大阪写真月間2014
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写真家150人の一坪展
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5/29 (木)
~6/4 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
写真文化の発展と普及に寄与することを目的に、毎年6月1日の「写真の日」を中心とした期間に東京と大阪で開催されるのが「写真月間」である。
「大阪写真月間」は2000年の暮れに「東京写真月間」(日本写真協会主催)の呼びかけに応じてスタートし、02年6月に初めて「大阪写真月間2002」を開催した。
今年の「大阪写真月間2014」は13年目となり、本年も大阪市内のギャラリーを使い、写真家約150人が1人一坪(1.8m四方)を使って展示する「写真家150人の一坪展」と、一般の写真愛好家が1人一枚を展示する写真展「私のこの一枚」の二つの写真展のほか、高校生による「ハイスクール・フォトアワード」、「小学生のための写真教室」、記念シンポジウムなどを併催する。
メインイベントである本展の特色は、写真を表現手段として作品を制作している人なら、作品内容や方法はもちろんのこと、年齢、性別、国籍、職業などに関係なく参加できるところにある。また、展示するギャラリーや壁面の場所も抽選で決定するので、いっさいの審査や選別は行わない。写真展にポリシーやテーマを求める人は、この何でもありの写真展に「展としてのポリシーがない」という異論を唱えることもあるが、80歳を超える超ベテラン作品の横に、孫のような高校生がはじけるような写真を並べる、そんなお好み焼き的「ごちゃ混ぜ感」が本展の魅力である。
この「写真家150人の一坪展」では、観客は内容も方法も異なる150の写真表現作品に出会うことになり、150の個性の中に、きっと気に入る作品があるはずである。
第33回土門拳賞受賞作品展
桑原 史成写真展
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不知火海 The Minamata disease Disaster
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6/5 (木)
~6/18 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
作者が不知火海の沿岸、ことに水俣を中心に撮影を開始したのは1960年からである。この不知火海(八代湾)の沿岸は、ざっと200㎞だが、その一帯で住民に過酷なまでの事件が起き、現在も続いている。正確な数字ではないが約3,000人の認定患者(新潟県も含む)、また、救済を求める人たちが約6万5,000人、さらに係争中の訴訟も起こされている。
水俣事件は公式な発見から58年になる。作者は写真を表現手段として断続的だが記録を継続してきた。展示する写真は水俣事件の断片的な記録である。
なお本展は、昨年(2013年)暮れに銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンにおいて「不知火海 The Minamata disease Disaster」と題して開催された写真展内容を一部手直しして展示する。
受賞理由
受賞作の写真展「不知火海 The Minamata disease Disaster」と写真集『水俣事件』は、水俣病の公式発見から4年後の1960年から昨年まで、熊本県水俣市に通い続け、半世紀にわたり、丹念にそして広くこの国の「事件」を記録し続けたモノクロ作品である。
病床の患者のみならず、日常の暮らし、漁村の営み、集会、裁判、慰霊祭での政治家の表情などを捉え、淡々と積み重ねられた事実が「ひと」の「愚かさ」と「いきる力」を浮かび上がらせている。
ジャーナリスティックで距離感を保った一貫した姿勢によるドキュメント写真は、私的な写真があふれる日本の写真界に刺激と重みを与えた。
作者のプロフィール
桑原 史成(クワバラ シセイ)
1936年島根県生まれ。60年東京農業大学、東京綜合写真専門学校卒業。フリーの写真家として活動を始める。最初の仕事として水俣病の撮影に取りかかる。炭鉱閉山の局面を写した「筑豊」は、在学中の59年に撮影。64年から四半世紀にわたり、政治的混乱による情勢が不安定だった「韓国」を撮影。67年から75年にかけてベトナムを取材。91年8月、ソ連崩壊のきっかけとも言える8月クーデターを含む「ロシア」を撮影。97年には郷里の津和野に「桑原史成写真美術館」が開館した。
63年日本写真批評家協会新人賞、65年講談社写真賞、82年伊奈信男賞、2003年 Dong Gang 賞を受賞。
主な写真集に、『報道写真家』(岩波新書)、桑原史成写真全集(全4巻:水俣/韓国/ベトナム/筑豊・沖縄)(草の根出版会)などがあり、写真展を多数開催している。
小野 淳也写真展
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相槌は残りの歳月に染みを付ける
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6/19 (木)
~6/25 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
作者は祖父の写真を撮っている。
祖父は、作者が物心ついたときから、軽い認知症を患っていた。そのせいか、作者には祖父との思い出はほとんどない。そして作者が東京で暮らし始めたことで、祖父との距離はそれまで以上に遠くなった。
数年前、作者の身近な人が亡くなった。そのとき作者は無性に祖父のことを知りたくなった。家族なのにお互いのことを何も知らず、わずかな時間を共有することもないまま、二度と会えなくなるのはとても哀しいと思ったからだ。
作者と祖父との唯一のコミュニケーションは祖父と一緒に過ごし、写真を撮ることだった。祖父を撮ることで二人の時間を共有し、祖父の記憶を知っていく。
祖父は唐突に相槌をうつことがある。それは、作者が祖父を知ろうとすることを受け入れてくれている了承のサインのようであった。
祖父との距離は急には縮められない。あとどれだけの歳月が残されているのか分からないが、作者が祖父を知っていくことや、過ごした時間はこれからの二人に染み付いていく。
ゆっくりと確実に、二人は近づいている。カラー約15点。
作者のプロフィール
小野 淳也(オノ ジュンヤ)
1987年岡山県生まれ。2010年日本大学藝術学部写真学科卒業。
主な写真展に、2009年「また、あした。」(Juna21 新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、10年「東京」(nagune/東京都新宿区)、11年「Utopia」、「奇妙な夢の中で」、12年「bipolar disorder」、「TOKYO DARK」、「その日までの距離」、13年「遠回りする二人」(以上、TAP Gallery/東京都江東区)、「東京」(nagune)、「曖昧な二人、繰り返す普通」(TAP Gallery)があり、グループ展に10年「GAW展Ⅶ」(西脇市/兵庫県)などがある。
池上 諭写真展
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目の前の山
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6/26 (木)
~7/2 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
山に入る。いつもとは違う色、光、空気に囲まれている緊張感とその解放感で、作者は全身が妙に高揚しているのを確かに感じる。
数えきれない山靴で踏み固められてきた深い道を、荒い呼吸で登ってゆく。見上げる先に遮るものは何もなく、空が近くとも遠くとも見てとれる。
地図を広げてそれぞれの山を望み、思いを馳せらせたりもするが、ファインダーのなかでは、奥に見えるのが名高い山で、手前に見えるのが名も無い低山であるなどという境は消え去り、遠くからは決して見ることの出来ない目の前の山の様相に思わずシャッターを切る。それは登攀中も下山中も登頂した瞬間でさえも変わらない。どんな山へ入ろうとも麓に下りるまで、ひとつの山色としてただ感じるだけである。
“山岳写真”といわれるような自然の雄大さや力強さのある写真とは一線を画した山写真である。
カラー45点。
作者のプロフィール
池上 諭(イケガミ サトル)
1984年神奈川県生まれ。2010年東京造形大学卒業。卒業後はフリーで活動している。
写真展に、13年「SLOUGH」(コニカミノルタプラザ)があり、写真集に『SLOUGH』『NODE』(共著)がある。