ニコンサロン bis 新宿 2011年1月
写真展内容
本展は、ニッコールクラブが主催する第58回ニッコールフォトコンテスト(平成22年度)に入賞した作品を一堂に展示するものである。
ニッコールフォトコンテストは、世界中の写真愛好家に広く門戸を開き、写真芸術の発展と写真技術の向上を図るとともに、写真を通じて友好を深めようという趣旨のもとに行われるもので、ニッコールクラブ創立以来毎年行い、今回で58回を数える。
今回も3月から募集を開始して7月上旬に締め切り、応募点数は42,623点(第1部8,414点、第2部22,587点、第3部8,153点、第4部3,469点)となった。
入賞作品の内訳は、第1部82点、第2部104点、第3部63点、第4部23点と決定した。
なお作品は、1月5日(水)~17日(月)まで新宿ニコンサロンにおいて第2部カラー入賞作品と第3部ネイチャー入賞作品を、またニコンサロンbis新宿において第1部モノクローム入賞作品と第4部U-31(Under31)入賞作品をそれぞれの会場で同時開催する。
<審査員>
石川直樹、海野和男、大西みつぐ、織作峰子、管 洋志、ハナブサ・リュウ、藤森邦晃、松本徳彦(敬称略・五十音順)
写真展内容
7月に入ると、京都の町の通りには祗園囃子の音がながれ、町は祭一色に包まれる。祗園祭というと16日の宵山と17日の山鉾巡行ばかりが喧伝されるが、祭は1日から31日まで丸1ヶ月続き、その間町は祭が全てに優先し、実生活にもいろいろと不便が生じるが、町の人々はむしろそれを楽しんでいるようにも見受けられる。
平安時代に始まり、数々の紆余曲折を乗り越えて連綿と続くこの日本最高の祭を、作者は1979年から2005年まで、27年間断続的に通って撮ってきた。
本展では、祗園祭に彩られた京都の町の風情と、見物人も含め、祭にかかわる人々の心意気を、暑く熱い京の夏の雰囲気とともに表現した作品を展示する。
なお、作品はモノクロネガを中心に、いくらかのカラー写真をデジタル化し、45点全てモノクロで展示する。
作者のプロフィール
1932年岡山市生まれ。岡山大学法文学部文学科卒業。ニッコールクラブ岡山支部所属。「夜霧に包まれて」第52回ニッコールフォトコンテスト第4部ニッコール大賞受賞。「わが闘傷記」エプソングランプリ2008ヒューマンライフ部門フォトストーリー賞受賞。
写真展内容
タボサンは唐辛子の瓶を丸ごと口の中に入れる。それを見る度に僕は大きく笑う。
タボサンは汗をかき、涙を浮かべる。きっと、タボサンにとってもそれは大変な事なのだろう。ただ、僕を楽しませてくれているのかもしれない。
ある日、タボサンと連絡が取れなくなった。僕はタボサンの立場を知っているから不安になった。
僕とタボサンがあったのは二年前。ミャンマー人の友達のゾウが紹介してくれた。タボサンさん。ゾウはそう言って少し笑った。
タボサンは難民だ。正確には難民の申請中だ。でも、僕とタボサンの間柄にはあまり重要なことではない。ただ一緒にいたいだけなのだ。
タボサンは僕と会う少し前まで入管の収容所に8ヶ月収容されていた。僕達はその時出来た友達の所を訪ねに行く。神奈川や山梨、栃木に群馬。皆、仮放免という一時的な保釈状況にいる。何年も申請し続ける者も少なくない。そして、いつまた収容されるかわからない。
ガラスに仕切られた部屋にタボサンが来る。
「スリランカの家族に電話してる?」と聞くと、「してる」と答えた。「でも、収容所に入ったことは秘密にしてて普段と変わらない」と、答えた。タボサンは母親が心配するから、と嘘をついた。
タボサンが写っている写真を毎回差し入れた。タボサンはゆっくり写真を見て、ニコニコしている。「ありがとう」タボサンは僕に言う。
その内、家に入管から手紙が届くようになった。封筒の中には手紙の他に絵も添えられている。ヘンテコな絵だけど、毎回僕を楽しませてくれる。モノクロ30点。
作者のプロフィール
1984年東京生まれ。08年日本写真芸術専門学校夜間部卒業。鈴木邦弘氏に師事。09年桑原健太と桑田企画を設立。同年桑田企画Magazineを創刊。
写真展に、09年「seifu show 2009」(清風荘)、10年「seifu show 2010」(武蔵野公会堂ホール)などがある。