吉田 淳
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43枚の年賀状
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11/30 (火)
~12/6 (月)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
作者が結婚してから現在に至るまでの、43年間の年賀状の集成である。
夫婦二人だけの時から、家族が順々に増え、子供たちが成長し、一緒に写ってくれなくなり、夫婦二人だけの海外旅行での写真は、最初は白黒フィルム、次にネガカラーになり、2006年からデジタルカメラでの撮影である。プリントも、白黒の手焼き、ネガカラーの発注からプリンターでの印刷へと変わった。年賀状の文字も、子供が小さい頃はかわるがわる書かせていた。しかしワープロを使うようになってからは、多少絵を入れることもあったが、面白みはなくなった。
1979年度の春日大社での写真は、カメラに慣れない作者の父親にシャッターを押してもらったところ、ガクンガクンと押し込んだため全カットがブレてしまい、それを知った父親は大変悲しそうな顔をしたことなど、作者の懐かしい思い出である。
一市民の家族の平凡な歴史だが、ぬくもりに触れられる作品展である。カラー18点・モノクロ15点。
作者のプロフィール
吉田 淳(ヨシダ ジュン)
1941年福井県武生市生まれ。64年日本大学芸術学部写真学科卒業。65年読売新聞大阪本社写真部入社。2001年退社後、市役所広報課、地方アマチュアスポーツ新聞などでカメラマン活動を継続。大阪手作りカメラクラブ所属。
第12回三木淳賞受賞作品展
金川 晋吾
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father
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12/7 (火)
~12/13 (月)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
ある日突然いなくなり、数ヶ月間姿が見えなくなる。そのような「蒸発」を繰り返し続けることで、父は何もない人間になった。財産も、他人との関係性も、自分の考えも、何もない。
何もない人間になること。それはおそらく父自身が望んだことだ。何もない人間になれば、自分のことについても、自分のことを考えてくれる他人についても、考える必要がなくなるのだから。
ある作家が次のようなことを書いていた。
「もし他人のことをほんのわずかでも知ることができるとしたら、それはその他人が自分を知られることを拒まない限りにおいてだ。もし寒いときに、『寒い』と言うことも震えることもしない人間がいたとしたら、私たちはその人間を外から観察するしかない。ただし、その観察から何か意味が見出せるかどうかはまた別の問題だが」
父は寒いときに震えることはすると思う。だが、「なぜ震えているのか」と尋ねられても、父は「わからない」と答えるだろう。本当にわからないのか、それともただ考えたくないのか、それは他人からはわからない。おそらく、本人もわかっていない。(金川 晋吾)
カラー17点。
授賞理由
作者の父親は蒸発を繰り返し「財産も、他人との関係性も、自分の考えも、何もない」人間になったという。本作品はその父親を撮ったものだが、これが数多ある「親を撮った」写真と一線を画しているのは、そうした状況の特殊性によるわけでは必ずしもない。ぼんやりと宙を見つめる父親の姿、雑然とした室内、書き残されたメモ――断片的なイメージの連なりから浮かび上がるのは、確かな父親という像ではなく、いわばがらんどうの、人間の中にぽっかりと口を開けた空洞である。作者は、父親にカメラを向けることで意味を付与するのではなく、そこに執拗にまとわりつくイメージや意味をはぎとりつつ、静謐でリリカルな映像によってその空洞を指し示している。
それでもなお、世界は父親に名前を与え、意味を与え続けることだろう。作者の父親にとって、生きるとはそのような世界からの絶えざる逃避であるが、そうであればこそ、じつは本作品こそが「何もない人間であること」を望む父親が存在し得る類稀な場でもあるのかもしれない。そう思わせるのは、ひとえに本作品の完成度の高さゆえである。
作者のプロフィール
1981年京都府生まれ。神戸大学卒業。第26回、28回写真「ひとつぼ」展入選。現在東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程在籍。
