写真展内容
震災から35日後、作者は初めて被災された人と会話をし、シャッターを押すことができた。それまでの間、被災地へ人を撮影に行きたいと何度も思ったが、本州の福島以北へ行ったこともない人間が、震災をきっかけに撮影に行くことに違和感を覚え、その思いを消すように努めていた。
しばらくはその二つの気持ちが堂々巡りをしていたが、とにかく前へ進みたくなった作者は、被災地へ撮影に行くことにした。そして、4月13日に岩手県宮古市に到着し、15日に初めての撮影に至った。この撮影から約二週間、宮城県、福島県と被災地を南下しながら、何人もの人の話を聞きつつ撮影を行った。
それからは何度も被災地へ撮影に向かった。そして、その撮影中に、宮古市赤前で82歳の女性に会った。撮影させてほしいことを告げると、「私はここの土地の者でないから」と断られた。よく話を聞いてみると、その人は、そこから車で5分程の距離にある集落から嫁いで来られたとのことだった。作者は、この時から2ヶ月ほど前に、被災地を自転車で回ってみた時の自分の疲労を思い出し、この、土地への感覚に、どこか納得をした。そうした経験から、海岸沿いに位置する宮古市だけではなく、そこから険しい山を隔てた遠野、そして更に内陸にある盛岡へと撮影の範囲を広げた。
2012年1月1日、作者は岩手県釜石市近くの神社を廻って初詣に来る人たちを撮影していたが、鵜住居町にある鵜住神社で出会った人に、地域の人が集まる小屋に招かれた。奥さんたちは、粕汁が入った大きな鍋をストーブの上で交換しながら談笑し、旦那さんたちは焼酎をあおり、子供たちは、なぜか大吉ばかり出るおみくじに夢中になっていた。作者は部屋の隅に座り、その光景をみていた。そして、彼らの行動の端々から新年を迎える喜びを感じた時、もう少し時間をかけてこの人たちを撮影したい。と、ふつふつと思うようになった。カラー約30点。
作者のプロフィール
1980年福岡県生まれ。2010年九州産業大学大学院博士後期課程造形表現専攻満期退学。06年アジアフォトグラファーズギャラリーの設立・運営に参加。09年 photographers’galleryの運営に参加。第8回三木淳賞奨励賞受賞。
写真展(個展)に「浮憂世代」(Juna21新宿・大阪ニコンサロン)、「八幡」(アジア フォトグラファーズ ギャラリー・福岡)、「椿の街」(photographers’gallery・東京)などがあり、グループ展に「社会標本展」(ギャラリーON・ソウル)、「消滅の技法展」(福岡アジア美術館)、「Social Voyeurism」(ギャラリーアートリエ・福岡)、「クロッシング・カオス1999-2009」(銀座・大阪ニコンサロン)などがある。