Nikon Imaging
Japan
プレミアム会員 ニコンイメージング会員

大阪ニコンサロン 2014年7月

juna21 池上 諭写真展

写真
目の前の山
6/26 (木) ~7/2 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

山に入る。いつもとは違う色、光、空気に囲まれている緊張感とその解放感で、作者は全身が妙に高揚しているのを確かに感じる。
数えきれない山靴で踏み固められてきた深い道を、荒い呼吸で登ってゆく。見上げる先に遮るものは何もなく、空が近くとも遠くとも見てとれる。
地図を広げてそれぞれの山を望み、思いを馳せらせたりもするが、ファインダーのなかでは、奥に見えるのが名高い山で、手前に見えるのが名も無い低山であるなどという境は消え去り、遠くからは決して見ることの出来ない目の前の山の様相に思わずシャッターを切る。それは登攀中も下山中も登頂した瞬間でさえも変わらない。どんな山へ入ろうとも麓に下りるまで、ひとつの山色としてただ感じるだけである。
“山岳写真”といわれるような自然の雄大さや力強さのある写真とは一線を画した山写真である。
カラー45点。

作者のプロフィール

池上 諭(イケガミ サトル)
1984年神奈川県生まれ。2010年東京造形大学卒業。卒業後はフリーで活動している。
写真展に、13年「SLOUGH」(コニカミノルタプラザ)があり、写真集に『SLOUGH』『NODE』(共著)がある。

ニコンサロン特別展
石川 文洋写真展

写真
戦争と平和・ベトナムの50年
7/3 (木) ~7/16 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

写真

1964年8月、ベトナム沖で米駆逐艦が北ベトナム魚雷艇の攻撃を受けたとされる「トンキン湾事件」で米軍は北ベトナムを爆撃した。この年、作者は初めてサイゴン(現ホーチミン市)を訪れた。
その後1965年1月から4年間サイゴンで暮らし、南ベトナム政府軍、米軍への同行取材を続けた。
帰国後も、70年米軍のカンボジア侵攻作戦、72年・73年爆撃下の北ベトナム、75年ベトナム戦争終結、78年ベトナム・カンボジア国境紛争、79年ベトナム・中国戦争などを撮影した。
現在は枯葉剤・不発弾被害者ほか、戦争の後遺症と戦後の復興を取材している。
作者が初めてベトナムの地を踏んでから50年の月日がたった。来年は戦争終結40周年。第二次世界大戦以降、最大となったベトナム戦争を撮影した写真記録を展示する。
モノクロ・カラー40~50点。

作者のプロフィール

写真

石川 文洋(イシカワ ブンヨウ)
1938年沖縄県那覇市生まれ。64年毎日映画社を経て香港のファーカス・スタジオに勤務。65年1月~68年12月、フリーカメラマンとして南ベトナム(当時)の首都サイゴン(現ホーチミン市)に滞在。69年~84年、朝日新聞社カメラマン。84年~現在、フリーカメラマン。
98年ベトナムのホーチミン市戦争証跡博物館内に石川文洋写真常設展示室開設。2009年沖縄市が開設した「戦後文化資料展示室ヒストリートⅡ」に、作品が随時展示される。
主な写真展に、「戦争と民衆」「カンボジア 民衆とアンコール遺跡」「琉球舞踊」「大航海時代」「普賢岳・深江町の1年」「ヴェネチアの幻想」「沖縄の基地とアメリカの戦争」「日本縦断徒歩の旅 ―65歳の挑戦」「世界の笑顔」「四国八十八カ所」などがあり、主な著書に、『戦争はなぜ起こるのか ―石川文洋のアフガニスタン』(冬青社)、『日本縦断徒歩の旅 ―65歳の挑戦』『カラー版 ベトナム 戦争と平和』『カラー版 四国八十八カ所 ―わたしの遍路旅』(以上、岩波書店)、『石川文洋のカメラマン人生 貧乏と夢編』『石川文洋のカメラマン人生 旅と酒編』『てくてくカメラ紀行』『アジアを歩く』灰谷健次郎共著(以上、エイ文庫)、『サイゴンのコニャックソーダ』(七つ森書館)、『私が見た戦争』『まだまだカメラマン人生』(以上、新日本出版社)などがある。

金村 修写真展

写真
Ansel Adams Stardust(You are not alone)
7/17 (木) ~7/23 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

コンデジや携帯カメラ、iPhoneにスマホで大量に写真が撮られているこの時代に、写真の希望なんてどこにあるのだろうか。プリントもされずにデスクトップの中で陽の目を見ることもなく垂れ流しのまま朽ち果てるデジタル写真の山。見ることもできなければ、その片鱗すら感じることもできない不可視のデータの残骸に、フィルムがトラッシュな残骸の山を同期させてくる。
音楽評論家が、ラ・デュッセルドルフのレコードを塩化ヴィニールの無駄遣いと評したように、価値があるのか無価値な屑なのか、判断不能のごみの山を確信的に築くことだけが未来の写真の希望なのだ。
無駄のないフレーミング、黄金比で分割された構図、美しく再現された質感、モノクロのトーンが階調豊かに表現されたバライタ紙に、未来の写真のごみの山が侵食し、その美しい写真の表層に不可視のごみの縄目を刻印する。写真は美しくもなければ汚くもない。ただ薄汚い即物的な汚れがあるだけだ。
汚いという小手先のリアリズムは、現実に嘲笑される。汚さは結局リアリズムの概念に回収され、美意識の回路に組み込まれるだろう。美しさは無限に増え続ける写真の山の中で窒息させられ、その無残な姿を額装されて公衆の面前で辱しめを受ける。未来の写真は美しさの扉を激しく叩き、美しさにうめき声をあげさせるだろう。
写真は性的快感を廃棄し、不能を肯定するボストン絞殺魔。犠牲者が死んでいく過程になんの想像力も持たずに即物的な興味と観察による絞殺を実行する。着飾って美しく仕上げられたプリントに対し、脳腫瘍で鬱血した顔すらもきっちり階調を出す非情のゾーンシステムのリアリズムでトラッシュなアンセル・アダムスになることを未来の写真は希望する。(金村 修)

