Nikon Imaging
Japan
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新宿ニコンサロン 2016年5月

高田 啓一写真展

写真
現在(いま)を生きる
4/26 (火) ~5/9 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

教員であった作者は、務めていた鳥取聾学校を退職する前後、卒業生の生活ぶりを知りたくて、全国にいる卒業生を訪ね撮影をした。
2013年、鳥取県では「手話言語条例」が全国に先駆けて制定され、全国各地の自治体でも法制化されてきた。条例制定後、世の中はどのように変わってきたのか。再び卒業生を訪ね49名を撮影し、話を聞いた。その中から30名の写真を展示し、話の一部とともに紹介する。
撮影した卒業生たちは、5年前には独身だったり子どもがいなかったりだったが、現在では何人かの子どもに恵まれて幸せに暮らしている者も多くいる。スポーツの分野で、アジア大会や世界大会に出場している者もいる。
懸命に生きている卒業生や障害者たちの今後が、ますます住みやすい、生活しやすい世の中になっていくことを作者は願い、写真展を開催する。モノクロ60点。

作者のプロフィール

高田 啓一(タカタ ケイイチ)
1948年鳥取県八頭郡若桜町生まれ。72年鳥取県立境高等学校に勤務し教員生活をスタート。76年鳥取県立鳥取聾学校へ転任。80年写真活動開始。81年鳥取聾学校で写真活動を開始し、顧問として退職まで28年間指導。2009年に33年間勤務した鳥取県立鳥取聾学校を定年退職。ニッコールクラブ会員。
写真展に、11年「あれから」(新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、14年「夢を追いかけて」(新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロン)がある。
受賞歴に、83年「日本フォトコンテスト」誌(黒白写真の部)年度賞5位、85年同誌(黒白写真の部)年度賞4位、86年「アサヒカメラ」誌(モノクロプリントの部)年度賞次点(4位)、01年「博報賞(障害児教育部門・団体の部)」受賞がある。
07年NHK教育テレビ「ろうを生きる難聴を生きる」の「写真でコミュニケーション」、09年日本海テレビ・山陰放送テレビ(テレビ朝日系列で全国放送)「生きる×2」の「写真に託すメッセージ」に出演。

石原 モトフミ写真展

写真
日限縁日
5/10 (火) ~5/16 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

岡山市内にある大雲寺を訪れたとき、作者は幼少時代の記憶が鮮明に蘇った。それは祖母とお寺にお参りに行ったとき、お線香の煙を頭や手足などにかけられ、さすられた温かい記憶だった・・・。
大雲寺は「日限のお地蔵さん」として親しまれ、毎月23日に「日限地蔵縁日」が行われている。 その来歴は、岡山大空襲によりすべて焼けてしまいわからないが、ある説を信じ、皆がお地蔵さんのおかげを受けようとお参りにくる。
「日限地蔵」の名称は、何日までに思いごとが叶うようにと願をかけると、それが日を限って思いが達する、という伝承に由来する。そのため、誰いうとなく日限地蔵さんと敬われるようになった。子どもが欲しい人は、お地蔵さんを借りて帰り、一夜抱いて寝れば子宝を授かるという言い伝えもある。願いが叶ったあかつきには、借りたお地蔵さんを返し、別に新しいお地蔵さんを寄進する習わしになっているため、境内のお地蔵さんは今ではかなりの数になっている。
昭和40年代には1日に5万人もの人が訪れ、約300軒の屋台が軒を連ね賑わっていた縁日。今でも毎月たくさんの人が縁日に訪れているが、以前と比べると寂しくなってきている。どこの地域でも少し前までは、家族みんなで浴衣を着て、おじいちゃんおばあちゃんが孫の手を引いて縁日を楽しんでいた。その中でお地蔵さんに手を合わすことを子どもたちに伝えていた時代もあったのだ。
これからの時代にもお地蔵さんに手を合わせる大切さを伝えるためにも、この歴史ある縁日を存続させなければならないと作者は思う。モノクロ35点。

作者のプロフィール

石原 モトフミ(イシハラ モトフミ)
1973年大阪府生まれ。島根県松江市出身。2009年から独学で写真を始める。11年尾上太一氏に師事。現在、岡山県を拠点に活動。

juna21 高橋 智史写真展

写真
Borei Keila
-土地奪われし女性たちの闘い-
5/17 (火) ~5/23 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

