大阪ニコンサロン 2017年1月
写真展内容
3年前に広島に引っ越し、日常を通してヒロシマを考えるという作業が始まった。広島を歩くと、いやがおうでもヒロシマの表象に出会う。
広島で平和を考えるのはあたりまえのことのようでもあるが、日常という厚い皮層からヒロシマの悲劇を垣間みることの困難さなど、生活してみて初めて知ることが多かった。さらに、街にあふれる「平和」という名のお祭りや、アート、劇場化されたイベントなど、平和へのエネルギーを感じながらも、平和はつかみきれないばかりか、ひとつの自己表現として街と平和とアートの関係についても考えることになった。そのような日常の表層は、70年という厚い時間がもたらしたものかもしれない。そのなかで歴史の深層に不可視化されてきた悲劇が、どこかに見え隠れしているのではないか。日常を通して歴史を意識化することが、見ることの拡張に深く関わることを知った3年だった。
(藤岡亜弥)
カラー約50点。
授賞理由
今年、広島には大きな政治的な「事件」があった。オバマ大統領の広島来訪である。このことは、広島が反核の表徴都市として一層象徴化してゆく契機になると考えられる。このタイミングに藤岡亜弥氏の「川はゆく」が、誕生したのは意味がある。広島を単純にヒロシマと言う急激な抽象化に待ったをかける作品になっているからである。
この作品の特異性は、先人の多くの「ヒロシマ」の表現(記録)には見られなかった恣意的なイメージから成り立っているところである。ヒロシマという重大な対象に対峙しているという高ぶりはない。一見、楽しみながら日常と戯れて撮っているようにも見える。しかし、やがて、歴史的過去の事実に行き当たらざるを得なくなってゆき、市内に潜在するヒロシマ的事象と格闘してゆく作者の日常を構造化することに成功している。例えば広島平和記念資料館の被爆資料の「三輪車」に出合う。それを、ある日見かけたドーム前に置き忘れた自転車に繋げ、さらに元安川に遊ぶ金髪少女のTシャツの胸に描かれている自転車にも繋げてゆく。また、2014年の大豪雨で赤く濁る川は、屍体が水面を埋めて流れた8月6日に繋げる。このように現在の風景を歴史的事実に繋げて示唆する構造が幾つも隠されている。
それらを教示的に配するのでなく、表徴的な表現にまで構造化した力量が、選考委員の間で伊奈信男賞決定の高い評価となった。その方法論は、写真展会場のインスタレーションにもよく生かされていた。会場を一つの白い平面とし、50数枚の大小の写真を等価に現れるよう構成した空間構成は、作品内容をよく反映した展示方法とも評価された。今、被爆70年を過ぎ被爆者が高齢に達している。今後、いよいよ不可視化してゆくヒロシマをどのように記録してゆくか、若い世代に託されている。藤岡氏にもさらなる継続を期待したい。 (選評・土田ヒロミ)
作者のプロフィール
藤岡 亜弥(フジオカ アヤ)
1994 年日本大学芸術学部写真学科卒業。97年台湾師範大学語学中心に留学。2007年文化庁新進芸術家海外派遣制度奨学生としてニューヨークに滞在。12 年帰国。現在広島で活動中。
写真展(個展)に、96年「なみだ壺」(ガーディアン・ガーデン/東京)、96年「笑門来福」(WORKS H/横浜)、01年「さよならを教えて」(新宿ニコンサロン/東京)、04年「離愁」(新宿ニコンサロン/東京)、05年「さよならを教えて」(ビジュアルアーツギャラリー・東京、ビジュアルアーツギャラリー(大阪)、名古屋ビジュアルアーツ内ギャラリー、九州ビジュアルアーツ内ギャラリー)、06年「私は眠らない」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、09年同展(AKAAKA/東京)、10年「Life Studies」(Dexon gallery/New York)、11年同展(AKAAKA/東京)、同年「アヤ子江古田気分」(AKAAKA/東京)、12年「離愁」(AKAAKA/東京)、同年「離愁」(ギャラリーG/広島)、14年「Life Studies」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、同年「Life Studies 2」(Place M/東京)、16年「川はゆく」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、同年同展(ギャラリーG/広島)がある。
