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銀座ニコンサロン 2016年3月

鈴木 賢武写真展

写真
観山十字路に末枯れていくこと
2/17 (水) ~3/1 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

作者がこの土地を終の棲家と決めて二十年が過ぎた。
二人の子供はそれぞれ巣立ち、作者の仕事も定年を迎え、夫婦に余生という時間が訪れた。
朝夕の散歩が日課となり、この十字路で深呼吸して一日が始まる。

散歩道にある観山十字路は、わずかながら小高くなっている。
自転車を漕ぐ人は思いがけない坂にさしかかり、ペダルを強く踏み込むことになる。

作者と妻は、毎日のようにこの坂を行き来する。
特別に上り下りを意識したことはないけれど、たまに高い場所から景色を眺めているようで、おおらかな気持ちになることがある。

作者夫婦は、そんなささやかな幸せの中にいる。
ただ、この坂道が坂道であることを感じさせないように、自分たちは気が付かないまま、この世の道理に従って末枯れていることを知っている。

やがて作者の何もかもが消えて最後の瞬間を迎えるとき、この十字路から眺めた山の稜線や土地の起伏が思い出されるような気がしている。
ささやかな幸せ、というかけがえのない日々を歩いた記憶がよみがえるだろう。

作者のプロフィール

鈴木 賢武(スズキ ヨシタケ)
1940年静岡市清水区生まれ。96年から木村仲久氏に師事し写真を始める。三の会静岡「21の会」所属。

岩波 友紀写真展

写真
もう一度だけ/One last hug
-津波に奪われた命-
3/2 (水) ~3/15 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

東日本大震災の津波は、多くの命を奪い去った。津波がほかの自然災害と大きく違うのは、被害にあった人たちがどこにいるかわからなくなることがあることだ。4年半がたった時点でいまだ行方不明者数は2,573人にのぼる。
震災後から現在まで行方不明の幼い我が子を捜す3人の父親を作者は取材してきた。その状況はすべて自然災害だけではない要素を含んでいる。石巻市立大川小学校では地震後も校庭にとどまり続け、避難が遅れたことで多くの児童が犠牲となった。南相馬市原町区萱浜では、原発の爆発によって捜索の自衛隊員や警察官がいなくなった。大熊町でも原発事故によって捜すどころか町に入ることすらできなくなった。助かったかもしれない命、せめて野ざらしにされることはなかった命があった。
「復興」の言葉があふれる中で、父親たちは震災から5年を迎えようとする今も、同じことが繰り返されないことを願いながら、愛する我が子を捜している。あの日から一歩も前に進めない孤独な戦いがあり、続けることを可能にした仲間の支えがあった。願いはひとつ。「もう一度だけ、この手で抱きしめたい」。
カラー22点・モノクロ28点。

作者のプロフィール

岩波 友紀(イワナミ ユキ)
1977年長野県生まれ。フォトジャーナリスト。2001年から活動を始め、アジアや中東、バルカン半島などの写真を撮る。03年から日本の大手新聞社のスタッフフォトグラファーとして、東京や仙台、大阪、福島を拠点に国内外のニュースやストーリーを撮影。現在はフリーとして福島市に居を構え、東日本大震災と福島第一原発事故の取材も続ける。
コニカミノルタプラザ(東京)やOCHA(神戸)などで写真展を開催するほか、Southeast Museum of Photography(フロリダ)、Corden|Potts Gallery(カリフォルニア)、THE POWER HOUSE ARENA(ニューヨーク)などで作品を展示。受賞歴に、「フォト・プレミオ」(コニカミノルタ)、「Prix de la Photographie Paris」銀賞、「CRITICAL MASS TOP50」などがある。オンライン新聞「The PHOTO JOURNAL」主宰。

宮嶋 康彦写真展

写真
地名(ぢな)
妣(はは)の國(くに)から
3/16 (水) ~3/29 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

地名(ちめい)は文化であり、風土を統括した貌を持つ。人々の暮らしに寄り添い、一人ひとりの命と歴史と交差している。2006年ころから、作者は国内各地の心ひかれる地名を旅してきた。古い土地の名前が消滅していくことへの危機感もあった。

初めて訪れる町の、初めて触れる土地の名前は、どこか、懐かしさを伝えた。おそらく、靴底が土地の来歴に触れるからに他ならないからだろう。

日本の各地を歩きながら、なんども作者が訪問することになったのは山陰の村里であった。鳥取と島根には、記紀神話を背景にした、日本の原形ともいうべき地名が受け継がれている。「八雲」「夜見ケ浜」は神話的だが、「森坂」「鵜峠」などは土地柄を表し、「神庭(かんば)」「八雲」には日本人の心性が表れている。そしてなによりも、いつの間にか作者は、地名を詩のように感じるようになった。

撮影した肖像写真が女性なのは、その母性が出雲と伯耆の産土神と婚姻をし、はらみ、産み、生きる人々という幻想の所産である。

作者のプロフィール

宮嶋 康彦(ミヤジマ ヤスヒコ)
1951年長崎県生まれ。文章の富と写真の富を融合させて、新たな富を創出する試みを続けている。原料の楮(こうぞ)から育てた自作の手漉き和紙に、プラチナプリントを行う作品を制作。
受賞歴に、85年「ドキュメントファイル大賞」がある。主な著作に『脱「風景写真」宣言』、『写真家の旅』、『汎自然』、『母の気配』などがある。宮嶋康彦写真塾主宰。立教大学異文化コミュニケーション研究科兼任講師を歴任。東京造形大学写真専攻領域講師。

長谷川 冬樹写真展

写真
ε 0(イプシロンゼロ)
3/30 (水) ~4/12 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

写真展名のε、ε0は誘電率と呼ばれる物理定数であり、電気部品のコンデンサーに関わる定数のことである。ε0はとくに真空(≒空気)の誘電率を示し、「対象と自分が空気(誘電体)を挟んでコンデンサーを形成し電荷の代わりに、記憶、気配や兆しを誘起している」ということに由来する。

“対象に誘起されて記憶が顕れる” あるいは“対象に誘起されて気配や兆しを感じる”
その時の光景を作者は写真に捉えている。
そして、その写真は鑑賞者にとって場所も時間も知らない無関係なものだが、個人的な記憶、気配や兆しを誘起できることに作者は魅力を感じている。モノクロ40点。

作者のプロフィール

長谷川 冬樹(ハセガワ フユキ)
1964年愛知県生まれ。87年から2009年まで半導体開発/設計に従事。08年渡部さとる氏のワークショップ2B受講。10年から15年まで白岡順氏の講評講座受講。
写真展(個展)に10年「柘榴の街」(ギャラリー26moon/東京)、グループ展に09年「柘榴の街」(グループ展「2B25」)(ギャラリー・ルデコ/東京)、11年「石の街」(グループ展「2B25−2nd」)(ギャラリー ・ルデコ/東京)がある。15年の写真展「ε0」(What's up Photo Doc Y.P.Fブース LA BELLEVILLOISE/パリ)で、ベストギャラリー賞を受賞。
11年に「REBORN」がフランス国立図書館(パリ)のコレクションとなる。

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