作者のプロフィール

金村 修(カネムラ オサム)
1964年東京生まれ。93年東京綜合写真専門学校研究科卒業。97年日本写真協会新人賞、第13 回東川町国際写真フェスティバル新人作家賞受賞。2000年第19 回土門拳賞受賞。
著書多数。主な写真展に、(個展)93年「Crashlanding in Tokyo's Dream」(銀座ニコンサロン)、95年「Tokyo Swing」(Yoshii Gallery/ニューヨーク)、00年「土門拳賞受賞記念展 Black Parachute Ears 1999」(銀座ニコンサロン)、05年「Chinese Rocks」(ツァイト・フォト・サロン/東京)、13年「金村修展─ヒンデンブルク・オーメン」(photographers' gallery/東京)、(グループ展)92年「第3 回ロッテルダム写真ビエンナーレ Waste Land from Now on」(ロッテルダム/オランダ)、96年「New Photography 12」(ニューヨーク近代美術館)、03年「日本写真史展」(ヒューストン美術館/米国テキサス州)、04年「アルル国際写真祭」(アルル/フランス)、11年「JAPAN TODAY」(AMADOR GALLERY/米国ニューヨーク州)などがあり、作品は横浜美術館/ニューヨーク近代美術館/東京都写真美術館/東川町文化ギャラリー/東京国立近代美術館/土門拳記念館/ベネッセコーポレーション/ヒューストン美術館/福岡市美術館/サンフランシスコ近代美術館/シカゴ美術館にコレクションされている。

juna21 浅井 寛司写真展

写真
標高4000Mの祈り
7/24 (木) ~7/30 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

“チベット”という響きを聞くと、何処を思い浮かべるだろうか。多くの場合は“チベット自治区”という中華人民共和国の一部を思い浮かべるだろう。だがもしかすると、チベットという一つの独立国家を想像する人もいるかもしれない。
しかしながら、現在においてチベットという国家は存在しないにも関わらず、その広大な文化圏は幾国もの国境を跨ぎながら、チベット仏教という国家を超えた超共同体を形成している。
今日の日本において希薄になってしまった信仰心、尊い祈りは、国家という歪な境界を無意義なものとさせる。
すぐこの手に届きそうな空の下、ひたむきに祈りを捧げる彼らは穏やかに、そして凛とした強さを垣間見せる。彼らがそうするように、祈りのその先に目を向けた。チベットの空は広大である。カラー35点。

作者のプロフィール

浅井 寛司(アサイ ヒロシ)
1984年三重県生まれ。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業後、東京のビデオゲーム制作会社にてビジュアルアーティストとしてデザイン業務を担当。会社業務の傍ら、国内外問わず、魅力ある風景や人々の営みを求めて撮影の旅に出ている。

juna21 山下 隆博写真展

写真
心の温度
7/31 (木) ~8/6 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

北海道後志(しりべし)地方。ここには原子力発電施設を3基抱える泊発電所がある。そしてここは、作者の生まれ故郷でもある。
この場所で起きていることは別の場所で起きていることとさして変わらないだろうと思うが、原発のある場所として認識されたとき、人々は様々なことを思うことだろう。
2011年3月以降、人々の原発に対する認識は大きく変わったはずだ。反対や賛成ということだけでなく、意識していなかった人たちに、意識を向けさせたということでは福島第一原発事故は大きな切っ掛けとなったことは明白である。
しかし、作者は自分が以前から抱いていた立地地域に住んでいる人たちの考えと、それ以外の、とくに都市部に住んでいる人たちの間にある温度差のようなものは、一層強くなってきたように思うという。カラー約30点。

作者のプロフィール

山下 隆博(ヤマシタ タカヒロ)
1984年北海道生まれ。2005年日本写真芸術専門学校II部卒業。
写真展(個展)に、07年「多摩川の陽々」(コニカミノルタプラザ/東京)、09年「この流れの彼方―多摩川―」(トーテムポールギャラリー/東京)、10年「Suicide Spiral ―tears and birds twittering―」(Juna21新宿ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、11年「奇跡の傍らで眠る」(810ギャラリー/大阪)、12年「わすれて・わすれないで」(TAPギャラリー/東京)、「多摩川をなぞる」(Place M/東京)、13年「UMIYAMAYUKINO」(キチジョウジギャラリー/東京)があり、グループ展に11年「第4回写真1_WALL展」(ガーディアン・ガーデン/東京)、13年「Madurai Photography Festival 2013」(マドゥライ/インド)、14年「xishuangbanna Foto Festival 2014」(西双版納(シーサンパナ)/中国)などがある。

ニコンイメージングプレミアム会員
ニコンイメージング会員