写真展内容
ワシントンハイツとは、代々木公園の敷地内にあった旧陸軍の練兵場を1945年に米軍が接収して建設した、米国軍人とその家族のための街の名である。
日本へ返還後、同所は64年に開催された東京オリンピックの際に選手村として使用されるが、以後は1棟を遺してすべて解体され、現在に至る。
作者は、59年から62年にかけてこのワシントンハイツに通い、米国人の少年少女のポートレイトを撮影しつづけた。遺された作品は数百点にのぼる。
「植物に」で第1回伊奈信男賞を受賞した華々しい脚光の浴び方とは異なり、「ワシントンハイツの子供たち」は世間に広く発表されることのないままだったが、87年に亡くなる直前まで、複雑な表情を見せる子どもたちのネガを、まるでそれらに取り憑かれたかのように焼き続けていたそうだ。
本展には、「植物に」「花狩」を経て円熟期を迎えつつありながらも、原点への回帰を試みた写真家の新鮮な視覚的驚愕が、凝縮されている。モノクロ約50点。
作者のプロフィール
山村 雅昭(ヤマムラ ガショウ)
1939年生まれ。58年日本大学芸術学部写真学科入学。以後『カメラ毎日』月例年度賞、月光フォトコンテスト特選、富士フォトコンテスト銅賞など受賞多数。59年にワシントンハイツで外国人の撮影を始める。日本大学芸術学部写真学科卒業後、全日本学生写真コンクール特選。日本写真家協会会員となる。76年第2回個展「植物に」(ニコンサロン)を開催し、第1回伊奈信男賞を受賞。以後も国内外で精力的に活動をつづける。85年『日本カメラ』月例審査員を担当。86年より写真集『花狩』の準備をはじめるが、87年2月28日急逝。88年追悼展「そして花狩」(ニコンサロン)開催。2012年「ワシントンハイツの子供たち」展(PlaceM)、「仮面と子ども」展(東塔堂)開催。
写真展に、63年「現代写真展」(東京国立近代美術館)、67年「奢りへの戴冠」(銀座・村松画廊)など多数開催。写真集に、『植物に』『花狩』『MONOCHROME 山村雅昭の仕事』『ワシントンハイツの子供たち』がある。