大阪ニコンサロン 2014年1月
写真展内容
グローバル化の進展に伴い、世界はますます近接し、複雑かつ密接に繋がっている。しかし、現実にはモノの生産、加工から流通、消費に至るサプライチェーンの具体的な現場は、私たちからより遠く、見えにくいものとなっている。
本作品は、アジア、アフリカ各国の鉱山、製造工場、リサイクル業者等と交渉し、その風景を捉えた記録の一部であり、このような写真を通して、社会構造の一端を可視化することをその目的としている。A.ザンダーの作品のような、正確な記録の積み重ねとそこに立ち上がる美が作者にとっての写真であり、それは写真の本質に向きあう作業だと考えている。
このプロジェクトは継続中だが、帰結はない。被写体に寄り添うストーリーも、作者から鑑賞者に投げかけるメッセージもない。なぜなら、作者自身のイマジネーションなどは取るに足らないものであり、対象を正面から記録し続けることこそ、この撮影の最大の意味があると考えるからである。カラー約40点。
授賞理由
第38回伊奈信男賞は、鈴木吼五郎氏の「鉱山、プランテーション、縫製工場」に決定した。この度の伊奈信男賞の特徴は何より、これまで作品発表経験の無かった写真家が受賞したことである。これは、私たち選考委員の判断が実践的な場面で厳しく問われるという事態でもあった。さらにまた、鈴木氏の他にも優れた候補作品が複数あり、決定に至るまでには長時間の検討が必要とされた。
鈴木吼五郎氏の「鉱山、プランテーション、縫製工場」は、そのタイトルが示唆するように、サプラ
イチェーンの見えにくい場所に現れた光景である。作者は展示ステートメントで「このような写真を通して、社会構造の一端を可視化することをその目的としている。」と語っているが、その早急な結果は容易には得難いかもしれない。しかし、「被写体に寄り添うストーリー」や「作者自身のメッセージ」、つまり事前に鑑賞者に臆見を抱かせる要素を添付しない写真展示は、イメージが持つさまざまな細部を際立たせ、遠く迂回するようであっても、むしろ彼の地や、彼の人々を想像するための極めて正当な手続きに思えた。稀に、鈴木氏の写真が美的判断に基づいているように見えたとしても、しかし、サプライチェーンの編み目に埋もれ地球規模で広がる「陰画」を、写真によって可視化で象徴的な「陽画」に変換するというこの方法は、「作者自身のイマジネーションなどは取るに足らないものである」と語る鈴木氏にとって唯一の選択肢だったのではないだろうか。完結も帰結もあり得ない困難な仕事の展開を、私たちは注視してゆく。
作者のプロフィール
鈴木 吼五郎(スズキ コウゴロウ)
1972年生まれ。カメラマンアシスタントを経て、2000年よりフリーで活動中。
写真展内容
本来そのものがあるべき位置に収まっていないものを撮り集めた作品である。
そこにあったものが写真を通じて別のものに変容することで、「自分がみている、またはみていた世界は如何様にも変わる可能性を孕んでいるのではないか」という作者の疑念はより深まる。
本展は、作者がそれらを写真に撮るという行為を通じ、その感覚を自らの身体に刻み込むことで疑念を確信へ変えようと試みたものである。カラー約30点。
授賞理由
藤原氏の表現は実に奔放、大胆で、未完にも見える色彩やフレーミングは新人にふさわしい新鮮さに満ちている。
標準的な撮影技法を意識的に無視し、いやむしろ従来の写真表現を破壊したいという強い意志すら感じられる。その力強い意志と行動力に今後の大きな期待値を込めての評価となった。
スナップショットという手法は、カメラが切り撮ってくるイメージが肉眼の視覚認識を超えた異形と
して現われることがある。この作品「ホログラム」は、写されたものが日常と乖離するイメージとして現われたとき、日常の視覚認識それ自身を疑ってみようとする作業のようだ。このような体験は写真を始めて間のない初期に発見することが多くあるものだが、藤原氏はその偶発的に現われた原初的な体験を継続的に現われるようにするためにノーファインダー的な身体的行為を重視している。そこで生まれる写真が虚構のように感じられるのであろう。現実と虚像が浸透し合うレーザー光によるホログラム。それをタイトルとしていることからも、今見つめている事実らしきものから皮相を剥ぎ取り隠された異相を発見したいと願っているのであろう。異相の存在はさておき、このような果敢な挑戦の先が期待できる新人である。
作者のプロフィール
藤原 香織(フジワラ カオリ)
1981年千葉県生まれ。
写真展に、2013年「ホログラム」(新宿ニコンサロンJuna21、大阪ニコンサロンJuna21)がある。
写真展内容
都心から近く、動植物が豊かな営みを続けている高尾山は、昔から遠足やハイキングコースとして都民に親しまれてきたところである。しかも真言宗智山派三大本山の1つ薬王院有喜寺があり、代々信仰の対象としての山という側面もある。
高尾山は西暦744年(天平16年)聖武天皇の勅命により東国鎮護のため、高僧行基菩薩が関東に派遣され、開山されたと伝えられている。その後真言宗の寺が建てられ、戦国の世には北条氏に、江戸時代には徳川幕府によりその山林は守られて、明治以降も国有林として開発が行われずにきた。その後明治100年を記念して大阪府箕面と共に、「明治の森高尾国定公園」として指定された。
現在高尾山はこれまで守られてきた豊かな自然により、毎年多くの観光客やハイカーが訪れている。しかしこの山は、東国鎮護のために開山されたと言い伝えられていることを忘れてはいけない。これから私たちは、もっと敬拝敬虔な気持ちをもってこの山に接する必要があるのではないだろうか。
2011年、東北地方で大きな自然災害があった。この山がいつまでも関東の安寧を見守ってくれることを祈るばかりである。 モノクロ40点。
作者のプロフィール
平林 達也(ヒラバヤシ タツヤ)
1961年東京生まれ。84年東海大学卒業。同年㈱ドイ入社。92年ヒューストン・フォトフェスト視察。2003年㈲フォトグラファーズラボラトリー設立。
主な写真展に、98年「成長の代価」、01年「東京メモリー」(以上渋谷ドイフォトプラザ)などがあり、写真集に、10年『成長の代価』(写真工業出版社)がある。