Nikon Imaging
Japan
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銀座ニコンサロン 2016年2月

神田 開主写真展

写真

1/20 (水) ~2/2 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

心細いまでの人の気配を辿っていった先に現れる白い壁の姿は偉容であり、例えようのないくらい異質である。
その壁の上に立ち境界のみをじっと見つめていくと、ダムという場所が出来たことで生まれる特異な光景が立ち現れてくる。
そこは異なる性質の隣接する領域であり、自然の中に人がつくり出した新たな秩序が焦点を結ぶところでもある。
大きすぎる景観と息づくものの気配、その狭間で織りなされる胎動の姿の集積。 (神田開主)

モノクロ約20点。

作者のプロフィール

神田 開主(カンダ アキカミ)
1986年埼玉県生まれ。群馬県出身。2009年日本写真芸術専門学校卒業。11年同校研究科修了。
写真展(個展)に、「真昼の夜空」(09年Juna21新宿ニコンサロン、10年Juna21大阪ニコンサロン)、12年「追想の地図」(Juna21新宿ニコンサロン、Juna21大阪ニコンサロン)、14年「地図を歩く」 (銀座ニコンサロン)。
グループ展に15年「私はここにいます 9th-The here in there-」(salon-de-vert)がある。
写真集に、14年『地図を歩く-Northern kantō-』(冬青社)がある。

中筋 純写真展

写真
The Street View.
-Chernobyl to Fukushima-
2/3 (水) ~2/16 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
休館:2/6(土)・7(日)

写真展内容

写真

「二年経て 浪江の町を散歩する Googleストリートビューを駆使して」(三原由起子)

これは、福島県浜通り、浪江町出身の女流歌人が詠んだ短歌の一首である。原発事故でふるさとが無機質なバリケードで囲われ、帰省という行為が強制的にスマートフォンの小さな液晶パネルというバーチャルな空間に閉じ込められる。つのる思い出に、湧き上がる悔しさ、もどかしさ、やるせなさ……。

その歌を思い出しながら、作者は無人となった浜通りの街々の写真をここ数年撮り続けてきた。車窓を流れるストリートビューは、悲喜こもごものロードムービーだ。故郷を愛した人々の記憶、太古からの歴史を刻んだ大地の記憶が変幻する。「地球の傷」を癒やすかのように湧き上がる緑の胎動に未来への僅かな光を作者は感じるものの、うずたかき「汚染物」なる黒いフレコンバッグに、いまだ必死に抗おうとする人間のおろかな現実を垣間見る。

来年は福島原発事故5年、チェルノブイリ事故30年を迎える。
25年と8,500キロを隔てた両地で、人類を震撼させた原発事故は発生した。核を封印した地球46億年の記憶を望まずして覚醒させた原発事故という災禍は、人智を超越した奇妙な光景を作り出す。「失楽園」から見える静かなるメッセージを私たちはどうキャッチしていくべきなのか……。沈黙の大地と静寂の街角が語りかける。

作者のプロフィール

中筋 純(ナカスジ ジュン)
1966年和歌山県生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業後、出版社勤務を経て中筋写真事務所を設立。雑誌、広告撮影と並行して日本の産業遺構を撮影。2007年に訪問したチェルノブイリ原発に衝撃を受け、その後数々の作品を発表。11年以降、福島県浜通り地区の移り変わる姿を記録し続けている。
個展に、09年「黙示録 チェルノブイリ」(キヤノンギャラリー銀座、梅田、名古屋、福岡、仙台、札幌)、11年「黙示録チェルノブイリ 再生の春」(新宿ニコンサロン)、12年「チェルノブイリ曼荼羅」(経王寺/牛込)、14年「流転 Abandoned but glowing」(キヤノンギャラリー銀座、名古屋、福岡)、同年「流転 チェルノブイリ」(早稲田奉仕園)、15年「流転 福島」(新宿駅西口プロムナード・ギャラリー)がある。
著書に、『廃墟チェルノブイリ Revelations of Chernobyl』(二見書房)、『チェルノブイリ 春』(二見書房)、『流転 チェルノブイリ 2007−2014』(二見書房)、『流転 緑の廃墟』(アスペクト)、共著に『廃墟、その光と陰』(東邦出版)などがある。

鈴木 賢武写真展

写真
観山十字路に末枯れていくこと
2/17 (水) ~3/1 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

作者がこの土地を終の棲家と決めて二十年が過ぎた。
二人の子供はそれぞれ巣立ち、作者の仕事も定年を迎え、夫婦に余生という時間が訪れた。
朝夕の散歩が日課となり、この十字路で深呼吸して一日が始まる。

散歩道にある観山十字路は、わずかながら小高くなっている。
自転車を漕ぐ人は思いがけない坂にさしかかり、ペダルを強く踏み込むことになる。

作者と妻は、毎日のようにこの坂を行き来する。
特別に上り下りを意識したことはないけれど、たまに高い場所から景色を眺めているようで、おおらかな気持ちになることがある。

作者夫婦は、そんなささやかな幸せの中にいる。
ただ、この坂道が坂道であることを感じさせないように、自分たちは気が付かないまま、この世の道理に従って末枯れていることを知っている。

やがて作者の何もかもが消えて最後の瞬間を迎えるとき、この十字路から眺めた山の稜線や土地の起伏が思い出されるような気がしている。
ささやかな幸せ、というかけがえのない日々を歩いた記憶がよみがえるだろう。

作者のプロフィール

鈴木 賢武(スズキ ヨシタケ)
1940年静岡市清水区生まれ。96年から木村仲久氏に師事し写真を始める。三の会静岡「21の会」所属。

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