筑紫 仁子 写真展
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May. 1976
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11/1 (火)
~11/7 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休
写真展内容
本展では、戦前、日本軍の軍事用飛行機を製造していた施設を撮影した作品を展示する。
この施設は、戦後にGHQに接収されたが、1976年5月に所有者である企業に返還された。その後は飛行機の製造をやめ、企業のオフィスの一部として使用されていた。
4×5と35ミリの二つのフォーマットを組み合わせたカラー作品を展示する。
カラー約20点。
作者のプロフィール
筑紫 仁子(チクシ サトコ)
1991年東京都生まれ。2013年帝京大学文学部史学科卒業。16年東京綜合写真専門学校 写真芸術第一学科卒業。
鹿野 貴司 写真展
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山梨県早川町 日本一小さな町の写真館
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11/8 (火)
~11/21 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休
写真展内容
南アルプスの麓に広がる山梨県早川町は、「町」としては日本でもっとも人口が少ない(平成28年8月1日現在1,130人)。広大な面積の約96%を森林に覆われ、人々は川のほとりや山の斜面に点在する集落で暮らす。外部と通じる道は、早川渓谷に沿って続く県道37号線のみ。しかもその道は南アルプスの玄関口・奈良田で行き止まりだ。山梨県を襲った2014年の記録的大雪では、町全域が数日間にわたって孤立。大きなニュースとなった。
しかしその奥まった環境ゆえ、町には独自の文化や風習が今も数多く残る。そして人々は厳しい自然に時には立ち向かい、またある時には恵みを受けながら、たくましく暮らしている。過疎化が長年の課題として横たわる一方、地下ではリニア中央新幹線の工事が始まり、静かな町も新しい時代を迎えつつある。
導かれるようにこの地との縁が生まれた作者は、約4年間にわたって町民およそ800人のポートレートをはじめ、あらゆる出来事や風景をフィルムに収めてきた。
約40点。
作者のプロフィール
鹿野 貴司(シカノ タカシ)
1974年東京都生まれ。多摩美術大学映像コース卒業。さまざまな職業を経てフリーランスのカメラマンになり、埼玉県立芸術総合高校非常勤講師も務める。
写真集に『甦る五重塔 身延山久遠寺』『感應の霊峰 七面山』『山梨県早川町 日本一小さな町の写真館』(以上、平凡社)がある。
トークショー開催のお知らせ
作者の鹿野貴司氏とアートディレクター・三村 漢氏のトークショーをニコンプラザ新宿 セミナールームにて開催いたします。
ぜひご参加下さい。
日時:11月12日(土)16:00~17:30
出席:鹿野貴司 × 三村 漢(ミムラ カン) ※鹿野氏の写真集を今回制作されました。
会場:ニコンプラザ新宿 セミナールーム
※入場無料・予約不要です。当日は直接会場にお越し下さい。
但馬 園子 写真展
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その日の午後
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11/22 (火)
~11/28 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休
写真展内容
ここではないどこかへ行きたかった。
ここではないどこかをひたすら歩き、眠る。
海に浮かぶ遠い日だった。
存在が薄く透け、そこにいるのは私なのか、あなたなのか。
端境は滲んで溶けてゆく。 (但馬園子)
カラー30点。
作者のプロフィール
但馬 園子(タジマ ソノコ)
1980年神奈川県生まれ。東京都在住。女子美術短期大学服飾科卒業。2012年「夜の写真学校」(20期)修了。フリーランスのエディトリアルデザイナー。
写真展に、2012年「境界線」(Place M)、14年「その日の午後」(Place M)、同年「遠い日の匂い」(TokyoLightroom)、同年「その日の午後」(Place M)がある。
第41回伊奈信男賞受賞作品展
藤岡 亜弥 写真展
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川はゆく
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11/29 (火)
~12/12 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休
写真展内容
