Nikon Imaging
Japan
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銀座ニコンサロン 2015年9月

奥山 淳志写真展

写真
あたらしい糸に
8/26 (水) ~9/8 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

いまから10年ほど前、作者が岩手県の雫石町に移住してから数年たった頃のことだ。「東北」という土地が内包する世界を見たいという思いで、各地の祭礼行事を訪ねることになった。
その頃の作者は、東北の祭礼に興味を抱く多くの人たちと同じように、目の前で繰り広げられる祭礼の営みのなかに「まだ見ぬ遠い世界」や「憧れ」を見つけようとした。それはたとえば「縄文」であったり、「連綿と続く共同体の神話」であったりした。そして、そこには確かにその類の匂いもあり、甘美でもあった。もし、東北で生きることを決心していなかったならば、そこで見つけた「遠い世界」に身を委ね、心地良くシャッターを切ることができただろう。
しかし、作者は東北の同時代を生きる者として、見るべきことはもっと別なところにあるような気がした。それは、いま、祭礼はどういうものなのかという現実的な問題だった。いうまでもなく多くの祭礼は形骸化している。遠い時代から信じられてきた大いなる物語は、すでに消えてしまっているのだ。簡単に言えば、祭礼は役目を終えた。そういう風に作者には思えた。実際、行われなくなった祭礼も数多くあった。しかし、その一方で、何とか頭数を集めながら変わらぬかたちで祭礼を続ける人たちの姿も多くあった。そんな人たちの姿は、作者に根本的な疑問をもたらした。
“物語を失った祭礼をなぜ続けるのだろうか?”その日から作者は、この問いの答えを探すべく、祭礼を訪ね歩いた。
そして、今、作者はひとつの仮説に近い答えをつかんだような気がしている。大いなる物語の代わりにこの地に暮らす人が探し出そうとしているものは、今の時代を生きる自分たちが、これからもこの土地で生きていくための新たな世界観ではないだろうか。彼らは、新たな糸をつむぐように、新しい世界観を仲間とともに見出し、物語を失い、空になった祭礼という器に満たそうとしているのではないだろうか。
あたらしい糸。紡ぎ出されたその先を作者は見続けていきたいと思っている。
カラー約40点。

作者のプロフィール

奥山 淳志(オクヤマ アツシ)
1972年大阪府生まれ。京都外国語大学卒業。95年から98年まで東京で出版社に勤務した後、98年に岩手県の雫石町に移住し、写真家として活動を開始。以後、雑誌媒体を中心に北東北の風土や文化をテーマとした作品を発表するほか、近年は、フォトドキュメンタリー作品の制作を積極的に行っている。
写真展(個展・グループ展)に、2005年「旅するクロイヌ」(up cafe/岩手)、06年「Country Songs ここで生きている」(ガーディアン・ガーデン/東京、GALLERYヒラキン/岩手) 、08年「明日を作る人」(新宿ニコンサ口ン)、09年「今、そこにある旅(東京写真月間)」(コニカミノルタプラザ/東京)、10年「Drawing 明日をつくる人 vol.2」(TOTEM POLE PHOTO GALLERY/東京)、12年「彼の生活 Country Songsより」(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン) がある。
著作に、03年『岩手旅街道』(岩手日報社)、04年『手のひらの仕事』(岩手日報社)、06年『フォト・ドキュメンタリー「NIPPON」』(ガーディアン・ガーデン)、12年『とうほく旅街道』(河北新報出版センター)がある。
このほか、「季刊銀花」(文化出版局)、「アサヒカメラ」(朝日新聞社)、「ソトコト」 (木楽舎)、「家庭画報」(世界文化社)、「風の旅人」(ユーラシア旅行社)、「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)、「Ways」(JAFMATE社)、「北東北エリアマガジンrakra」(あえるクリエイティブ)、「トランヴェール」(JR東日本) などで作品を発表。JRフルムーンポスターを手がける。
また、06年に写真展「フォト・ドキュメンタリー「NIPPON」2006」(ガーディアン・ガーデン)の写真家に選出された。

有元 伸也写真展

写真
Tokyo Debugger
9/9 (水) ~9/22 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

人類は近代に至り、山を切り崩し、また森を切り開き街を作った。そして自らのテリトリーを確保し、外界を遮断するかのように密閉し生活を営んでいる。……つもりではあるが、少しでも油断しようものなら、彼らはいつでも外界よりの侵入を試みる。

「むし」は、日本神話における産霊(むすび)の「むす」と同源で、この地球上に生み出された初期の生物の意味を持つ。
彼らの誕生から幾星霜の歳月を経たいまここで、私たちは彼らと同じ時を生きている。我々人類とは明らかに違う生態を持ち、また異なる形態の生き物たち。そんな彼らに対して覚える畏怖こそは、この惑星に暮らす遥かなる先輩たちへの尊敬の念である。
モノクロ40点。

