Nikon Imaging
Japan
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銀座ニコンサロン 2013年7月

秋田 淳之助写真展

写真
原霊樹 <奄美のガジュマル>
6/19 (水) ~7/2 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者は美術展写真作品の審査のために奄美大島を訪れるようになり、どうしても気にかかっていたガジュマルの風景に出会った。
3年後、ブローニーカメラにて撮影を開始したが、どうしても表現し切れない。悩んだ末、8×10での撮影を決心し、足かけ3年がかりで奄美大島のガジュマルの樹に挑戦した。
数百年の樹齢をどう撮るか、又どう表現するか、作者は大いに苦しんだという。
実物には到底かなわないが、作者自身が感じたイメージを表現した作品である。

作者のプロフィール

秋田 淳之助(アキタ ジュンノスケ)
1938年愛知県尾張旭市出身。62年愛知学芸大学(現愛知教育大学)美術科(デザイン専攻)卒業。64年東京綜合写真専門学校卒業。68年スタジオGT設立、代表となる。70年より東京綜合写真専門学校講師(10年間)。71年より愛知教育大学講師(29年間)。89年より日本写真学園講師(3年間)。92年武蔵野美術大学講師。2003年より名古屋造形大学講師(6年間)。08年NHK文化センター講師。09年病没。87年第22回APA(日本広告写真家協会)展全国実行委員長。92年日本広告写真家協会理事・副会長就任。09年日本広告写真家協会功労賞・功労会員。日本写真家協会会員。
〈太陽〉〈光画シリーズ〉〈気になる風景〉〈夢遊〉〈花貌〉等、独特の切り口とデジタルフォトワーク等の表現で写真展をコダックフォトサロン、コニカフォトサロン、国際デザインセンター、セントラルギャラリー等で23回開催。09年オリンパスギャラリーで開催した夫人(秋田好恵)との2人展が生前最後の展覧会となる。昨年(12年)秋田淳之助・好恵2人展「燁焔」(みゆき画廊)開催。その他団体・グループ展多数参加出品。

村上 誠写真展

写真
水迎え <南島の“死”の光景>
7/3 (水) ~7/16 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

ニコライ・ネフスキーは、1926年に初めて宮古島で、この島の“水”の物語と出会う。変若水と死水の伝説である。
太陽と月は、何度でも生き返ることのできる変若水と死が運命づけられている死水を、遣いであるアカリヤザガマに持たせ、変若水を人間に浴びせ、蛇に死水を浴びせよと命じた。ところが旅に疲れたアカリヤザガマが休んでいる隙に蛇が現れ、先に変若水を浴びてしまった。困ったアカリヤザガマは、しかたなく人間に死水を浴びせてしまう。
作者は、多良間島のナガシガーと呼ばれるウリガー(降井泉)に降りていった時、宮古諸島をいくら歩いても肝心なものが見えてこなかったわけが、少しわかったような気がした。それは、南島の物語が島の地表で生起するのではなく、水の流れる足元、地面の下の方で紡ぎ出されていたからだった。
人間の生活になくてはならないものは、水。宮古諸島にたどり着いた人々も例外なく、まず水を探すことから始まった。崖下の泉、自然の洞窟内の水、凹地の湿地帯の溜まり水など水は、人々の命をつなぐ大事な水であった。しかしその“水”には、最初から“死”の影が付置されていた。カラー16点。

作者のプロフィール

村上 誠(ムラカミ マコト)
1954年静岡県生まれ。74年より写真を発表。77年立命館大学卒業。85年より美術家として活動を始める。88年より美術制作プロジェクト『天地(あまつち)耕作』を組織し、国内外でインスタレーションを発表、パフォーマンスを行う。2003年『天地耕作』を解散し、写真による制作を再開。現在常葉大学健康プロデュース学部こども健康学科教授(専門は美術、保育空間学)。
写真展に、06年「産土」(新宿ニコンサロン)、「産土・Ⅱ(南島)」(甲南大学ギャルリー・パンセ)、09年「東野」(新宿ニコンサロン)、「水の道」(名古屋大学ギャラリー[clas])、11年「遠海原」(静岡文化芸術大学ギャラリー)、12年「水の道・Ⅱ」(名古屋市都市センター)、13年「対域」(インスタレーション:ギャラリーCAVE)などがある。

