Nikon Imaging
Japan
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ニコンサロン bis 新宿 2013年11月

juna21 長崎 健一写真展

写真
沖縄 宮古島~西原~ニヌハンマティダ
10/29 (火) ~11/4 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

宮古島の北部に位置する池間島よりおおよそ140年前に分村してできた西原は、作者の故郷でもある。
宮古島は、昔から、古代から続く母性原理が色濃く残る祭祀の特有さから、民俗学者、芸術家、写真家など、さまざまな人間を魅きつけてきた。しかし、その母性原理が色濃く残る祭祀も、近年消えつつあるのが現状だ。
西原にも、ナナムイと呼ばれる祭祀組織が存在するが、近年ナナムイも存続の危機にある。それもこれも、明らかに世の中の暮らしの変化ゆえである。日常と密着してきた祭祀だからこそ、その意義を現代では見出すのが難しくなっているのが事実だ。
しかし、作者は故郷西原の祭祀をノスタルジーとして懐古追慕するのではなく、古代から綿々と受け継がれてきた世界観が現代の西原でどう根付いているのか、現代の中で祭祀とは、人が生きるとは、それらのことを考えて、自己の自我に落とし込むように向き合ってきた。西原には現代においても、日常と非日常が織りなす祭祀の本流を生み出す土壌が、人々のメンタリティーに備わっている。
西原の元島である池間島にあるニヌハンマティダの北極星神話。
変わっていくものと変わらないもの、現代の西原にむけて、この神話は何を語るのか。
モノクロ約30点。

作者のプロフィール

長崎 健一(ナガサキ ケンイチ)
1982年沖縄県宮古島生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。大学でおもに人類学を学ぶ。2008年より故郷宮古島西原の祭祀の撮影を開始。10年多摩美術大学芸術人類学研究所を拠点に、自然にたいする畏怖をコンセプトとした植樹活動をおこなう「くくのちのモリプロジェクト」を立ち上げる。現在、世界中からさまざまなアイデンティティが交差する場所(極真会館総本部)をテーマとした極真空手家のポートレート写真も撮影している。

ニッコールクラブ やえす・しゃらく支部写真展

写真
四季との出逢い
11/5 (火) ~11/11 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

本展のキーワードは「写真は楽しい!」である。
温帯地方に位置する日本の四季は明瞭で、春は桜を代表とする花木たちが残雪の山を背景に咲き誇り、その景観は息をのむような美しさである。また、足元の公園にもカラフルな花木たちが咲き乱れている。
夏は青空を背景に、高原を吹き渡る風に涼しさを感じ、秋は寒い冬を迎える前のひと時、木々たちの彩りが最も映える。冬、しんしんと音もなく降り積もる雪は、神秘性すら感じさせる。
このような風景はいつまで残っているかわからない。写真は記録ともいわれるが、季節ごとに趣を変える自然風景に魅せられて、支部員たちがカメラ片手に撮影行で出逢った、いつまでも残しておきたい風景を、「楽しみながら」捉えた記録を展示する。カラー52点。

グループのプロフィール

<ニッコールクラブ やえす・しゃらく支部>
ニコン塾やニコンカレッジを受講した有志(34名)が集まって2009年(平成21年)9月に発足。隔月ごとに撮影会・例会を繰り返し開催し、会員たちの技術向上を図っている。また、年に1回日ごろの写真技術の向上と懇親を兼ねて、宿泊ツアーも実施している。
11年(平成24年)3月、会員たちの発案で、第1回支部展の写真展を新宿・INSTANCEで開催している。

小川 照夫写真展

写真
伝承・イノーノシバヤ
11/12 (火) ~11/18 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

「農村歌舞伎」は近世から昭和初期頃まで、日本各地の村々で熱狂した最大の娯楽の一つであった。千葉県下にも30ヶ所をこえる地域で、村人たちによる歌舞伎が上演されていた。
なかでも伊能歌舞伎は「イノーノシバヤ(伊能の芝居)」と呼ばれ、大須賀神社の春の例大祭に、奉納芝居として早くから上演されていた。伊能4地区の農家の若者達が運営から役者まで勤めていた。
戦争中も途絶えることなかった伊能歌舞伎も、昭和30年代の高度成長期を過ぎると、時代の流れによって歌舞伎から離れ、昭和40年を最後に中断した。
しかし近年、地域の文化が見直される中で、かつての役者を中心に伊能歌舞伎保存会が結成され、平成11年(1999年)旗揚げ公演以来、日々稽古を重ね20数演目をこなすまでになった。しかも最近は子供が加わり、歌舞伎座の新築で歌舞伎人気が上がる中、覚えてはすぐ忘れる高齢者、ジイジは悪戦苦闘中である。モノクロ50点。

