-10号、86年『新世界むかしも今も』(長征社)、93年『HORIZON』(共著)、95年『楽土紀伊半島』、99年『千年楽土』(以上、ブレーンセンター)、03年『沙羅双樹』(組画)、06年『花母』(Gallery OUT of PLACE)、09年『菜園+桜』(VACUUM PRESS)、01年『大阪』(青幻舎)、12年『遥かなる地平』、14年『日本海』(以上、赤々舎)