作者のプロフィール

有元 伸也(アリモト シンヤ)
1971年大阪府生まれ。94年にビジュアルアーツ専門学校 大阪卒業後、フリーランスの写真家としてのキャリアを開始。5年間にわたるチベットでの制作をまとめた写真集『西蔵(チベット)より肖像』を99年に出版。同作にて第35回太陽賞を受賞。現在は東京在住。国内外で精力的に個展やグループ展を開催するとともに、自身のギャラリー(TOTEM POLE PHOTO GALLERY)を運営し、そこでの連続展を中心に活動を行い、定期的に写真集を出版している。

英 伸三写真展

写真
文革の残影-中国 江南の古鎮を訪ね歩く-
9/23 (水) ~10/6 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

1965年の夏、中国側の呼びかけで行なわれた日中青年大交流に日本ジャーナリスト会議代表団の一員として作者ははじめて中国を訪れた。日中国交が正常化される7年前のことで、北京、上海などの都市や農村を約一カ月間まわり、工場、人民公社などの生産現場で社会主義国家の建設に励む人々の姿を撮影した。
その翌年の5月、毛沢東共産党主席によってプロレタリア文化大革命(文革)が発動された。劉少奇国家主席ほかの党要人、学術権威者たちをブルジョア反動思想路線を歩むものとして徹底批判して逮捕、拘禁する過激な階級闘争が中国全土で展開された。
その後68年には文革の尖兵、紅衛兵や都市の知識青年など2,000万人の若者が動員され、大規模な農村への下放が強行された。しかし毛沢東の威信を背景にのしあがった、いわゆる四人組が76年9月の毛沢東の死後逮捕されるにおよび、66年から10年間、当時の人口7億の人々を混乱におとしいれた文革は終焉を告げた。やがて中国は鄧小平主導による経済発展を第一とする時代へと大転換を遂げた。
作者は92年から上海や浙江省の江南一帯の明、清時代の面影を残す古鎮を訪ねて、路線の変更がもたらした街のたたずまいや人々の暮らしの撮影を続けている。その中で、民家のしっくいや煉瓦の壁、工場の建物などに赤ペンキで肉太に書かれた政治スローガンや毛沢東語録の一節が残っているのに気付いた。文革発動以来40数年、雨に打たれ、風にさらされ、文字は赤い汚れとしか見えないものも多いが、「毛沢東思想万歳」とはっきり読めるものもある。毛沢東の肖像の壁画が残されている農家もあった。今、文革は完全否定され、当時の革命思想も過去の歴史のなかに埋没したかのようにみえる。しかし、全土で激しく展開された政治運動は残影として刻まれ、混乱と苦悩の日々のあったことを静かに物語っている。
今回の展示では、文革の残影をとらえた作品に、古鎮での日常の暮らしの場面を撮った作品を加えて構成した。カラー約58点。

作者のプロフィール

英 伸三(ハナブサ シンゾウ)
1936年千葉県千葉市生まれ。東京綜合写真専門学校卒。日本写真家協会会員。現代写真研究所所長。農村問題などを通じて日本社会の姿を追い続ける。92年から中国の上海と江南一帯の明、清 時代の面影を残す運河沿いの鎮を訪ね、「改革・開放」の近代化政策によって姿を変えていく街のたたずまいと人々の暮らしぶりを記録している。
写真集に、71年『農村からの証言』(朝日新聞社)、78年『1700人の交響詩』(高文研)、79年『子どもたちの四季』(三省堂)、 83年『偏(や)東風(ませ)に吹かれた村』(家の光協会)、84年『新富嶽百景』(岩波書店)、89年『英伸三が撮ったふるさときゃらばん』(晩聲社)、89年『日本の農村に何が起こったか』(大月書店)、90年『一所懸命の時代』(大月書店)、
95年『町工場・鋼彩百景』(日本能率協会マネジメントセンター)、 2001年『上海(しゃんはい)放生(ほうじょう)橋(ばし)故事(ものがたり)』(アートダイジェスト)、06年『上海(シャンハイの)天空下(そらのした)』(日本カメラ社)、07年『里と農の記憶』(農林統計協会)、12年『桜狩り 昭和篇』(日本写真企画)などがある。
受賞歴に、65年個展『盲人―その閉ざされた社会』と「アサヒカメラ」の《農村電子工業》で日本写真批評家協会新人賞、71年写真集『農村からの証言』で日本ジャーナリスト会議奨励賞、82年写真展『桑原史成 英 伸三ドキュメント二人展』で第7回伊奈信男賞、83年写真絵本『みず』でボローニャ国際図書展グラフィック賞などがある。

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