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銀座ニコンサロン 2012年10月

芦沢 武仁写真展

写真
マラムレシュ 家の記憶
9/26 (水) ~10/9 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者は2006年に初めてルーマニアのマラムレシュ地方を旅した。その時垣間見た村の生活風景に興味が湧き、その後3回にわたってマラムレシュを訪れ、おもに古い家を探してその家と住む人を撮影した。重厚な外観と凝った内装に惹かれ、とりわけピンクやグリーン、ブルーに塗られた独創的な壁の色に魅せられた。
町で英語を話すタクシードライバーを、通訳を兼ねて雇い、タクシーで村々を回った。田園風景の続く山間の道沿いに点在する村々。そこに残る古くて趣のある家や手の込んだ造りの家を探した。気に入った家があれば、ドアをノックして撮影を求めた。突然の外国人の訪問にもかかわらず、ほとんどの人が撮影に応じてくれた。
近年マラムレシュにも、外資系の大型スーパーが、数軒出店した。グローバル化の波が凄い速さで押し寄せている。伝統的な生活を維持する人は高齢者が多い。急激なグローバル化は、すぐにこの地域の個性的な生活も変えてしまうだろう。そうなる前にと作者は、貴重な写真を撮る思いで撮影を続けた。カラー65点。

作者のプロフィール

芦沢 武仁(アシザワ タケヒト)
1948年東京生まれ。写真家芳賀日出男氏に師事。その後フリーカメラマンとして海外を中心に旅、人々の暮らし、ロマ人の文化などを撮影している。

時津 剛写真展

写真
DAYS FUKUSHIMA
10/10 (水) ~10/23 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

線量計を身につけ、被曝量を管理しながら生活する子どもたち。手入れもされず、雑草が伸び放題となった公園。先行きが見えない状況を嘆きながらも、牛の世話を続ける男性。そして、受け入れ先が見つからぬ、生活の痕跡である瓦礫と呼ばれる山……。
2011年3月11日。巨大な津波は多くの人命を奪い、福島第一原子力発電所の事故は多くの人々の生活の地を奪った。
それから一年余り。広範囲にわたって放射性物質に汚染された福島県では、今なお多くの被災者が避難生活を強いられ、目に見えぬ放射能への不安と隣り合わせの生活を送っている。
非日常が日常化する異常な環境の中、福島の人々は生きている。カラー36点。

作者のプロフィール

時津 剛(トキツ タケシ)
1976年長崎市生まれ。99年東京都立大学法学部卒業。同年朝日新聞社入社。写真部、AERA編集部を経て、現在、朝日新聞出版写真部員。

石川 武志写真展

写真
水俣ノート 1971~2012
10/24 (水) ~11/6 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休

写真展内容

作者は、ユージン・スミスのアシスタントとして1971年から3年間「水俣病」に関わった。同時に作者自身も水俣病を自分の問題として撮影するようになった。
当初、それらの写真を発表することは考えてはいなかった作者だが、2008年のスミス氏没後30周年慰霊祭を機に、今一度、ユージン・スミスの「水俣」というプロジェクトを検証してみたいと考え、再び水俣病を撮影するようになった。そしてまたそこには、当時作者が知っていた水俣病の人たちは現在どうしているだろうかという思いや、「水俣」やユージン・スミスと関わった者として、今の自分に何ができるのだろうかと作者自身へ問いかける気持ちもあった。
作者が初めて水俣に滞在した時から40年という年月が流れたが、当時カメラの前に立ってもらった患者さんたちを、可能なかぎり以前と同じ場所で撮影している。同時に作者は、ユージン・スミスの「水俣」というプロジェクトで体験したことなどを「水俣ノート」という形にまとめ、水俣病という苦難を生きてきた人たちの40年の歳月やユージン・スミスの存在を、この写真を通して現在に繋げようと試みる。モノクロ50点。

作者のプロフィール

石川 武志(イシカワ タケシ)
1950年生まれ。1971年東京写真専門学院(現 東京ビジュアルアーツ)卒業。71~74年ユージン・スミスの水俣プロジェクトでアシスタントを務める。75年フリーランスのフォトグラファーとしてスタート。80年インドのトランスジェンダー社会「ヒジュラ」の取材を始める。
写真展に、82年「ヒジュラ」(ミノルタギャラリー)、2008年「インド第三の性―ヒジュラ」(外国人特派員協会)、11年「ガンガー巡礼」(銀座ニコンサロン)などがある。また、1995年に写真集『インド第三の性-ヒジュラ』(青弓社)を出版。

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