写真展内容
私は岐阜県養老町で生まれた。
静かで清くて、何もない。
空虚感と憂鬱。
ああ、田舎なんだと、さめざめ思う。
家を出て、生まれ育った町を見る。
やっぱり何もない。
ただそこにふるさとがある。
ただそこに家族がいる。
それだけのことが温かいことだと知った。
ああ、おまえは何をわかっている。
カラー42点。
作者のプロフィール
寺倉 弓恵(テラクラ ユミエ)
1985年岐阜県生まれ。13年名古屋ビジュアルアーツ写真学科夜間部卒業。
私は岐阜県養老町で生まれた。
静かで清くて、何もない。
空虚感と憂鬱。
ああ、田舎なんだと、さめざめ思う。
家を出て、生まれ育った町を見る。
やっぱり何もない。
ただそこにふるさとがある。
ただそこに家族がいる。
それだけのことが温かいことだと知った。
ああ、おまえは何をわかっている。
カラー42点。
寺倉 弓恵(テラクラ ユミエ)
1985年岐阜県生まれ。13年名古屋ビジュアルアーツ写真学科夜間部卒業。
AJPS(日本スポーツプレス協会)は、国内外の第一線で活躍中の、約170名を超えるフリーランスのスポーツ・ジャーナリスト(フォトグラファー、ライター他)で構成されている団体である。
本展は2部構成になっており、一つは2013年度に撮影した様々なスポーツシーンにおいて、会員が「これだ」という思いをぶつけた年間スポーツベストショット約300点以上の作品の中から約40点を展示する。こちらは会員ならではのカメラアイと決定的瞬間を楽しむことができる。
もう一つは、フォトグラファー会員とライター会員が組んで、写真と文章を組み合わせて一つの作品に仕上げた「コラボレーション」と題したもので、新たなスポーツシーンを生み出し、感動を呼び起こさせてくれる作品約15組を展示する。
カラー約60点。
<日本スポーツプレス協会>
1976年6月、国内の第一線で活躍するフリーランスのスポーツ・ジャーナリスト(フォトグラファー、ライター他)を中心に、「スポーツ・ジャーナリストの職能を確立擁護し、表現および報道の自由に努め、もって日本のスポーツ界の発展に寄与する」を目的とし、16名の有志で設立。初代会長は中谷吉隆氏。
82年第1回日本スポーツプレス協会展開催。84年初の協会写真集「スポーツ写真年鑑」(講談社刊)出版。88年設立10周年記念事業として写真展と写真集を出版。92年国際スポーツプレス協会(AIPS)の会員に、任意で正式入会することが可能となる。97年創立20周年記念事業として公募によるスポーツフォトコンテストと写真展(協会展とコンテスト入選作品展)を開催。2000年写真集「20世紀スポーツの肖像・心に残るアスリートたち」(学習研究社刊)出版。01年都内9会場にて協会展を開催。06年創立30周年記念報道展「美しきアスリートたち」「サッカー」開催。10年一般社団法人日本スポーツプレス協会設立。会長に水谷章人氏就任。
AJPS報道展期間中に次の内容で特別トークショーを開催いたします。
お誘い合わせの上、是非ご参加ください。
開催日:4月13日(日)
場所:ニコンプラザ新宿内 セミナールーム
※入場無料・予約不要です。
※会場の都合により満席(80席程度)の場合には、立ち見あるいは入場できない場合がございます。ご了承ください。
タイムテーブル: 13:30-14:30 宮澤ミシェル氏 トークショー
14:30-15:00 AJPS会員 赤木真二氏
特別トークショー「ワールドカップってどんな大会?」
16:00-17:00 山本昌邦氏 トークショー
本連合展は、東日本の読売写真クラブ(YPC)ごとにテーマを決め、競り合うグループ対抗戦で、1995年の第1回を皮切りに今回で19回目を迎える。
会員は、所属する各クラブのそれぞれそのテーマに向かって一年がかりで作品作りに励み、膨大な数の作品が地区ごとの例会に提出される。そこで勝ち抜いた作品が代表作品となって本展に展示され、最終審査を迎える。