カンボジアでは近年の経済開発に伴い、国内外の開発企業が現政権と結びつき、開発のために人々の土地を強制収用する事件が全土で多発し、内戦後のカンボジアの、最たる社会問題の一つになっている。30年間の支配体制を敷くフン・セン政権との癒着と不正が開発の陰にはびこり、多くの人々が居場所を失い、涙を流している。
写真展の舞台となっているボレイ・ケイラ地区は、カンボジアの首都プノンペン市内の中央に位置している。同地区は、2004年から都市開発の動きに巻き込まれ、2012年1月3日に、約380家族が、家々を強制的に破壊された。彼らはそれ以降、スコールを防ぐことすら困難な劣悪な環境のバラック小屋での生活を強いられながら、奪われた家と土地を取り戻すために、幾度弾圧されようとも、巨大な権力に対して声を上げ闘い続けている。その中心にはいつも女性たちがいて、彼らはデモの最前線で、大きな勇気を武器に、権力と対峙を続けている。その動きは、奪われた権利を取り戻すという枠を超え、30年間の支配体制に対する、変革の願いへと繋がっていく。彼らの切なる願いを見つめ続けた約3年間の記録。 (高橋智史)

カラー40点。

作者のプロフィール

高橋 智史(タカハシ サトシ)
1981年秋田県秋田市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。フォトジャーナリスト。プノンペン(カンボジア)在住。
大学在学中の2003年からカンボジアを中心に東南アジアの社会問題の取材を開始。これまでにカンボジアや東ティモール、スマトラ沖大地震津波被災地、アフガニスタン、ラオス、ベトナムなどを取材。07年からカンボジアの首都プノンペンに拠点を移し、同年から約4年間、同国の社会問題や生活、文化、歴史を集中的に取材し、秋田魁新報連載「素顔のカンボジア」で発表。現在もプノンペンに拠点を置き、政府と開発業者が結びついた土地の強制収用問題をはじめ、人権問題に焦点を当て、英字紙「Cambodia Daily」への発表を中心に、取材活動を続けている。
主な写真展に、13年フォトプレミオ「トンレサップ-湖上の命-」(コニカミノルタプラザ)、14年「素顔のカンボジア・出版記念写真展」(さきがけホール)、15年「2014年第10回「名取洋之助写真賞」受賞作品写真展」(富士フイルムフォトサロン)がある。
写真集に、『湖上の命-カンボジア・トンレサップの人々-』(窓社)、フォトルポルタージュ『素顔のカンボジア』(秋田魁新報社)がある。
受賞歴に、07年「日本大学芸術学部 芸術学部長賞」、13年と14年に2年連続で「国際ジャーナリスト連盟(IFJ)日本賞」大賞、14年「2014年第10回「名取洋之助写真賞」」がある。

PHOTO CULTURE WEEK CROSSING 企画展
東松 照明写真展

写真
光源の島
5/24 (火) ~5/30 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

写真

日本を代表する写真家・東松照明は、1969年に初めて沖縄を撮影した後、1971年を沖縄本島と波照間島で過ごす。翌1972年は那覇で沖縄復帰を目撃し、以後一年あまりをその地で暮らした。
さらに1973年には宮古島に移住して半年ほど滞在し、その年の秋には台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシア等の東南アジアの島々を回り、日本写真史の名作『太陽の鉛筆』(1975年)を発表する。以降も東松は繰り返し沖縄を訪れ撮影を継続し、晩年の2010年には再び沖縄へ居を移し、その地で生涯を終えている。東松の沖縄は自己の写真表現の方向を決定づけた特別な場所だった。
この度、東松にとって思い出深い島である宮古島で発見された百枚を超えるオリジナル・カラープリントは、今から四半世紀前に東京で初めて発表された、当時の雰囲気を瑞々しく伝える意味深い写真群である。時代的には1973年から1991年までの間に撮影された、デジタル写真へ移行する以前の東松の光と色のヴィジョンを直接伺い知ることのできる貴重な写真群となっている。沖縄の島々を広範囲に渡り歩きながら、それらの境界を超えてゆく海と空への感性の瑞々しさがそこには溢れ出る。
その死から四年が過ぎ、ますますその重要性と存在感を増す東松照明の写真は、私たちの現在と未来を投影する光源のような役割を果たしつつあるように思う。東松が沖縄の島の宇宙に張り巡らした新たな想像力の跳躍をこれらの写真から再び蘇らせてみたい。(展覧会企画監修・伊藤俊治/石川直樹)

