小須田 望写真展
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closed square
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8/1 (木)
~8/7 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
都市部の再開発によって新たにつくられた場所には、海外の様式を取り入れた、広場的な空間が設けられている。海外と違うのは、広場を形づくる町並みや景観、そして人びとがそれぞれ独立した存在として見えるということである。
本来広場は人びとが集まり、コミュニケーションを取る場所であり、放射状に伸びた街路はどこを辿っても広場に行き着くようにつくられている。人びとは広場へと向かい、集会をしたり、他者と交流する場として活用してきた。
作者が見た広場は、人々の関心はそこにはなく、そこから伸びている道の先にあって、人びとはその空間を通り過ぎるために使っている。あるいは待ち合わせの場所や、食事をする場所としてあとから用意されたもののように思われる。
それぞれの時間コミュニティーの中で、偶然そこに居合わせた人びと。他者との距離を無意識に保ちながらも、行き交う人びとが、広場の中で拡散されるわずかな時間。その光景を眺めていると広場と人は、完成された都市空間として作者の前に立ち現れる。モノクロ約20点。
作者のプロフィール
小須田 望(コスダ ノゾミ)
1986年長野県生まれ。2008年日本写真芸術専門学校卒業。10年同校研究科卒業。
下瀬 信雄写真展
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つきをゆびさす
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8/8 (木)
~8/21 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
休館:8月17日(土)・18日(日)
写真展内容
指(し)月(がつ)は仏教用語で、仏教の教えを指にたとえ、法(教え)を月にたとえていう。月を指し示すのに、その指先しか見ないと月を失う。という故事に由来する。
作者の育った萩には指(し)月(づき)公園という城跡があり、子供の頃からよく遊びに行った。その重箱読みの名前の由来を知ったのはずいぶん後のことだ。
萩城は別名「指(し)月(づき)山(やま)城」とも呼ばれ、倒幕後、その地には志(し)都(づ)岐(き)山(やま)神社が建立され、城跡は公園になった。「指月山」も「志都岐山」も当て字だが、もちろん歴史と意味がある。
写真はその場の現実しか写せない。事実である分リアリティーがあり、インパクトもあるが、指し示す「真実」とはほど遠い。
作者は言う。自分に「指し示す真実が見えるか」と言うと、そんなことはなく、写す対象も小さな出来事だけである。
写真一枚一枚に思い入れがあり、物語があり、当て字のような仕掛けがあろうとも、真実の方向を向いているのかも疑わしい。そもそも、その物語でさえごく個人的なことばかりである。でも小さな虫達への興味も、雑事の合間の人々との触れ合いも、光りの中に浮かび上がる風景も、多分等価に真の何かを指し示しているように思うという。
これらは脈絡がないように見えて、一つのもの、日常を集めて浮かび上がるエッセイのようなもの。そして写真でしか表せない表現。作者はそれらを集めて一望してみようと思った。なぜなら、なによりそんな写真を作っていく行為が、作者自身を形作ってきてくれて、考え方や生き方と無縁ではありえないように思うからだ。モノクロ50点。
作者のプロフィール
下瀬 信雄(シモセ ノブオ)
1944年満州国新京市生まれ。67年東京綜合写真専門学校卒業。以後萩市を拠点に作品を発表。80年杉道助記念萩市芸術文化奨励賞。88年山口県芸術文化振興奨励賞。90年日本写真協会新人賞。98年山口県文化功労賞。2004年山口県選奨。05年伊奈信男賞。09年第63回山口県美術展覧会大賞を受賞。
写真展に、77年「萩」をはじめ、現在まで「風の中の日々」「凪のとき」「結界」シリーズを銀座ニコンサロン・新宿ニコンサロンなどで開催。今回が15回目の開催となる。また、写真集に『萩の日々』(講談社)などがある。作品はプリンストン大学などにコレクションされている。
村上 誠写真展
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水迎え <南島の“死”の光景>
