大阪ニコンサロン 2011年1月
写真展内容
作者の家の近くの空き地に直径4メートルほどの貯水槽がある。上部はコンクリートで覆われていて、近所の人の話では、この防火用の貯水槽は中に水がなく、今は使われていないという。
作者にとって、貯水槽は円形の舞台であり表現の場となる。円形とそこに広がる空間に、移り変わる季節、日常、生きてきた過去、そしてやがて訪れる死を見る。円環する時間と直線的な時間。
ここで、近所の人たち、友人、知的障碍の娘、作者自身、働く人、地域に生きる猫、犬を撮る。火のついた段ボール、木の小舟、ショーケースの魚、ネオン、漂う光を撮る。貯水槽の周りに生い茂った夏草、雨の後の水たまり、降り積もった雪、溶ける雪を撮る。何も手を加えないで撮ることもあれば、思い描いたイメージをサークル上で作り上げて撮ることもある。
それらのイメージは現実の光景でもあり、隠喩が潜む非現実的な光景でもある。そしてそれぞれの作品が呼応しあうことで、不確かな存在である世界が揺らぎつつ立ち現われる。
モノクロ43点。
授賞理由
受賞作「On the circle」は作者の家の近所にあった忘れられた貯水槽を舞台としている。
今はもう使用されていない、4メートルあまりの円形の貯水槽は地下に埋められ、上部が少しだけ地上に出て、コンクリートに覆われていた。その円に惹かれた作者は、そこを舞台に写真を撮るようになる。円とそこに広がる空間に作者は移り行く季節や過ぎ去る時間、今の生活や生きてきた過去、そしてやがて来るだろう死の予兆を見るようになる。家族や近所の人々、友人や知人、猫や犬、燃え上がるダンボールや揺れ騒ぐ風船、木の舟や水槽の魚、生い茂る夏草や降り頻る雪、闇に漂う光や揺らぐ大気…まったく手を加えないで撮る時もあれば、思い描いていたイメージを円の中につくりあげてゆくこともある。直線的な時間と円環の時間、そして螺旋状に上昇する時間が重なり合い、様々なものが共鳴し、不思議なトポスがたちあらわれる。
「On the circle」の円は現実の場所であり、地球上のどこか別の場所であり、その円の上空には広大な宇宙が広がっている。もしその円に生まれた写真が宇宙まで包みこんでしまうような瞬間があるのなら、不安を抱えた不確かな存在である自分が一瞬、救われたような気持ちになるかもしれないと作者は言う。「On the circle」には、円から螺旋によじれながら光を放つ私たちのそのような微かな生の印が写真にしかできない方法で見事に形象化されている。
作者のプロフィール
1947年神奈川県生まれ。3歳の時から山形県米沢市で育つ。70年日本大学芸術学部写真学科卒業。同年細江英公氏に師事。73年フリーランスの写真家になる。74年パリに住む。77年ニューヨークに住む。
写真展(個展)に、74年「穏やかな日々」(ニエプス美術館/フランス)、75年同展、76年「遊泳」(以上、画廊春秋/銀座)、79年同展(銀座ニコンサロン)、82年「暗転」(フォト・ギャラリー・インターナショナル/虎ノ門、東京)、「遊泳」(フォルムシュタッドパルク/オーストリア)、84年「飛ぶフライパン」(ツァイト・フォト・サロン/東京)、92年「ゲーム オーバー」(パルコ/渋谷、東京)、95年「飛ぶフライパン」(東京都写真美術館)、99年「見る人」、2001年「KAMI/解体」(以上、フォト・ギャラリー・インターナショナル/芝浦、東京)、02年「FLYING FRYING PAN」(prinz/京都)、09年「WRAP TRAP WRAP」(カフェ大好き/東京)、「On the circle」(銀座ニコンサロン)のほか、グループ展に、81年「8x10」(スーザンスピリタスギャラリー/カリフォルニア、アメリカ)、82年「Three Japanese Visions」(フォーカスギャラリー/カリフォルニア、アメリカ)、83年「Japanese Art of Today」(芸術歴史美術館/スイス)、85年「パリ ニューヨーク 東京」(つくば写真美術館/つくば市)、86年「Japanese Photography of Today」(巡回、スペイン)、90年「ポラロイド・スーパーフォト大写真展」(花博国際美術館・国際花と緑の博覧会/大阪)、98年「写真の未来学」(エプサイト/新宿)、99年「日本の現代芸術写真展」(巡回、ドイツ)、01年「現代写真の系譜Ⅱ」(新宿ニコンサロン)、03年「日本大学芸術学部写真学科オリジナルプリントコレクション30周年・写真学科卒業生によるオリジナルプリント新規収蔵作品展」(日本大学芸術学部芸術資料館)、06年「mite!おかやま」(アメリカ・アレナスプロデュース岡山県立美術館)、07年「Japan Caught by Camera-Works from the Photographic Art in Japan」(上海美術館/中国)などがある。