グループ展に、05年「離愁」(第24回写真『ひとつぼ展』)、同年「マリクレール ホワイトキャンペーン 2005」(スパイラルギャラリー/青山)、06年「平遥国際写真フェスティバル」(中国・山東省)、同年新写真派協会「フォトグラフィティ1980−2005」(ポートレートギャラリー/新宿)、10年「message-飯沢耕太郎の注目する女性写真家-」(リコーフォトギャラリーRING CUBE)、10年「日本写真協会賞受賞作品展」(富士フイルムフォトサロン)、14年「赤々舎から 本から 写真から」(スパイラルガーデン/青山)、15年「花-生きるということ-」(東広島市立美術館)、16年「Tbilisi Photo Festival 2016 」(ジョージア)がある。
受賞歴に、94年日本大学芸術学部奨励賞、04年ビジュアルアーツフォトアワード、04年第24回写真『ひとつぼ展』入選、10年日本写真協会新人賞がある。
写真集に、96年『シャッター&ラブ 16人の若手女性写真家』(インファス出版)、04年『さよならを教えて』(ビジュアルアーツ出版)、09年『私は眠らない』(赤々舎)がある。また、作品はサンフランシスコ近代美術館のコレクションとなっている。
写真展内容
カンボジアでは近年の経済開発に伴い、国内外の開発企業が現政権と結びつき、開発のために人々の土地を強制収用する事件が全土で多発し、内戦後のカンボジアの、最たる社会問題の一つになっている。30年間の支配体制を敷くフン・セン政権との癒着と不正が開発の陰にはびこり、多くの人々が居場所を失い、涙を流している。
写真展の舞台となっているボレイ・ケイラ地区は、カンボジアの首都プノンペン市内の中央に位置している。同地区は、2004年から都市開発の動きに巻き込まれ、2012年1月3日に、約380家族が、家々を強制的に破壊された。彼らはそれ以降、スコールを防ぐことすら困難な劣悪な環境のバラック小屋での生活を強いられながら、奪われた家と土地を取り戻すために、幾度弾圧されようとも、巨大な権力に対して声を上げ闘い続けている。その中心にはいつも女性たちがいて、彼らはデモの最前線で、大きな勇気を武器に、権力と対峙を続けている。その動きは、奪われた権利を取り戻すという枠を超え、30年間の支配体制に対する、変革の願いへと繋がっていく。彼らの切なる願いを見つめ続けた約3年間の記録。 (高橋智史)
カラー約40点。
授賞理由
「Borei Keila-土地奪われし女性たちの闘い-」は、カンボジアの経済開発に伴う土地強制収用により行き場を無くした人々の、奪われた権利を取り戻そうとする闘争を巡る3年がかりの写真シリーズだ。長期にわたって現地に住み、地道に取材や聞き取りを重ね、現実のひだをすくいとってゆくオーソドックスなドキュメンタリーのスタイルだが、追い詰められた人々の切実な願いや祈りがひしひしと伝わる労作だ。
タイトルの「Borei Keila」は、写真の舞台となる首都・プノンペン中心部に位置する地域の名である。同地区は、10年以上前から都市開発の動きにのみこまれ、多くの家族が次々と家々を強制的に破壊された。追われた人々はバラック生活を余儀なくされながら、土地と家を取り戻すため巨大な権力に立ち向かい続けている。そのデモの最前線で活動の中心となっているのは常に女たちであり、彼女たちの勇気と覚悟は、土地闘争の枠組みを超え、30年間の支配体制を敷く現政権や現状を変革しようとする、国民全体の意志のシンボルにまでなっている。そうした弾圧を乗り越える闘争の姿に写真家自身も大きな力を得て、本作は単なる傍観者には到達できない映像の厚みを秘めた写真群となっている。 (選評・伊藤俊治)