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8/22 (木)
~8/28 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
ニコライ・ネフスキーは、1926年に初めて宮古島で、この島の“水”の物語と出会う。変若水と死水の伝説である。
太陽と月は、何度でも生き返ることのできる変若水と死が運命づけられている死水を、遣いであるアカリヤザガマに持たせ、変若水を人間に浴びせ、蛇に死水を浴びせよと命じた。ところが旅に疲れたアカリヤザガマが休んでいる隙に蛇が現れ、先に変若水を浴びてしまった。困ったアカリヤザガマは、しかたなく人間に死水を浴びせてしまう。
作者は、多良間島のナガシガーと呼ばれるウリガー(降井泉)に降りていった時、宮古諸島をいくら歩いても肝心なものが見えてこなかったわけが、少しわかったような気がした。それは、南島の物語が島の地表で生起するのではなく、水の流れる足元、地面の下の方で紡ぎ出されていたからだった。
人間の生活になくてはならないものは、水。宮古諸島にたどり着いた人々も例外なく、まず水を探すことから始まった。崖下の泉、自然の洞窟内の水、凹地の湿地帯の溜まり水など水は、人々の命をつなぐ大事な水であった。しかしその“水”には、最初から“死”の影が付置されていた。カラー16点。
作者のプロフィール
村上 誠(ムラカミ マコト)
1954年静岡県生まれ。74年より写真を発表。77年立命館大学卒業。85年より美術家として活動を始める。88年より美術制作プロジェクト『天地(あまつち)耕作』を組織し、国内外でインスタレーションを発表、パフォーマンスを行う。2003年『天地耕作』を解散し、写真による制作を再開。現在常葉大学健康プロデュース学部こども健康学科教授(専門は美術、保育空間学)。
写真展に、06年「産土」(新宿ニコンサロン)、「産土・Ⅱ(南島)」(甲南大学ギャルリー・パンセ)、09年「東野」(新宿ニコンサロン)、「水の道」(名古屋大学ギャラリー[clas])、11年「遠海原」(静岡文化芸術大学ギャラリー)、12年「水の道・Ⅱ」(名古屋市都市センター)、13年「対域」(インスタレーション:ギャラリーCAVE)などがある。
青島 千恵子写真展
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シリーズ〔光る音Ⅵ〕 New York・彷徨
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8/29 (木)
~9/4 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
本展は、作者が十数年来各地(日本、台湾、タイ、デリー、ローマ)を巡り歩き、同じテーマで撮影しているシリーズ「光る音」の第6弾で、今回はニューヨーク(アメリカ)である。
ニューヨークに対して作者は、想像以上に多様性に富んで、混沌とした世界であることを実感した。アメリカという国は近代につくられた新しい国家であり、それが民族毎に移民というかたちで形成されてきた歴史を考えるとき、それぞれの文化、風俗、習慣を本国以上に重んじている人々も多く、いろいろな意味でその多様性をニューヨークでも垣間見ることが出来たという。
2010―12年の3年間にわたってニューヨークに数回出掛け、9・11事件を忘れたかのように忙しなく動くこの都市に展開する日常・非日常の境目の隙間を覗き込むように撮影した。
今回の写真のコンセプトは、前回までのシリーズ「日本」「台湾」「タイ」「デリー」「ローマ」と同じく「私と公」との交差する狭間に存在する空間を捉えようとするものである。モノクロ48点。
作者のプロフィール
青島 千恵子(アオシマ チエコ)
1939年静岡県生まれ。45歳頃より写真を習い始める。98年「アサヒカメラ」月例コンテストモノクロの部年度賞1位受賞。2007年酒田市土門拳文化賞奨励賞受賞。
写真展に、94年「夢歳々」(コンタックスサロン銀座)、2000年「光る音」、03年「光る音Ⅱ 台湾」(以上銀座ニコンサロン)、04年「光る音」(Galerie Satellite/パリ)、05年「光る音Ⅲ タイ」、07年「光る音Ⅳ デリー」、09年「光る音Ⅴ ローマ」(以上新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)などがあり、写真集に「光る音」(05年刊)がある。