大阪写真月間2013
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写真家150人の一坪展
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5/30 (木)
~6/5 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
写真文化の発展と普及に寄与することを目的に、毎年6月1日の「写真の日」を中心とした期間に東京と大阪で開催されるのが「写真月間」である。
「大阪写真月間」は2000年の暮れに「東京写真月間」(日本写真協会主催)の呼びかけに応じてスタートし、02年6月に初めて「大阪写真月間2002」を開催した。
今年の「大阪写真月間2013」は12年目となり、本年も大阪市内のギャラリーを使い、写真家約150人が1人一坪(1.8m四方)を使って展示する「写真家150人の一坪展」と、一般の写真愛好家1000人が1人一枚を展示する「私のこの一枚・1000人の写真展」の二つの写真展のほか、高校生による「ハイスクール・フォトアワード」、「小学生のための写真教室」、記念シンポジウムなどを併催する。
メインイベントである本展の特色は、写真を表現手段として作品を制作している人なら、作品内容や方法はもちろんのこと、年齢、性別、国籍、職業などに関係なく参加できるところにある。また、展示するギャラリーや壁面の場所も抽選で決定するので、いっさいの審査や選別は行わない。写真展にポリシーやテーマを求める人は、この何でもありの写真展に「展としてのポリシーがない」という異論を唱えることもあるが、80歳を超える超ベテラン作品の横に、孫のような18歳がはじけるような写真を並べる、そんなお好み焼き的「ごちゃ混ぜ感」が本展の魅力である。
この「写真家150人の一坪展」では、観客は内容も方法も異なる150の写真表現作品に出会うことになり、150の個性の中に、きっと気に入る作品があるはずである。
山口 聡一郎写真展
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FRONT WINDOW
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6/6 (木)
~6/12 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
作者の生活する地域では、クルマが重要な移動手段である。そんな中で、自然と人、あるいは田舎と街との境界の風景が、クルマのフロントウインドウの向こうに近づいては後方に遠ざかる。その繰り返しの風景が、田舎に住む者の記憶に刻み込まれ、思い出となっていく。
記憶に残された風景には、忘れてしまいたい憎しみや悲しみを思い起こさせる風景もあるし、楽しかった思い出の風景もある。人は、それら全ての風景を体のどこかに隠し持ちながら生きていくしかない。
そんなことを思いながら、カメラを片手にハンドルを握り、岡山県東部の作者の生活する近辺と、ときどき出かけるなじみのある場所を撮影した作品である。カラー45点。
作者のプロフィール
山口 聡一郎(ヤマグチ ソウイチロウ)
1959年佐賀県生まれ。佐賀県立鹿島高等学校卒業。法政大学中途退学。東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。東京にてフリーランスで活動し、2002年に岡山県に移住。
写真集に、『都市回路』『EAST POINT』『SILENT RIVER』『Climate』などがある。
藤原 香織写真展
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ホログラム
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6/13 (木)
~6/19 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
本来そのものがあるべき位置に収まっていないものを撮り集めた作品である。
そこにあったものが写真を通じて別のものに変容することで、「自分がみている、またはみていた世界は如何様にも変わる可能性を孕んでいるのではないか」という作者の疑念はより深まる。
作者はそれらを写真に撮るという行為を通じ、その感覚を自らの身体に刻み込むことで疑念を確信へ変えようと試みた。
本展では、作品を通じて多様な認識の在り方を問う。カラー約30点。
作者のプロフィール
藤原 香織(フジワラ カオリ)
1981年千葉県生まれ。
齊藤 小弥太写真展
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永遠の園
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6/20 (木)
~6/26 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
