太田 昭生写真展
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溶融の時(ハンセン病療養所大島)
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6/4 (水)
~6/17 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
らい予防法が廃止された1996年(平成8年)、大島を訪問した作者は、その島で隔離され続けた人たちの歴史「生きた証」を撮影した。
その後、15年ぶりに島を訪れると人口は100人以下になっていた。撮影した人たちも三分の二以上が亡くなり、入園者の平均年齢も82歳を超え、人口の激減と高齢化により、人類共通の「老い」と「死」の問題が迫っていた。
10年後、20年後の大島を想像したくない。島内で亡くなった人、全員が眠る納骨堂は誰が守るのか。入園者で陶芸家の山本隆久さんは、自分の骨壺を制作しているそうだ。
天寿を全うして死を迎えようとしている彼らの何を撮ればよいのか。
時間はすべての者に平等だが、時として短くも長くもなり、風化もし、不条理でもある。
大島の撮影は時間と人間の生き様を考えさせてくれる。日本におけるハンセン病の対応、島民の高齢化、意識の風化、何よりもそこで生活させられた「生きた証」さえも飲み込んでいきそうで、残酷である。モノクロ53点。
作者のプロフィール
太田 昭生(オオタ アキオ)
1950年香川県小豆島生まれ。元高校教師。99年酒田市土門拳文化賞奨励賞受賞。日本写真協会会員。
主な写真展に、92年「諦観の島―豊島」(銀座ニコンサロン)、95年「流離漂泊の俳人―尾崎放哉」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、96年「高松 Uni City」(銀座ニコンサロン)、98年「魂の島・大島」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、2001年「豊島10年」(銀座ニコンサロン)、06年「島が消える」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)などがあり、出版物に「魂の島・大島」(2000年刊)がある。
大西 みつぐ写真展
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放水路
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6/18 (水)
~7/1 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
荒川放水路は1911年(明治44年)の測量にはじまり、1930年(昭和5年)までの長期間を費やして開削した人工の河川である。
作者は、1985年にこの放水路の近隣に暮らした数年間を「河口の町」と題して発表した(作品は第22回太陽賞を受賞)。バブル期の江東の町だったが、それでもまだ庶民の穏やかな暮らしぶりは残っていた。そして2012年に賑やかなスカイツリーの傍らの辺境として「砂町」を撮り下ろした(作品は日本写真協会企画展として写真展を開催)。その間には唯一のモノクロ作品「wonderland」が幾重にも挟まれている。
これらをすべて太く一本につないでいるのがこの放水路であったことを思い返した時、作者は再びこの川をどこまでも歩いてみたくなった。東日本大震災後の東京臨海部の風景が無防備に曝されていることへの焦燥感も深く関わっている。
一昨年の夏から、作者は赤羽岩淵から河口までの22㎞を繰り返し歩いた。「放水路の風景」は、昭和初期に永井荷風が詩趣として唱えた「荒涼寂寞」さとは一見無縁の健康で平和な水辺風景が連なっている。しかし、ところどころに広がるヨシ原の間には、ぎりぎりの際で「生」を保ちながらなにかを解き放ち、密やかにそこにいようとする人間の気配が充満している。それらは都市の周縁にこそ浮かびあがる現在性ではないか。そして、川はどこか遠くで投げ込まれたかもしれぬ今日の日本の澱をたっぷり宿しながら、海へとめどなく排出され続けている。
静かで寂しく儚い情景の中に、私たちの明確な明日など見いだせはしないのだが、ここから東京を深く想い続けていたいと作者は考えている。
とめどなく流れる川、密やかなる日々。ぎりぎりの「際」で東京を想う。
カラー約40点(液晶画面による映像も上映予定)。
作者のプロフィール
大西 みつぐ(オオニシ ミツグ)
1952年東京深川生まれ。74年東京綜合写真専門学校卒業。70年代から東京、下町をホームグランドとして撮影を続けており、東京綜合写真専門学校、東京造形大学、関東学院大学、武蔵野美術大学の講師、非常勤講師を歴任。また、2000~08年、ニッコールクラブ幹事、ニコンサロン運営委員を務める。85年「河口の町」で第22回太陽賞受賞。93年「遠い夏」ほかで第18回木村伊兵衛写真賞受賞。同年、江戸川区文化奨励賞受賞。
個展、企画展を多数開催。写真集・著書に「wonderland」「遠い夏」「下町純情カメラ」「東京手帖」「デジカメ時代のスナップショット写真術」などがあり、作品は東京都写真美術館、フランス国立図書館などに収蔵されている。
現在日本写真家協会会員、日本写真協会会員、大阪芸術大学客員教授、ニッコールクラブ顧問。