Nikon Imaging
Japan
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大阪ニコンサロン 2013年11月

原 芳市写真展

写真
常世の虫
10/31 (木) ~11/6 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

645年は大化改新の年。その前年に起きた日本史上初の宗教弾圧事件が「常世の虫」である。
日本書紀によると、現在の静岡県に大(おお)生(う)部(べの)多(おお)という男がいて、アゲハチョウの幼虫を奉り、拝み踊れば富と長寿が得られると吹聴すると、人々に愛され、急速に勢力を増していったという。「常世の虫」を奉る教団を危惧した葛野の秦(はたの)河(かわ)勝(かつ)は、それを鎮圧した。
作者はこの事件を不思議な思いで読み、「その長さ四寸余、その大きさ頭指許の如し。その色、緑にして、黒点あり。その顔、全養蚕に似たり…」という虫に魅了された。
15年もの長い間、その虫は作者の頭の中で生き、夏になると、その虫が蠢いて語るという。そして虫たちの夏を過ごすのである。モノクロ60点。

作者のプロフィール

原 芳市(ハラ ヨシイチ)
1948年東京生まれ。72年千代田デザイン写真専門学院中退。
写真展に、73年「東北残像」(銀座キヤノンサロン)、80年「ストリッパー図鑑」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、81年三人展「幟の遠景」(新宿ニコンサロン)、83年「淑女録」(新宿ミノルタスペース)、86年「曼陀羅図鑑」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、87年「曼陀羅図鑑Ⅱ」(ギャラリーK/福島)、93年「エロスの刻印」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、2002年「現の闇」(銀座ニコンサロン)、08年「現の闇Ⅱ」(ギャラリー蒼穹舎/東京・新宿)、09年三人展「幻の街」(サード・ディストリクトギャラリー/東京・新宿)、「幻の刻」(ギャラリー蒼穹舎/東京・新宿)、「常世の虫」(サード・ディストリクトギャラリー/東京・新宿)、10年「光あるうちにⅠ」(同)、11年「光あるうちにⅡ」(東塔堂/東京・渋谷)、「光あるうちにⅢ」(バン・フォト・ギャラリー/名古屋)、12年「光あるうちに」(銀座ニコンサロン)、12年「hy」(プレイスM/東京・新宿)、「常世の虫Ⅱ」(サード・ディストリクトギャラリー/東京・新宿)などがあり、著書に『風媒花』『ぼくのジプシー・ローズ』『ストリッパー図鑑』『淑女録』『曼陀羅図鑑』『影山莉菜伝説』『ストリップのある街』『ザ・ストリッパー』『現の闇』『光あるうちに』などがある。

瀬戸 正人写真展

写真
Cesium/Cs-137
11/7 (木) ~11/13 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

あの日、35㎏のセシウムが地球上に放出され、そのほとんどが福島県内に降り注いだ。チェルノブイリの半分の量だ。
放射性物質としてのセシウムは科学的にわかっている。しかし、本当の正体、自然や人体に対する影響はよくわかっていない。

福島の人たちは、このセシウムを雪になぞらえて眺めている。線量が高いホットスポットが、道端に残る雪のようだと言う。
作者は、福島の山や森に分け入って、眼に見えないこのやっかいなセシウムを写真に写そうと試みている。
あくまでこれはそのイメージに過ぎないが、そこかしこにへばり付いているであろうセシウムを写真として可視化したいと思っている。
思いのほか、福島の自然がこんなにも美しく、美しいゆえに切ない。見てはならないモノを見てしまったという思いもある。

関係者以外、向こう30年は立ち入ることのできない福島第一原発の敷地内に立った時、すぐそこの波打ち際から水平線まで、太平洋は何もなかったかのように青々とうねっていた。モノクロ20点。

作者のプロフィール

瀬戸 正人(セト マサト)
1953年タイ国ウドーンタニ市生まれ。74年現在の東京ビジュアル・アーツで森山大道氏に出会い、写真作家を志す。78年写真学校を卒業後、そのまま森山大道・写真塾に参加。79年深瀬昌久氏の助手となる。87年ギャラリー「PLLACE M」を開設。88年写真集「バンコク・ハノイ」で日本写真協会新人賞受賞。96年写真集「部屋」「silent mode」で第21回木村伊兵衛賞受賞。99年エッセイ集「トオイと正人」で第12回新潮学芸賞を受賞。2007年写真集「binran」で日本写真協会年度賞受賞。
写真展に、83年初個展「バンコク1983」(銀座ニコンサロン)、以後多数開催。

juna21 青木 秀平写真展

写真
forest park
11/14 (木) ~11/20 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