抜けるような青空の下、教会の賛美歌が聞こえ、アラビア海からの優しい風が旅人を包み込む。白い砂浜が水平線の向こうまで続き、エメラルド色のバックウォーターが町を流れる。南インドを旅した人は喧噪や混沌といった、おおよそイメージする「インド」とは思えない光景を目にすることだろう。作者も初めて南インドの町、コーチンを訪れたときに、北インドとの違いに驚いた覚えがあると言う。なにより、北インドでは嫌になるほど聞いた「バクシーシ!(施しを!)」という言葉を、南インドでは全くといっていいほど聞かなかった。
それもそのはずで、ここコーチンではキリスト教徒が全体の8割を占めており、カースト制度や貧困から逃れるために、キリスト教共産主義の思想が人々の中に根強く浸透している。そのため、弱者救済のコミュニティや終末ケアのコミュニティが数多く点在していた。作者が撮影した施設もそのひとつだった。
空港からオート三輪に揺られること約40分、閑静な住宅街の一角にその施設は建っていた。
「Good Hope -死を待つ家-」
その庭には南国らしい色鮮やかな花々が敷き詰められ、外界と隔離された静かな空間が広がっていた。この場所で彼らは日々を過ごし、そして最期の瞬間を迎える。
過去への後悔、現状への嘆き、未来への悲観。この終末ケアの施設にも確かに様々な苦悩や悲しみは存在していた。しかし彼らは言う。「今が一番いいときだよ。食べ物もベッドもある。これで満足だよ」と。
貧困や病気、DVや事故、様々な事情からここに辿り着いた彼らにとって、この場所は唯一の安住の地なのだろうか。アラビア海の優しい風と色鮮やかな花々に抱かれて、今日も彼らは静かに眠る。まるで彼らを守るかのように咲いている花々。その中で静かに流れるように過ぎてゆく日々。その苦悩や悲しみ、生きる姿を見つめ、カメラを向けた。そして作者は、彼らを守るあの園が永遠であることを願う。モノクロ30点。
作者のプロフィール
齊藤 小弥太(サイトウ コヤタ)
1986年生まれ。2008年日本写真芸術専門学校フォトフィールドワーク科卒業。在学中はカリキュラムにて6ヶ月間、東南アジア10ヶ国を撮影して旅する。卒業後、スタジオ経験を経てフリーランスに転身。現在はカメラマンの仕事をしながら、主にドキュメンタリー系の作品制作を続けている。
小林 紀晴写真展
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kemonomichi
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6/27 (木)
~7/3 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
千数百年前から続いている御柱祭は七年に一度だけ行われる。昭和十九年、戦争のさなかにも、それは行われた。
春の神事、御頭祭では古くから、七十五頭の鹿の首が生け贄として捧げられる。作者は初めて目にしたとき、御柱祭のことを思い出さずにはいられなかった。
木落とし坂では、柱の上に人を乗せたまま、急坂を転げ落ちる。作者の父も祖父も乗った。作者は幼い頃から、その姿を七年ごとに目にした。柱に乗った誰もが、何かが憑いたような、形相をしていた。心底、恐ろしかった。
巨大な獣と化した柱が一旦滑り出したら、もう誰にも止められない。男たちの身体を見つめることしかできない。
ときに柱は荒ぶれ、人をふり落とし、血が流れることもある。生け贄のごとく、神が望むことなのだろうか。あとには御柱の軌跡がくっきりと残る。それは猪だけがゆく道、ウジによく似ていた。
出雲から諏訪に神がやって来る以前、ミシャグチという土着の神が存在していた。さかのぼれば縄文文化が繁栄していた。
出雲からの神、ミチャグチ、縄文。この三つが諏訪湖と、屏風のように立ちはだかる八ヶ岳のあいだで、いまも蠢いている。けっして過去のものではない。ときに、それらの力をひしひしと感じる。
何かをきっかけに、日常を乗り越え、忽然と姿を現し、ひとつになる。その瞬間を、作者は待つ。やがて、目の前に、容易には見えなかった一筋の道があらわれる。作者はその奥へ、深く分け入ってみた。カラー約30点・モノクロ約20点。
作者のプロフィール
小林 紀晴(コバヤシ キセイ)
1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期学部写真科卒業後、新聞社にカメラマンとして入社。91年独立。95年「ASIAN JAPANEASE」でデビュー。アジアを多く旅する。97年「DAYS ASIA」で日本写真協会新人賞受賞。2000-02年渡米(N.Y.)『homeland』『days new york』『SUWA』『はなはねに』などの写真集や『父の感触』『十七歳』などの著書も多数。最新作に『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』(集英社刊)がある。なお本写真展と同時に同名写真集『kemonomichi』(冬青社)刊行予定。