ギャラリートーク開催のお知らせ
第12回三木淳賞受賞作家の金川晋吾氏と写真家・良知 暁(らち・あきら)氏のトークショーを写真展会場にて開催いたします。
ぜひご参加下さい。
日時:12月12日(日)18:30~
出席:金川晋吾 × 良知 暁(らち・あきら)
会場:新宿ニコンサロン
※入場無料・予約不要です。当日は直接会場にお越し下さい。
三木淳賞奨励賞受賞作品展
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飯島 望美「豚が嗤う」
ライアン・リブレ「Portraits of Independence: Inside the Kachin Independence Army」
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12/14 (火)
~12/20 (月)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
<飯島望美「豚が嗤う」>
作者は、牛小屋と豚小屋に挟まれた家で、鳴き声やいびきを聞き、飼料や糞尿のにおいを感じながら生きてきた。作者の両親は毎日この牛小屋と豚小屋で働き、牛に蹴られてよく怪我をしていた。
小学生の頃、同級生たちが授業の一環として、作者の家に見学に来た。ひとりの子が「かわいそう」と言った。作者は少し傷ついた。自分も感じていたことだったからである。「じゃあ、あなたは牛乳飲まないの? お肉は食べないの?」と返すだけでは、作者の心の中の小さな痛みへの解答にはならない。
それから作者は、ずっと考えた。
しかし作者は、同時に両親が牛を可愛がっているところも見てきた。子牛が産まれるとうれしくて、ブラッシングしたり、ミルクをあげたりしたが、名前はつけなかった。ペットとは違うと解っていたからである。1ヶ月後には別れがくる。泣きもせず、ただ別れるだけ。彼らがこれからおいしい肉になるため、別の農場で育てられていく。ひどい生活を牛や豚にさせていることも、作者にはわかっていた。
作者はとても矛盾していると思う。自分たちの欲望のため、積み重ねられた膨大な時間、たくさんの血、汗、命、寂しさ。何もいわずに、ただひっそりと佇んでいるのを感じながら、矛盾した痛みは固まって、小石のように転がったり、つかえたりする。
モノクロ93点。
<ライアン・リブレ「Portraits of Independence: Inside the Kachin Independence Army」>
カチンの政治的リーダーは、ミャンマーの軍事政府に対して信念を持って交渉しており、その態度を見てカチンの一般市民は、勇気と誇りを持ち続けることができる。
カチンの牧師は、信仰を人々に誠実に語り、一般市民は、共に支えあいながら強く生きている。とくに学生は、カチンを平和でよりよい未来にするために強い決意と切迫感を持って学習している。
カチンのような過酷な状況にいる人々も、強さや信念、誠実さや決意、勤勉や希望を持って生きている。カラー40点。
授賞理由
<飯島望美「豚が嗤う」>
コメントによると、作者は牛小屋と豚小屋に挟まれた家で育ち、日々牛や豚の鳴き声を聞きながら、飼料や糞尿の匂いの中で暮らしてきたという。社会にとって美味しい肉を提供するためになくてはならないものでありながら、「臭い」「かわいそう」「残酷だ」といった言葉で安易に語られることの多い畜産場は、現代社会や人間の矛盾が渦巻く場所のひとつでもある。その中で生きることに伴う痛みを抱えてきた作者が自らの生活の場に向けるまなざしは、激しく憤っているようにも見える。
しかしそこには、単なる憤りにとどまらない凝視の姿勢がある。ほとんど目が痛くなるほどの執拗な凝視から生み出された黒々としたプリントは、世界を都合よく擬人化しようとする者を嘲笑するかのような凄味をもつ。本作品のタイトル「豚が嗤う」とはまさにそのような意味においてであって、それは優しい「微笑み」などではない。時代の動向に振り回されることなく、自らの切実な生活の場から出発して圧倒的な展示空間を構成したその力量は、受賞に値する。
<ライアン・リブレ「Portraits of Independence: Inside the Kachin Independence Army」>