カラー69点。

※当初、文中で「1995年に那覇市民ギャラリーと宮古島・平良市公民館で開かれた「東松照明 戦後日本の光と影」の一部であり、東松の沖縄での初個展で発表された」と記載しておりましたが、その後の調査により、1990年代に東京で発表された事実が判明しましたので、該当箇所を「今から四半世紀前に東京で初めて発表された」と訂正致しました。

作者のプロフィール

写真

東松 照明(トウマツ ショウメイ)
1930年愛知県生まれ。愛知大学経済学部卒業後、岩波写真文庫を経て写真家として活動。ニューヨークのメトロポリタン美術館で「20世紀の傑出した日本人写真家」として初めて個展を開くなど、日本を代表する写真家として世界写真史に多くの業績が刻まれている。代表作に『太陽の鉛筆』『光る風 沖縄』『廃園』『時の島々』など多数。独立写真集団VIVOの設立に参加、WORKSHOP写真学校開校など時代を画する写真活動を行った。沖縄の島々を愛し続け、数多くの沖縄シリーズを撮影し、2010年には沖縄に移住。12年那覇市内の病院で死去。

フォトセミナーのお知らせ

PHOTO CULTURE WEEK CROSSING
第18回新宿ニコンサロンフォトセミナー
「東松照明写真展『光源の島』を語る」

開催日時:2016年5月24日(火)15:30-17:00
講師: 伊藤俊治×石川直樹
会場:ニコンプラザ新宿 セミナールーム
参加費:無料

※事前予約制/再募集受付:5月16日(月)13:00-5月23日(月)13:00
応募はWEBかFAXで承ります。詳しくはこちらのニコンイメージングWEBサイトをご覧ください。

東京写真月間2016
公益社団法人 日本写真協会

写真
アジアの写真家たち2016 モンゴル
5/31 (火) ~6/13 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

本展では、モンゴルの17名の写真家による写真展を開催する「東京写真月間2016」の国際企画展の中から、Otgonjargal.Sh(1975年生)、Nyamgerel Baljinnyam(1983年生) 、Temuulen B(1989年生)、Bilguun Narmandakh(1992年生)の4名の作品を展示する。
モンゴルは日本人にとって非常に馴染みの深い国である。歴史的には「元」王朝として1200年代中頃から13世紀後半まで中国で栄えた大国であり、1274年と1281年の2回の元寇(蒙古襲来)の戦いは日本人の誰もが熟知している。また現在は横綱白鵬をはじめ、大相撲で活躍する多くのモンゴル出身の力士について知らない日本人はいない。
国土は中国の支配下にある内モンゴル自治区とロシアに接し、バランスのとれた外交関係を展開しながら新たな友好国構築に積極的である。国土の多くはモンゴル高原にある草原を抱えた内陸国であるが、北部には広大に拡がる山麓、山岳地帯の存在はあまり知られていない。国土面積は156平方㎞と日本の約4倍で、人口は300万人である。首都は人口136万人のウランバートルで、政治、経済の中心となっている。言語はモンゴル語が公用語でほかにカザフ語が使われ、宗教はチベット仏教が主流である。産業は石炭や銅の地下資源が豊富で、広大な草原で盛んに行われる牧畜業は農業の中心である。経済は軽工業が中心であるが、経済成長率は7.8%を維持している。
「アジアの写真家たち2016 モンゴル」では、写真家たちが様々な視点からモンゴルの自然の景観や祭事、宗教儀式に代表される文化風俗、厳しい生活環境に耐えて暮らす同国の人々の様子を捉えている。その写真の数々は、我々日本人があまり目にすることがないモンゴルの新たな発見と感激を与えてくれるものと期待している。
モノクロ・カラー計 約40 点。

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