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ビジュアルアーツ専門学校・大阪 写真学科
卒業制作選抜作品展
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2/28 (木)
~3/6 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
プロの写真家になりたいと2年間学んできた学生たちの集大成である。
「写真は簡単には写らない」ことも知った。予想外に楽しく、面白いことも知った。自分の可能性を見つけるために、デジタルのみならず、モノクロ、カラーフィルム、ロケーション撮影からスタジオ撮影まで、表現のための方法と技術を実践的に学び、懸命に撮り続けてきた。
本年もゼミナール、表現実習の各クラスより選抜された作品を展示する。
カラー150点・モノクロ50点(予定)
学校のプロフィール
大阪写真専門学校としてスタートし、写真表現と技術を教える学校として間もなく創立50周年を迎える。現在は写真のみならず映像、音響、声優などの学科をもち、優れた技術をもった表現者を育てる総合的な専門学校として各分野に多くの優れた人材を輩出している。
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2012 日本カメラフォトコンテスト展
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3/7 (木)
~3/13 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
本コンテストは、1950年(昭和25年)創刊の『日本カメラ』(51年に月刊化)における誌上月例コンテストで、60年の歴史を有している。特色は、著名な写真家が1年間を通じて審査を担当、結果を毎月誌上で発表するとともに、毎月の入賞得点を年間集計して、年度賞を競うところにある(「ビギナーズ」は年間優秀作品賞)。
「モノクロプリント」「カラースライド」「カラープリント」「ビギナーズ」の4部門があり、「ビギナーズ」を除く3部門では、各部の応募点数が相当数に達し、しかも1年間平均して入賞しなければ年度賞の上位に入れないことから、入賞作品のレベルは高く、日本のアマチュア写真コンテストとしてはトップレベルにある。
2012年度の審査には、「モノクロプリント」の部を木之下晃、「カラースライド」の部を吉村和敏、「カラープリント」の部を十文字美信、「ビギナーズ」の部を新美敬子の4氏があたり、総応募点数は80,000点以上にのぼった。
今回は、各部門の代表作品を応募時のオリジナルのまま(「カラースライド」はダイレクトカラープリント)展示する。
団体のプロフィール
<日本カメラ社>
1948年7月7日東京・銀座に光芸社として創立。同年10月隔月刊誌『アマチュア写真双書』を創刊。51年3月『日本カメラ』に改題。51年7月月刊とする。71年に港区西久保巴町から現在の日本橋人形町へ移転。2010年、『日本カメラ』は創刊60周年を迎え、“写真とカメラのいまを発見する雑誌”として現在に至る。
現在、月刊誌のほか、日本カメラMOOK各種、『写真の教室』、『カメラ年鑑』、写真集、単行本など多数出版。
太田 章彦写真展
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blowin' in the wind
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3/14 (木)
~3/20 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
作者は、「限界集落」という言葉の視覚化する作業に取り組む。
2011年の春に作者が引っ越しした島根県浜田市弥栄町は、平成の大合併により05年に近隣の市に吸収されて弥栄村から弥栄町になったところだ。作者の母方の祖父母が暮らすこの地には、作者も幼い頃からよく遊びに来ており、メダカやゲンゴロウ、ホタルなどの絶滅危惧種とされる生物をたくさん見つけた記憶がある。
現在、自然に囲まれたこの地は「限界集落」と呼ばれ、作者もこの地の住人として暮らす時間の経過とともに、ここが暗い未来を予感させるその言葉で呼ばれる理由がじわじわと見えてきたという。
年寄りが目立ち、子どもが少ない。空き家が増え、学校の数も減り、農業や伝統芸能など、この土地のこれからを担う後継者も不足している。この状況から、数年後、数十年後のことを考えると胸を締め付けられる思いがする。と同時に、「限界集落」の撮影を続けるうちに作者が辿りついた問いは「豊かさとは何か」ということだった。
カラー約30点。
*限界集落とは、過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落を指す。日本における概念(Wikipediaより)
作者のプロフィール
太田 章彦(オオタ アキヒコ)
1989年島根県生まれ。現在も同県在住。ビジュアルアーツ専門学校・大阪卒業。
大塚 広幸写真展
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Hello World
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3/21 (木)
~3/27 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
作者は東京や都市という対象に特別な思い入れはない。しかし、たまたま写った写真はすごく輝きのある街になっていて驚いた。同時に浮遊感のある今の社会で、高度成長の惰性のようなエネルギーに齟齬感があるこの官庁や企業本社が集まる街は、つるりとした四角い建物が次々と建設されていて、その足元は洗練された商業施設や美しいエクステリアが広がり、すぐ隣にはバブルの時代に建てられた格調高い遺跡のような建物が入り交じる。
こういうハイブリッドな構成の街で、同じような箱に、同じような人々が吸い込まれ、吐き出されてくる様子に、このまま時代を謳歌して切り抜けていくような、緩やかな速度を感じるが、これは先ゆく国が見せる今日であり、強固な日常は突然あったのでなはなく、歴史の上にあるのだ。
作者の世代は、戦後の歴史を教科書でしか知り得ず、バブルの時代は知らない間に終わり、贅沢をしなければ適度に生きていけるシステムの恩恵を受けている。また、自由奔放に各々の世界観を作り、他者とのコミュニケーションも仮想空間へ移行して、共有する現実もどこかゲームのような世界で、次々に顕在化する社会の歪みに直面しても希薄感があり、具体的な敵もよく見えない。
こんなふうに、この街で働きながら生活をしているこの世代の多くは、社会の舵取りを担っていながら、何が正しくて何が悪なのか分からない中で右往左往している。
成り行き任せの今の社会に適合する表現とは何かと考えると、行き詰まりを行き詰まりとして見せるしかなく、写真を普通に撮るしかない。
本展のテーマは、こうした日常の現実をどこまでも引きずる宿命にある写真という閉塞的なメディアが、飛躍や越境に憧れて夢を見るものの、基本的なスペックは現実を捏造する事しかできないので、袋小路に入り込んでも捏造を過剰にくり返すという構造を露出することにある。
モノクロ40点。
作者のプロフィール
大塚 広幸(オオツカ ヒロユキ)
1978年群馬県生まれ。2009年東京綜合写真専門学校写真芸術第2科卒業。12年金村修氏のワークショップに参加。