静寂が体を包む。
深い深い緑の中に体が沈んでいく。
今にも鳥の声や川の音、滝の音が聞こえてきそうだ。

私は森の中にいる。

いつもの習慣でiPadに電源を入れ
タバコに火をつける。
森でタバコを吸うなど犯罪だ。
しかし、この行為は犯罪にならない。

ここは東京都内の公園だ。しっかりと管理しされていて
もちろん喫煙所もある。
そこで私はカメラを組み立て、三脚に載せ
撮影の準備をする。

私は人間が苦手だ。
この撮影を始めてから悩まされたのは
人のしゃべり声だ。

だからiPodで音楽を聴く。

外の音を遮断し、自分の世界に入っていく。
緑と木漏れ日に包まれた世界だ。

私は三脚とカメラを担いで
公園の奥へと向かって行く。
進めば進むほど人はまばらになる。

人が全くいなくなると耳からイヤホンを外す。
しかし、新たな曲が聞こえる。
それは英国の作曲家 Brian Eno が提唱した
環境音楽(ambient)だ。

木漏れ日を見ながらまた、緑のグラデーションを感じながら
静寂な曲を感じる。
そこにはピアノもギターも何も無いが
この自然が感じさせてくれる。
繊細なテンポで美しいメロディーを奏でる。

私は写真を残すことで
視覚的にこの美しいメロディーを感じて欲しいと思った。

そして東京にもまだ美しいものがあると
知ってほしいのだ。
カラー28点。

作者のプロフィール

青木 秀平(アオキ シュウヘイ)
1989年生まれ。埼玉県出身。2012年日本写真芸術専門学校卒業。同年より日本カメラ財団菊池東太写真塾を受講。

juna21 林 典子写真展

写真
キルギスの誘拐結婚
11/21 (木) ~11/27 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

中央アジアの小さな国キルギスでは、キルギス人の既婚女性の約4割が男に誘拐され、結婚させられているといわれている。キルギス語で「Ala Kachuu」(奪い去る)と言われ、女性たちの約85%は何時間、何日間もの抵抗の後に、結婚を受け入れる。
誘拐されると、女性たちは誘拐した男の家に連れていかれ、男の親族の女性たちに説得され続ける。さらにキルギスの村社会で敬われている高齢の女性たちにも説得される。一度男性の家に入ると、純潔ではないと見なされ、実家の家族に恥をさらしてしまうという理由で結婚を受け入れる女性たちが多い。
1994年に制定された法律によって誘拐結婚は禁止されているが、誘拐で結婚した女性たちの中には、もちろん幸せな夫婦生活を送る女性が多くいる一方で、離婚や自殺に追い込まれる女性たちもいる。
作者は2012年7月から11月までの4カ月間、キルギスの村々を訪れ、これまでに誘拐で結婚をした10代から80代の夫婦を撮影した。
本展では、誘拐直後から結婚式、新婚生活までの2週間を、生活をともにしながら撮影した大学生ディナラや、誘拐後に兄に救助され、実家に帰っていった20歳の学生ファリーダ、誘拐され、嫁いだばかりの若い女性などの写真を展示する。カラー30点。

作者のプロフィール

林 典子(ハヤシ ノリコ)
1983年生まれ。パノス・ピクチャーズ(イギリス)所属。大学生の時に、西アフリカガンビア共和国新聞社「The Point」紙で写真を始める。現在社会問題や女性の人権問題などを中心にドキュメンタリー作品を撮影しており、2010年タイ外国人記者クラブ写真賞、11年名取洋之助写真賞、12年DAYS国際フォトジャーナリズム大賞1位、13年同賞3位をそれぞれ受賞。作品は、清里フォトアートミュージアムに収蔵されている。
主な写真展に、「リベリア内戦の爪痕に生きる」(シリウスフォトギャラリー)、「パキスタン 硫酸に焼かれた女性たち」(Juna21新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)などがある。

秋田 淳之助遺作展

写真
原霊樹 奄美のガジュマル
11/28 (木) ~12/4 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者は美術展写真作品の審査のために奄美大島を訪れるようになり、どうしても気にかかっていたガジュマルの風景に出会った。
3年後、ブローニーカメラにて撮影を開始したが、どうしても表現し切れない。悩んだ末、8×10での撮影を決心し、足かけ3年がかりで奄美大島のガジュマルの樹に挑戦した。
数百年の樹齢をどう撮るか、又どう表現するか、作者は大いに苦しんだという。
実物には到底かなわないが、作者自身が感じたイメージを表現した作品である。

作者のプロフィール

秋田 淳之助(アキタ ジュンノスケ)
1938年愛知県尾張旭市出身。62年愛知学芸大学(現愛知教育大学)美術科(デザイン専攻)卒業。64年東京綜合写真専門学校卒業。68年スタジオGT設立、代表となる。70年より東京綜合写真専門学校講師(10年間)。71年より愛知教育大学講師(29年間)。89年より日本写真学園講師(3年間)。92年武蔵野美術大学講師。2003年より名古屋造形大学講師(6年間)。08年NHK文化センター講師。09年病没。87年第22回APA(日本広告写真家協会)展全国実行委員長。92年日本広告写真家協会理事・副会長就任。09年日本広告写真家協会功労賞・功労会員。日本写真家協会会員。
〈太陽〉〈光画シリーズ〉〈気になる風景〉〈夢遊〉〈花貌〉等、独特の切り口とデジタルフォトワーク等の表現で写真展をコダックフォトサロン、コニカフォトサロン、国際デザインセンター、セントラルギャラリー等で23回開催。09年オリンパスギャラリーで開催した夫人(秋田好恵)との2人展が生前最後の展覧会となる。昨年(12年)秋田淳之助・好恵2人展「燁焔」(みゆき画廊)開催。その他団体・グループ展多数参加出品。

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