本作品は、ミャンマー最北にあるカチン州において撮られた貴重なドキュメンタリーである。日本ではミャンマーの少数民族問題について得られる情報は大変限られているが、現地では長年カチン独立機構と政府との間で内戦が続いていた。94年に停戦が締結されたものの、簡単に緊張が解けるはずもなく、現在もなお内戦勃発の危険にさらされている。作者は3ヶ月にわたって取材を行ない、そこで誇りを持って暮らす人々の姿を丹念に記録している。作者はその写真をさらに詳細な文字情報と組み合わせ、写真と言葉の双方を活用した「読む」展覧会を作り上げた。その行動力だけではなく、その成果を伝達するための丁寧な工夫が写真展において遺憾なく発揮されたことは、高く評価されてよい。
近年、日本はアジアの一員としてますますその認識を強く問われているが、その意味でも本作品の内容は、マスメディアを通してはほとんど手に入ることのない貴重な情報を含むものであるだけに意義深い。その行動力と伝達力に今後さらなる磨きがかかることを期待したい。
作者のプロフィール(飯島 望美)
1979年埼玉県生まれ。2004年プレイスM(初心者コース)で中居裕恭氏に学ぶ。
写真展に、09年「豚が嗤う」(Juna21/新宿・大阪ニコンサロン)、10年中藤毅彦ワークショップ写真展(ギャラリー・ルデコ)などがある。
作者のプロフィール(ライアン・リブレ/Ryan Libre)
カリフォルニア北部生まれ。アメリカ陸軍を離隊後、平和研究で学位を取得。日本と東南アジアに5年ずつ暮らしていた経験がある。
自らの長期プロジェクトを中心に活動しており、撮影対象者を理解するために膨大な時間を費やす一方で、画像の後処理にはほとんど時間をかけない。
これまでに、富士フイルムフォトサロン(札幌)、タイや日本の外国人記者クラブ、ニコンサロンで写真展を開催。
また、ピュリツァーセンターからカチン族の苦闘を記録するための助成金も受けている。
プロジェクトや写真指導以外の時間は、タイ北部にある日干しレンガづくりの家制作を楽しんでいる。
Portraits of Independence : Inside the Kachin Independence Army
(独立の肖像:カチン独立運動の内側から)
展示内容:
人々が抑圧されるビルマ(現:ミャンマー)で、民族的にも宗教的にもより厳しく抑圧されている少数民族―カチン族。
写真は、中国との国境に位置し、カチン独立軍の支配下にある「フリーカチン」(カチン族が民族自決により生きられる土地)の今を伝えるものだ。
私はこの作品を通して「強さと信念」「真摯さと決意」、そして「刻苦と地球上で最も暗澹とした国のひとつが放つ希望」をみなさんと共有したい。
宮高 奈美
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Wonder Drug
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12/21 (火)
~12/29 (水)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会期中無休
写真展内容
時代とともに過剰化していくファッションモードや身体行為。作者はそれらを遊戯化することで、普段の日常感覚を変容させ、困惑の世界へと導こうと試みている。
テーマは、「現在の我々にとって衣装モードとは何か?」ということへの問い掛けをきっかけに、現在という時代の特性を考えようとするものである。
言うまでもないことだが、古くから衣装と人の生活は切り離せない関係にあった。はじめは肉体の保護として、やがて社会の制度として機能してきたと言える。身分制度、職業、性別、年齢など社会的立場の違いを表すものとしての要素が大きく占めるようになってきた衣装だが、今や衣装モードは個性を外に発信する個人的な自己表現の割合が大きくなってきている。そしてこの現象は、この過剰な消費時代にあって、ますます過激になってゆくように見受けられる。
作者は、特殊な衣装と遊戯化したポーズのモデル撮影をすることで、この現代の状況を表現しようとしている。カラー33点。
作者のプロフィール
1987年広島県呉市生まれ。2010年大阪芸術大学写真学科卒業。同年大阪芸術大学写真学科卒業制作にて学長賞、第35回JPS展ヤングアイ奨励賞を受賞。
写真展に、07年第11回大阪芸術大学写真学科秀作展(キヤノンギャラリー)、08年第6回大阪芸術大学+カリフォルニア美術大学写真+版画交流展、第12回大阪芸術大学写真学科秀作展(キヤノンギャラリー)、第24回日韓三大学デザイン・美術交流展、09年第21回日中交流作品展、10年大阪芸術大学写真学科2009年度卒業制作選抜展、卒業制作2009造形系学科優秀作品展(アートコートギャラリー)、宮髙奈美写真展初個展(New Osaka Hotel心斎橋)などがある。