審査基準はテーマ性や群写真としてのまとまりなどが重んじられ、優れた単写真を集めただけでは勝ちぬくことができない。
歴代の最優秀クラブ賞を最も多く獲得しているのは6回の埼玉YPCで、前回は茨城YPCが「いばらぎ 風のある風景」で受賞をした。
熊切圭介氏、竹内敏信氏、管洋志氏らの写真家が歴代の審査委員を務められ、応募点数は開催ごとに増加する傾向にある。カラー119点(予定)。
読売写真クラブ(YPC)は、読売新聞社が母体となり全国の写真愛好家が集う写真クラブである。現在、全国に39クラブ6000名を超える会員が在籍する。1982年、宇都宮市に一番目となる栃木YPCが発足してから今年で32年目、自主独立による運営を基本とし、各YPCがそれぞれ例会、撮影会、勉強会、作品展などを通して活動を行っている。
YPCの特徴は、各クラブの例会などに、読売新聞社の現役カメラマンや写真家が精力的に出向き、審査やセミナーを行っていることである。また、審査で選ばれた上位作品は読売新聞の地域版に掲載されることも魅力の一つとなっている。さらに全国レベルの写真コンテストや撮影会なども定期的に開催されており、初心者から上級者まで自分に合った参加が可能である。
作者がベトナムに初めて行ったのは2006年のこと。日本の原風景を彷彿させる豊かな農村や生活風景と温厚にして逞しい国民がいて、とりわけ幼い子供から大人顔負けに働く子供たちまで、素朴さと人懐こさには、心惹かれるものがあった。
本展は文字通り子供を中心に、生き生きとした素顔にスポットをあてたものである。
「君たちは素直に育てられ、素朴さを失わずに育ってきた。見ての通り、ごくありのままだ。時として笑い、泣き、怒り、喚く。悲しいことがあっても、空を見上げれば青い空に消えていくのかもしれない。その精一杯のポーズに子供らしさと打ち解けた気持ちを感じてしまう。今のまま君たちで良いからそのまま大きくなって欲しい。多くの君たちとの出会いに感謝する。心から有難うと言いたい。これからは、君たちはベトナムの希望の星となって輝くのだ。」
カラー約40点。
楠瀬 彰彦(クスノセ アキヒコ)
1935年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。定年後写真活動を開始。全日本写真展、朝日写真展、JPS展、二科展、視点、ニッコールフォトコンテスト、東京都写真展他入賞多数。ニッコールクラブ会員。全日本写真連盟(築地クラブ)会員。
写真展に、2009年「天空の棚田・暮らす人々」(コニカミノルタプラザ)、12年「Venezia ある日ある時」(ギャラリー・キタムラ)のほか、グループ展06年、07年、10年「エモーション」、13年「エモーション2」などがある。
作者は芸術家の赤瀬川原平氏を中心に結成された路上観察学会が「トマソン」と呼んでいたものに興味があった。
トマソンとは都市の中で自然発生的に生まれた「建築物に付着し美しく保存されている無用の長物」のこととされている。
誰が作った訳でもない観察者によって初めて発見されるトマソンを記録するのにはカメラが不可欠だった。作者もカメラ片手に、まるでトマソン探知機にでもなったかのように路上を歩くと、たくさんのそれらしきものに出会うことができた。
面白いと思った対象にシャッターを切る。それらは表現を目的としたものというよりは、記録、採集と呼ぶに近い行為であったが、同時にトマソン的になるものを発見した際、作者自身に感情的な動きが生じたことも確かだった。
これはかなり写真的な行為で、その気持ちのざわめきを求めることは、作者が写真を撮る動機のかなり根源に近いところにあるものだ。そしてその気持ちのざわめきは決してトマソンという物体を発見した時だけに限らなかった。それから作者は「はっ!」とした時は自分の体に任せてシャッターを切ることにした。カラー31点。
河田 幸大(カワタ ユキヒロ)
1987年生まれ。夜の写真学校第24期修了。