作者のプロフィール
高橋 智史(タカハシ サトシ)
1981年秋田県秋田市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。フォトジャーナリスト。
フォトエージェンシー「Getty Images」contributor。プノンペン(カンボジア)在住。
大学在学中の2003年からカンボジアを中心に東南アジアの社会問題の取材を開始。これまでにカンボジアや東ティモール、スマトラ沖大地震津波被災地、アフガニスタン、ラオス、ベトナムなどを取材。07年からカンボジアの首都プノンペンに拠点を移し、同年から約4年間、同国の社会問題や生活、文化、歴史を集中的に取材し、秋田魁新報連載「素顔のカンボジア」で発表。現在もプノンペンに拠点を置き、政府と開発業者が結びついた土地の強制収用問題をはじめ、人権問題に焦点を当て、Cambodia Daily、CNBC、ABC(Australia)などの英字メディアへの掲載を中心に、カンボジアでの取材活動を続けている。
主な写真展に、13年フォトプレミオ「トンレサップ-湖上の命-」(コニカミノルタプラザ)、14年「素顔のカンボジア・出版記念写真展」(さきがけホール)、15年「2014年第10回「名取洋之助写真賞」受賞作品写真展」(富士フイルムフォトサロン)がある。
写真集に、『湖上の命-カンボジア・トンレサップの人々-』(窓社)、フォトルポルタージュ『素顔のカンボジア』(秋田魁新報社)がある。
受賞歴に、07年「日本大学芸術学部 芸術学部長賞」、13年と14年に2年連続で「国際ジャーナリスト連盟(IFJ)日本賞」大賞、14年「2014年第10回「名取洋之助写真賞」」がある。
写真展内容
指月(しがつ・しげつ)は仏教用語で「つきをゆびさす」ことを言う。
月という真理を指し示しているのにその指先だけにとらわれると両方を見失うという楞厳経(りょうごんきょう)の教えによる。
私の育った萩には指月(しづき)公園という城跡があり子供の頃からの遊び場だった。萩城は別名「指月山城」(しづきやまじょう)とも呼ばれ、毛利氏の居城だったが明治以後城は取り壊され公園になった。
その重箱読みの名前の由来や幾多の変遷を知ったのはずいぶん後のことだ。
「つきをゆびさす」はその「指月」に由来する題名で、指し示す「写真」と指し示そうとする「思い」との関係を模索する中で生まれた。
もっとも私に「指し示す真理」などあろうはずもなく、出来事もごく些細なものでしかない。それでも日常の中にある小さな出来事に光を当てて浮かび上がるエッセイのようなもの、写真でしか表せない表現のようなものを集めて一望してみたいと思っている。 (下瀬信雄)
カラー36点。
作者のプロフィール
下瀬 信雄(シモセ ノブオ)
1944年新京(満州)生まれ。終戦に伴い山口県萩市に引き揚げる。67年東京綜合写真専門学校を卒業。以後、萩市を拠点に写真雑誌、個展などで作品を発表する。
受賞歴に、90年日本写真協会新人賞(写真集『萩・HAGI』)、05年第30回伊奈信男賞(写真展「結界V」)、15年第34回土門賞(写真集『結界』(平凡社))、杉道助記念・萩市芸術文化奨励賞、山口県選奨などがある。
作品はプリンストン大学(米国)、山口県立美術館などに収蔵されている。
写真展内容
本展では、戦前、日本軍の軍事用飛行機を製造していた施設を撮影した作品を展示する。
この施設は、戦後にGHQに接収されたが、1976年5月に所有者である企業に返還された。その後は飛行機の製造をやめ、企業のオフィスの一部として使用されていた。現在は老朽化が進んだため、内部を改築し新しい企業が利用している。
4×5と35ミリの二つのフォーマットを組み合わせたカラー作品を展示する。 (筑紫仁子)
カラー約20点。
作者のプロフィール
筑紫 仁子(チクシ サトコ)
1991年東京都生まれ。2013年帝京大学文学部史学科卒業。16年東京綜合写真専門学校 写真芸術第一学科卒業。