下瀬 信雄写真展

写真
つきをゆびさす
7/17 (水) ~7/30 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

指(し)月(がつ)は仏教用語で、仏教の教えを指にたとえ、法(教え)を月にたとえていう。月を指し示すのに、その指先しか見ないと月を失う。という故事に由来する。
作者の育った萩には指(し)月(づき)公園という城跡があり、子供の頃からよく遊びに行った。その重箱読みの名前の由来を知ったのはずいぶん後のことだ。
萩城は別名「指(し)月(づき)山(やま)城」とも呼ばれ、倒幕後、その地には志(し)都(づ)岐(き)山(やま)神社が建立され、城跡は公園になった。「指月山」も「志都岐山」も当て字だが、もちろん歴史と意味がある。
写真はその場の現実しか写せない。事実である分リアリティーがあり、インパクトもあるが、指し示す「真実」とはほど遠い。
作者は言う。自分に「指し示す真実が見えるか」と言うと、そんなことはなく、写す対象も小さな出来事だけである。
写真一枚一枚に思い入れがあり、物語があり、当て字のような仕掛けがあろうとも、真実の方向を向いているのかも疑わしい。そもそも、その物語でさえごく個人的なことばかりである。でも小さな虫達への興味も、雑事の合間の人々との触れ合いも、光りの中に浮かび上がる風景も、多分等価に真の何かを指し示しているように思うという。
これらは脈絡がないように見えて、一つのもの、日常を集めて浮かび上がるエッセイのようなもの。そして写真でしか表せない表現。作者はそれらを集めて一望してみようと思った。なぜなら、なによりそんな写真を作っていく行為が、作者自身を形作ってきてくれて、考え方や生き方と無縁ではありえないように思うからだ。モノクロ50点。

作者のプロフィール

下瀬 信雄(シモセ ノブオ)
1944年満州国新京市生まれ。67年東京綜合写真専門学校卒業。以後萩市を拠点に作品を発表。80年杉道助記念萩市芸術文化奨励賞。88年山口県芸術文化振興奨励賞。90年日本写真協会新人賞。98年山口県文化功労賞。2004年山口県選奨。05年伊奈信男賞。09年第63回山口県美術展覧会大賞を受賞。
写真展に、77年「萩」をはじめ、現在まで「風の中の日々」「凪のとき」「結界」シリーズを銀座ニコンサロン・新宿ニコンサロンなどで開催。今回が15回目の開催となる。また、写真集に『萩の日々』(講談社)などがある。作品はプリンストン大学などにコレクションされている。

原 芳市写真展

写真
常世の虫
7/31 (水) ~8/13 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
休館:8月10日(土)・11日(日)

写真展内容

645年は大化改新の年。その前年に起きた日本史上初の宗教弾圧事件が「常世の虫」である。
日本書紀によると、現在の静岡県に大(おお)生(う)部(べの)多(おお)という男がいて、アゲハチョウの幼虫を奉り、拝み踊れば富と長寿が得られると吹聴すると、人々に愛され、急速に勢力を増していったという。「常世の虫」を奉る教団を危惧した葛野の秦(はたの)河(かわ)勝(かつ)は、それを鎮圧した。
作者はこの事件を不思議な思いで読み、「その長さ四寸余、その大きさ頭指許の如し。その色、緑にして、黒点あり。その顔、全養蚕に似たり…」という虫に魅了された。
15年もの長い間、その虫は作者の頭の中で生き、夏になると、その虫が蠢いて語るという。そして虫たちの夏を過ごすのである。モノクロ60点。

作者のプロフィール

原 芳市(ハラ ヨシイチ)
1948年東京生まれ。72年千代田デザイン写真専門学院中退。
写真展に、73年「東北残像」(銀座キヤノンサロン)、80年「ストリッパー図鑑」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、81年三人展「幟の遠景」(新宿ニコンサロン)、83年「淑女録」(新宿ミノルタスペース)、86年「曼陀羅図鑑」(新宿ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、87年「曼陀羅図鑑Ⅱ」(ギャラリーK/福島)、93年「エロスの刻印」(銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン)、2002年「現の闇」(銀座ニコンサロン)、08年「現の闇Ⅱ」(ギャラリー蒼穹舎/東京・新宿)、09年三人展「幻の街」(サード・ディストリクトギャラリー/東京・新宿)、「幻の刻」(ギャラリー蒼穹舎/東京・新宿)、「常世の虫」(サード・ディストリクトギャラリー/東京・新宿)、10年「光あるうちにⅠ」(同)、11年「光あるうちにⅡ」(東塔堂/東京・渋谷)、「光あるうちにⅢ」(バン・フォト・ギャラリー/名古屋)、12年「光あるうちに」(銀座ニコンサロン)、12年「hy」(プレイスM/東京・新宿)、「常世の虫Ⅱ」(サード・ディストリクトギャラリー/東京・新宿)などがあり、著書に『風媒花』『ぼくのジプシー・ローズ』『ストリッパー図鑑』『淑女録』『曼陀羅図鑑』『影山莉菜伝説』『ストリップのある街』『ザ・ストリッパー』『現の闇』『光あるうちに』などがある。

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