また、著書に、96年「やがてヒトに与えられた時が満ちて……」(池澤夏樹との共著・河出書房新社。07年角川文庫刊)、97年「FLYING FRYING PAN」(写像工房)などがあり、作品は、東京都写真美術館、京都国立近代美術館、北海道釧路芸術館、パリ国立図書館、日本大学芸術学部にコレクションされている。
写真展内容
作者は、牛小屋と豚小屋に挟まれた家で、鳴き声やいびきを聞き、飼料や糞尿のにおいを感じながら生きてきた。彼女の両親は毎日この牛小屋と豚小屋で働き、牛に蹴られてよく怪我をしていた。
小学生の頃、同級生たちが授業の一環として、家に見学に来た。ひとりの子が「かわいそう」と言った。少し傷ついた。自分も感じていたことだったからである。「じゃあ、あなたは牛乳飲まないの? お肉は食べないの?」と返すだけでは、心の中の小さな痛みへの解答にはならない。
それから、ずっと考えた。
しかし、同時に両親が牛を可愛がっているところも見てきた。子牛が産まれるとうれしくて、ブラッシングしたり、ミルクをあげたりしたが、名前はつけなかった。ペットとは違うと解っていたからである。1ヶ月後には別れがくる。泣きもせず、ただ別れるだけ。彼らがこれからおいしい肉になるため、別の農場で育てられていく。ひどい生活を牛や豚にさせていることも、自分にはわかっていた。
作者はとても矛盾していると思う。自分たちの欲望のため、積み重ねられた膨大な時間、たくさんの血、汗、命、寂しさ。何もいわずに、ただひっそりと佇んでいるのを感じながら、矛盾した痛みは固まって、小石のように転がったり、つかえたりする。モノクロ93点。
授賞理由
コメントによると、作者は牛小屋と豚小屋に挟まれた家で育ち、日々牛や豚の鳴き声を聞きながら、飼料や糞尿の匂いの中で暮らしてきたという。社会にとって美味しい肉を提供するためになくてはならないものでありながら、「臭い」「かわいそう」「残酷だ」といった言葉で安易に語られることの多い畜産場は、現代社会や人間の矛盾が渦巻く場所のひとつでもある。その中で生きることに伴う痛みを抱えてきた作者が自らの生活の場に向けるまなざしは、激しく憤っているようにも見える。
しかしそこには、単なる憤りにとどまらない凝視の姿勢がある。ほとんど目が痛くなるほどの執拗な凝視から生み出された黒々としたプリントは、世界を都合よく擬人化しようとする者を嘲笑するかのような凄味をもつ。本作品のタイトル「豚が嗤う」とはまさにそのような意味においてであって、それは優しい「微笑み」などではない。時代の動向に振り回されることなく、自らの切実な生活の場から出発して圧倒的な展示空間を構成したその力量は、受賞に値する。
作者のプロフィール
1979年埼玉県生まれ。2004年プレイスM(初心者コース)で中居裕恭氏に学ぶ。
写真展に、09年「豚が嗤う」(Juna21/新宿・大阪ニコンサロン)、10年中藤毅彦ワークショップ写真展(ギャラリー・ルデコ)などがある。
写真展内容
作者は日本中の高校生のポートレートを、およそ8年にわたって撮影している。イノセント(無垢)と危うさを同居させ、脆くて壊れてしまいそうな彼らに共感し、強く撮りたいと思ったからである。
心がけているのは、しっかりと向き合って撮りたいということ。そして、彼らが居る場所を大事にしたいことだ。
ともに情報が行き渡る、都市と地方の高校生を撮りゆくなかで、作者は、誰もが「自分の存在を認めてほしい」と願っていると感じる。それは、どんなに社会が変わっていっても、いつの時代にも普遍としてある思いである。カラー約30点。
作者のプロフィール
1977年京都府生まれ。2001年立命館大学経済学部卒業。03年ビジュアルアール専門学校・大阪卒業。06年ビジュアルアーツフォトアワード大賞受賞。写真集『青い光』を出版。