写真展内容
イラク北西部シリア国境沿いに東西に延びる、標高1463メートルのシンガル山。ここでは中東の少数民族ヤズディの人々が、独自の信仰を守りながら何世紀にも渡り自然と調和した豊かな生活を営んで来た。ヤズディの人口は世界全体で約60万〜100万人。イラク、シリア、トルコ、アルメニア、ドイツなどの地域に分散するが、そのうちの約30万人がイラク北西部のシンガル山周辺の村々で暮らしてきた。民族的・宗教的なマイノリティ―であるヤズディの起源についてはさまざまな起源があるが、古代ペルシャの信仰宗教、イスラム教、ゾロアスター教などが入り交じる中で、形成された独自の信仰や文化が口承で伝えられてきたと言われている。
2014年8月3日、シンガル山と周辺の村々が過激派組織ISIL(イスラム国)に攻撃された。住人である約5000人ものヤズディ教徒の男性や高齢の女性は集団で殺害、約6000人の若い女性は拘束され奴隷として戦闘員との結婚を強いられた。
ヤズディがイスラム国の攻撃の対象とされる理由に、彼らの思想や価値観はイスラム教徒と異なり、ヤズディが信仰の対象とする孔雀天使はコーランに記されるシャイターン(悪魔)に重なるからだといわれている。 これまでのヤズディの歴史の中で何度も虐殺の対象とされてきた。
私は2015年2月からイラク北部とドイツを訪れ、故郷の村を追われたヤズディの人々の取材を始めた。ヤズディを取りまく状況は変化し続けている中、今も故郷のシンガル山で避難生活を送る住人たち、美容師の夢を諦めてイスラム国に復讐するために兵士になった女性、一度はイスラム国戦闘員と結婚させられたが、その後脱出し今はドイツの高校へ通う少女たちなど・・・彼らの証言を記録し、生き抜く姿を切り取った。
イスラム国の攻撃を受け村から逃げる際に、多くのヤズディが自宅から持ち出したのは思い出の写真だった。そこに写された写真には 、私たち日本人と同じように友人や家族との平和な日常を愛する彼らの暮らしがあった。 悲惨な経験をした彼らの苦しみが消えることはなく、誰もが先が見えない将来への不安を抱えている。それでも、時間の流れと共に日々変化し続ける感情と向き合いながら生きている。
「中東の内戦」や「欧州の難民問題」など一時的なニュースの一部としてではなく、私たち一人一人と同じように個性ある人間であるヤズディの人々が、今後どのように信仰やアイデンティティーを未来へ引き継いでいくのかを想像していただけたらと思う。今も家族と共にシンガル山で避難生活を送り、2年前から取材をしてきたヤズディ教徒のファハドさんは、今年再会した際、別れ際にこうつぶやいた。「生き残った私たちの人生は、これからもずっと続いていくのです」 (林 典子)
作者のプロフィール
林 典子(ハヤシ ノリコ)
1983年神奈川県生まれ。イギリスのフォト・エージェンシー Panos Picture所属。大学時代の2006年に、西アフリカのガンビア共和国の現地新聞社The Point紙で写真を始める。以降、「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材している 。
受賞歴に、11年名取洋之助写真賞、12年DAYS国際フォトジャーナリズム大賞、13年フランス世界報道写真祭Visa Pour L'Image(ビザ・プール・リマージュ)報道写真特集部門「Visa d'or」金賞、14年さがみはら写真新人奨励賞、同年第16回三木淳賞、同年NPPA全米報道写真家協会Best of Photojournalism現代社会問題組写真部門1位などがある。15年World Press Photo (世界報道写真財団)Joop Swart Masterclass選出。
ナショナルジオグラフィック(日本版)、ワシントン・ポスト、デア・シュピーゲル、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン、DAYS JAPAN、マリ・クレール (イギリス版・ロシア版)などの雑誌や新聞でのニュース報道や、ドキュメンタリー作品の発表を行う。
著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ―いま、この世界の片隅で』(岩波新書)、写真集に『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナルジオグラフィック社)がある。