作者のプロフィール

小川 照夫(オガワ テルオ)
1939年岐阜県羽島市生まれ。小学6年の時、父親の暗室で初めて現像を経験。その感動に打たれて写真を始め、その後独学で学び、現在に至る。72年「日本カメラ」年度賞。73年「日本カメラ」「フォトアート」年度賞・招待作家。2004年(財)国際文化カレッジ「フォトマスターEX」認定。写団「玄」主宰(1989~2009)、日本写真作家協会会員(1993~2009)。写団モノクロ主宰。ニッコールクラブ千葉支部所属。ペンタックスファミリー。
主な写真展に、74年「青春」(大坂サンフォトギャラリー)、77年「縁日の人々」、86年「両国相撲村」(以上、新宿ニコンサロン)、2002年「千葉の風」(柏の葉公園ギャラリー、千葉市民ギャラリーいなげ)、05年「迥眺窓景」(銀座ニコンサロン)、06年「奇跡の生還」(千葉市民ギャラリーいなげ)、07年「電車にみる都市風景」(5人展)、09年「房総を駆け抜けるSL」(こみなと稲毛ギャラリー)、10年「フィバー2」(ペンタックスフォーラム)、11年「メッセージ」(ニコンサロンbis新宿・ニコンサロンbis大阪)、13年「大荒行成満の僧」(ペンタックスフォーラム)などがあり、写真集に『迥眺風景』(文芸社刊)がある。

juna21 後藤 悠樹写真展

写真
降りしきる雪、その一片が人を満たすとき
あれから三年 -MOMEHT-
11/19 (火) ~11/25 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

北緯50度以南の南サハリンは、1905年から1945年までは日本だった。
この地は現在、統治国家が不確定な空白の土地とされ、歴史の教科書にも数行しか記載されておらず、また、戦後サハリンに残留せざるを得なかった人たちの存在もほとんど知られていない。
作者はその歴史の数行の間に生きる人たちを、国家や歴史といった大きな目線ではなく、一人の日本人としてこの目に焼き付けたいと思い、2006年、初めてサハリンを訪れた。
滞在中は、一緒に食事をしながら、涙が出るまでゲラゲラ笑ったこともあったし、目の前で突然、作者の祖母ほどの歳のおばあさんが泣き出したこともあった。そこには、作者の想像など及ばない深い悲しみと生活の明るさがあった。そんな彼女らに、作者が出来ることはほとんど何も無く、世話になるばかりだったが、彼女たちのちょっとした話し相手くらいにはなれたと思っている。
本展は、作者が再びサハリンに滞在した2013年冬における、ほんの短いひと月の、写真と文章の記録である。カラー約35点。

作者のプロフィール

後藤 悠樹(ゴトウ ハルキ)
1985年大阪生まれ。2006年よりライフワークとしてサハリンの撮影を開始する。以後、現在に至るまで定期的に滞在する。
主な写真展に、10年「その歴史のつづき 樺太からサハリンへ2009」(Juna21 新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、11年「降りしきる雪、その一片が人を満たすまで」(新さっぽろギャラリー)、13年OYOYO まち×アートセンターさっぽろ企画展「~史」展への参加などがある。

大島 幸光写真展

写真
エベレスト街道傘寿の旅
11/26 (火) ~12/2 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作者は80歳になったらヒマラヤに行きたいと友人の山岳写真家内田良平氏に頼んでおいた。
80歳になった時、旅行会社から「内田良平写真教室」と銘うった旅行案内が来て、作者は参加することにした。参加者は6名、平均年齢71歳。
現地ルクラ(2,800メートル)から、サーダ、コック、ポーター10名加えて総勢16名に、荷物運搬のヤク5頭でカラパタール(5,550メートル)を目指して出発した。
初めて見る雪山のスケールの大きさに圧倒され、途中立ち寄ったチュクン(4,800メートル)では午後から雪が降り、それも朝までには止んで、一面の銀世界が朝日に輝いていた。今までの労苦に対して、山が報いてくれた最高の贈り物だと感謝した。
その夜、作者は今まで経験したことのない胸の異常を感じた。その時はあと700メートル登ればカラパタールと思ったが、これ以上無理をすれば仲間に迷惑をかけることになると考え、下山を決意した。ヘリコプターでカトマンズに下り、入院すると肺水腫だと分かった。モノクロ46点。

作者のプロフィール

大島 幸光(オオシマ ユキミツ)
1930年生まれ。ニッコールクラブ所属。横浜無名会所属。ベルニナ山岳会所属。

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