3年前に広島に引っ越し、日常を通してヒロシマを考えるという作業が始まった。広島を歩くと、いやがおうでもヒロシマの表象に出会う。広島で平和を考えるのはあたりまえのことのようでもあるが、日常という厚い皮層からヒロシマの悲劇を垣間みることの困難さなど、生活してみて初めて知ることが多かった。さらに、街にあふれる「平和」という名のお祭りや、アート、劇場化されたイベントなど、平和へのエネルギーを感じながらも、平和はつかみきれないばかりか、ひとつの自己表現として街と平和とアートの関係についても考えることになった。そのような日常の表層は、70年という厚い時間がもたらしたものかもしれない。そのなかで歴史の深層に不可視化されてきた悲劇が、どこかに見え隠れしているのではないか。日常を通して歴史を意識化することが、見ることの拡張に深く関わることを知った3年だった。
(藤岡 亜弥)
カラー約50点。
授賞理由
今年、広島には大きな政治的な「事件」があった。オバマ大統領の広島来訪である。このことは、広島が反核の表徴都市として一層象徴化してゆく契機になると考えられる。このタイミングに藤岡亜弥氏の「川はゆく」が、誕生したのは意味がある。広島を単純にヒロシマと言う急激な抽象化に待ったをかける作品になっているからである。
この作品の特異性は、先人の多くの「ヒロシマ」の表現(記録)には見られなかった恣意的なイメージから成り立っているところである。ヒロシマという重大な対象に対峙しているという高ぶりはない。一見、楽しみながら日常と戯れて撮っているようにも見える。しかし、やがて、歴史的過去の事実に行き当たらざるを得なくなってゆき、市内に潜在するヒロシマ的事象と格闘してゆく作者の日常を構造化することに成功している。例えば広島平和記念資料館の被爆資料の「三輪車」に出合う。それを、ある日見かけたドーム前に置き忘れた自転車に繋げ、さらに元安川に遊ぶ金髪少女のTシャツの胸に描かれている自転車にも繋げてゆく。また、2014年の大豪雨で赤く濁る川は、屍体が水面を埋めて流れた8月6日に繋げる。このように現在の風景を歴史的事実に繋げて示唆する構造が幾つも隠されている。
それらを教示的に配するのでなく、表徴的な表現にまで構造化した力量が、選考委員の間で伊奈信男賞決定の高い評価となった。その方法論は、写真展会場のインスタレーションにもよく生かされていた。会場を一つの白い平面とし、50数枚の大小の写真を等価に現れるよう構成した空間構成は、作品内容をよく反映した展示方法とも評価された。今、被爆70年を過ぎ被爆者が高齢に達している。今後、いよいよ不可視化してゆくヒロシマをどのように記録してゆくか、若い世代に託されている。藤岡氏にもさらなる継続を期待したい。
(選評・土田ヒロミ)
作者のプロフィール
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藤岡 亜弥(フジオカ アヤ)
1994 年日本大学芸術学部写真学科卒業。97年台湾師範大学語学中心に留学。2007年文化庁新進芸術家海外派遣制度奨学生としてニューヨークに滞在。12 年帰国。現在広島で活動中。
写真展(個展)に、96年「なみだ壺」(ガーディアン・ガーデン/東京)、96年「笑門来福」(WORKS H/横浜)、01年「さよならを教えて」(新宿ニコンサロン/東京)、04年「離愁」(新宿ニコンサロン/東京)、05年「さよならを教えて」(ビジュアルアーツギャラリー・東京、ビジュアルアーツギャラリー(大阪)、名古屋ビジュアルアーツ内ギャラリー、九州ビジュアルアーツ内ギャラリー)、06年「私は眠らない」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、09年同展(AKAAKA/東京)、10年「Life Studies」(Dexon gallery/New York)、11年同展(AKAAKA/東京)、同年「アヤ子江古田気分」(AKAAKA/東京)、12年「離愁」(AKAAKA/東京)、同年「離愁」(ギャラリーG/広島)、14年「Life Studies」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、同年「Life Studies 2」(Place M/東京)、16年「川はゆく」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、同年同展(ギャラリーG/広島)がある。
グループ展に、05年「離愁」(第24回写真『ひとつぼ展』)、同年「マリクレール ホワイトキャンペーン 2005」(スパイラルギャラリー/青山)、06年「平遥国際写真フェスティバル」(中国・山東省)、同年新写真派協会「フォトグラフィティ1980−2005」(ポートレートギャラリー/新宿)、10年「message-飯沢耕太郎の注目する女性写真家-」(リコーフォトギャラリーRING CUBE)、10年「日本写真協会賞受賞作品展」(富士フイルムフォトサロン)、14年「赤々舎から 本から 写真から」(スパイラルガーデン/青山)、15年「花-生きるということ-」(東広島市立美術館)、16年「Tbilisi Photo Festival 2016 」(ジョージア)がある。
受賞歴に、94年日本大学芸術学部奨励賞、04年ビジュアルアーツフォトアワード、04年第24回写真『ひとつぼ展』入選、10年日本写真協会新人賞がある。
写真集に、96年『シャッター&ラブ 16人の若手女性写真家』(インファス出版)、04年『さよならを教えて』(ビジュアルアーツ出版)、09年『私は眠らない』(赤々舎)がある。また、作品はサンフランシスコ近代美術館のコレクションとなっている。