写真展内容
2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故は、甚大な被曝被害を今もなおもたらし続けている。過去の世界の原発事故、スリーマイル島(1979年)、チェルノブイリ(1986年)に比類する事故であり、ヒロシマ、ナガサキの被曝国日本が被曝の加害者の立場にもなってしまった事故であるという認識をしなければならない重大な状況が発生しているのである。
この事故は未だ終息をみたわけではなく進行中であり、広域にわたる高濃度な放射能汚染によって、汚染地域の人々の生命の危機、長期にわたる避難、それに伴って産業機構の崩壊、家族の崩壊、そして地域社会の破壊へと進行している。今後、永年の後に遺伝子学的障害も予測される事態が進行している。また、さらに地球規模の汚染が進行する可能性も大きい事故である。
このような放射能汚染事故は、巨視的に見ると自然と科学、言い換えれば自然と人間が調和してきた関係を一方的に人間側から放棄せざるを得ない文明史的破壊といえるカタストロフィー(catastrophe)である。
上記の認識から、本展は、我々が失った(放棄せざるを得なかった)モノの大きさを福島の四季の移ろう風景を記録することで、あらためて知覚、認識したという試みである。
福島の風景には、新緑、さくら、入道雲、紅葉、雪、……がある。まさに、日本の典型の景観が展開している。その風景は、日本人の誰もが親しんでいる自然と類似している。そのような風景を、自分自身が身近に体感している風景と同一性を発見することで「フクシマ」が他人事でなく自分自身の悲劇、大仰には現代文明を享受している我々が冒した誤謬として捉えられるべきものであるという変識化を促す表現をめざした表現である。
撮影時期:2011年6月~2013年11月(以降も予定)
撮影場所:福島第一原子力発電所から10~40㎞
(主に計画的避難区域、帰宅困難区域、住宅制限区域、避難指示解除準備区域等の国道339号、6号、県道114号、288号等の道沿、及び側道、林道などが中心。広野町、楢葉町、富岡町、浪江町、川内村、田村市、葛尾村、飯舘町、いわき市、南相馬市、川俣市、福島市など)
カラー約35点。
作者のプロフィール
土田 ヒロミ(ツチダ ヒロミ)
1939年福井生まれ、福井大学時代に写真を撮り出す。
71年本格的に写真作家を目指しフリーランサーに。
「自閉空間」で第8回太陽賞受賞。
68~75年、日本の土俗性へ視線をむけ76年「俗神」出版。評価を得てニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、ポンピドーセンター(パリ)などの海外で発表続く。
その後、次第に都市へ関心が移り、群衆を対象に「砂を数える」(75年、83年個展)。
原爆に対峙して75年から現在まで「ヒロシマ1945~1979」(伊奈信男賞受賞)、「ヒロシマ モニュメント」、「ヒロシマ コレクション」など発表、今も継続してヒロシマの取材活動をしている。
95年頃より銀塩フイルムからスキャニングによりデジタルデータへ変容し作品化が始まる。
「The Berlin Wall」(99年個展)、「新・砂を数える」(02年個展)、「Fake Scape」(02年個展)。
2005年からイスラエル取材開始。
「土田ヒロミのニッポン」(07年東京都写真美術館企画展)。
同展で09年に第27回土門拳賞受賞。
09年「The Berlin Wall」の再度のベルリン取材。
11年6月より、「フクシマ」取材開始
主な作品収蔵美術館:ニューヨーク現代美術館/サンフランシスコ現代美術館/ポンピドーセンター/パリ国立図書館/ヨーロッパ写真センター/カナダ国立美術館/東京都写真美術館/東京近代美術館/ 川崎市民ミュージアム